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ご存知のように、信長は全国統一はしていないですね(全国の約半分は統治しましたが)。
では、どうして、有名であり、みんなが知る武将なのか? 今日はこれを考えてみたいと思います。 それは近代に向けての最初の息吹だったのでしょう。 それに先立つ封建時代は決して停滞の時代ではありませんでしたし、日本の室町時代は単に世の中が乱れていただけの時代ではありません。能・狂言・茶の湯・生け花といった日本文化の伝統の多くが、この時代に端を発することが示しているように、室町時代は豊饒な時代でもありました。 その時代に、京都ではじめて「都市文化」と呼びうるものが成立し、各地方には京都をまねた「小京都」が数多くつくられ、また城下町ができました。足利義満が貿易をはじめて以来、対外貿易が盛んになって、貴重な財貨とともに新しい情報が日本に入ってくるようになりました。 そして16世紀になると、ポルトガル・スペインなど西欧諸国が東洋に進出するようになり、天文十二年(1543年)にはポルトガル人が種子島に漂着 して、鉄砲をもたらしました。 こうして、日本全体が大きな変動期にあり、新しい可能性が各所に生じていたのです。 だから当時は、実力のないものにとって恐るべき乱世でしかありませんでしたが、実力のあるものにとっては自らの可能性を試すことができる絶好の時代でした。 一介の油売りから美濃の領主となった斉藤道三は、それを象徴する存在ですね。 信長は次々と領土を獲得し、多数の有力な家臣を持ち、まさにナンバーワンの力を有するようになり、後10年生きていればきっと全国統一していただろうというロマンを与えて死にました。 戦が強かった、うまかった、新戦術を取り入れたからだ、戦略(段取り)が完璧だった・・・ 色々言われているなかで、もっとも人心をくすぐることは可能性を示唆したことではないでしょうか? 「尾張国内のの小大名から全国区になった」 この事かもしれません。 現在においても相通じるところです。 単に会社勤めで60才付近になって年金暮らし(私がその頃にはもらえないと思いますが)、なに不自由なく一生終わるよりも、本来、みんなが心の中に持っている夢、希望、熱い思いに向けて少しづつでもいい、前進していく ・・・毎日寝る時間が2時間減っても自分の新しい可能性を引き出す努力が必要・・・ 今の時代もそんな可能性のある時代だと思います。
歴史を勉強してみると今の時代に続く行事は江戸時代中期から庶民に流れてるんです。
その庶民への流れを作ったのは戦国時代! 決して戦いにだけ明け暮れていたんじゃないんですよね~。 (2006年02月03日 20時30分01秒) │<< 前へ │次へ >> │一覧 │コメントを書く │ 一番上に戻る │ |
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