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カテゴリ:医療問題
仙台市泉区のインプラント治療のながさわ歯科医院の長澤です。いつも有り難うございます。皆様の健康に役立つ情報をお届けできたらと思っています
仙台市泉区高森の地区は地震後、電気が一昨日の昼前に、水道が昨日の昼過ぎの復旧しました。やっと日常の生活に戻れたようです。 毎日海沿いにいた友人に連絡していますが、1人を残して無事が確認できました。 本当に多くの皆様にご心配いただき有り難うございます. よろしくお願いします. まずは放射能被爆についてですが、味噌と塩が予防効果があると覚えていたのですが、ちょっと調べてみました。 ご参考までに。 ただ、原発に近い方に優先的に供給されるべき物ですので、遠方の方は、ぜひ福島の方に送ってあげてください. 味噌と健康 大豆は消化吸収がよくないが、発酵させた味噌の大豆蛋白は消化吸収がとてもよく、味噌は75~85%の消化吸収。またカルシウムに富む。 昭和56年の日本がん学会で国立がんセンター研究所の「平山雄博士」が、味噌汁を毎日とる人は、とらぬ人より48%胃がんが少ないと発表した(サンプル10万人)。強いがん予防効果が認められ、また放射性物質を除去するため、1986年チェルノブイリ原発事故の時に大量輸出された。胃潰瘍、心筋梗塞、肝硬変などでも同様の数字が出た。タバコの煙に含まれる「ベンツピレン」や、魚の黒こげに含まれる「トリプP-1」は発がん物質としてよく知られるが、味噌はこれらを阻止する、つまり「がん」になりにくくする。 チェルノブイリと味噌 1986年にチェルノブイリ原発事故がありました。 その時、ヨーロッパに「味噌に放射能障害の予防効果がある」といううわさが広がりました。 根拠は長崎で医師をしていた秋月辰一郎氏の本が「NAGASAKI 1945」として翻訳出版され、その中に患者の救助や看護にあたった人がいわゆる原爆症にならなかったのは味噌汁を毎日飲んでいたからだと、私は確信しているという記述があったからだと言います。 これがきっかけでヨーロッパでも味噌が次第に浸透していきました。 なお、放射能に対する効果は動物実験で確かめられています。 ◆秋月医博による、長崎原爆被爆対策 秋月博士は長崎市の聖フランシス医院の内科部長であった。 1945年8月、長崎に原爆が投下されたとき、同病院は爆心地からほぼ1キロ半余り離れたところにあった。同病院のほとんどの患者は、原子爆弾の第一撃からは生き残ったが、まもなく爆弾から飛散した放射性物質による放射能疾患に取りつかれてしまったのである。 このような状況において、秋月博士の行った処置は、患者ならびに医療スタッフに、マクロビオティックの食事(後述)を厳格に守ることを命じた。つまり玄米ご飯、味噌汁、醤油汁、ワカメなどの海草、北海道産のカボチャ、食塩などの食事である。 このような食事を患者と病院スタッフに守らせ、そして砂糖の禁止と、甘いお菓子を絶対食べないように命じたのである。 このような措置のおかげで、他では被爆者が放射能被曝障害で次々と死亡したが、同博士のところの患者とスタッフは、一人として被曝による犠牲者を出さずにすんだのである。 ◆秋月博士の指示「塩分を多くし、甘いものはやめなさい」 秋月博士の命じた食事の内容を具体的に同博士の発言にみてみよう。 同博士は、次のように命じた。「私が、炊事に携わる人々と医療スタッフに厳しく命じたことは、塩を少しまぶした玄米のお握りと、それに味噌を多めにいれた濃い味噌汁でした。砂糖は一切使わないよう指示しました」。また、同博士は「この指示に従わない者は、砂糖は血液を駄目にするので砂糖はやめなさいと、情け容赦なくしかりつけました」という。 秋月博士は、このような指示の結果を、次のように明らかにしている。「このような食事によって、わたし自身、放射能障害をまぬがれ、医者としてきつい仕事をこなすことができたのです」「放射能は致命的な量でなかったかもしれないが、岩永修道士、野口牧師、村井看護婦婦長もそうですが、その他の病院スタッフ、入院患者とわたしを含めて、みな大変危険な放射能塵の中で生きながらえたのも、このような食事法によってなのです。疲労や原爆症を克服して、毎日無事に働くことができたのも、また放射能障害を免れたのも、この様な食事のおかげです」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011年03月16日 08時12分16秒
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