心の故郷
「心の探求(430)」
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むかしむかし、比叡山できびしい修行していた坊さんがいました。
けれど、いくら修行を続けても大して偉くはなれない事がわかると、
生まれ故郷の摂津の国に帰ってきました。
そして坊さんはお嫁さんをもらって、幸せに暮らしていました。
この村では、毎年正月の修正会には、
必ずこの坊さんをたのんでおがんでもらうことにしていました。
さて、ある年の修正会の時、
この坊さんは仏さまにお供えしたもちをたくさんもらいました。
しかし坊さんとお嫁さんはとてもけちだったので、そのもちを誰にもわけてあげようとはしません。
自分の子どもたちにさえ、食べさせないのです。
二人は少しずつもちを食べていましたが、そのうちにもちは固くなってしまいました。
このままでは、もちは食べられなくなってしまいます。
そこでお嫁さんは、こんな事を考えつきました。
(そうだわ。この固くなったもちで、お酒をつくろう。きっと、おいしいお酒が出来るにちがいないわ)
そこでさっそく、坊さんに話すと、
「それは、なかなかの名案じゃ」
と、大賛成です。
二人はたくさんのもちを酒つぼに入れて、酒をつくることにしました。
やがて、月日がたちました。
「もうきっと、おいしいお酒が出来ているでしょう」
ある晩、お嫁さんはこっそりと酒つぼのふたを開けてみました。
すると何かが、中で動いているように見えました。
「何かしら?」
暗くてよく見えないので、お嫁さんは明かりをともしてつぼの中をてらしてみました。
「あっ!」
お嫁さんの顔は、とたんにまっ青になりました。
つぼの中ではたくさんのヘビがかま首をあげながら、
もつれあっているではありませんか。
お嫁さんはつぼのふたをすると、逃げるように坊さんのところにかけていきました。
「あなた、大変です。もちの酒つぼに、ヘビが」
でも坊さんは、信じようとはしません。
「何を馬鹿な。そんな事が、あるものか」
「でも、本当に見たのです」
「わかったわかった。なら、わしが見てきてやろう」
坊さんはお嫁さんから明かりを受け取ると、酒つぼのところへいきました。
そしてふたを取ると、つぼの中をのぞきこみました。
「わっ!」
坊さんもびっくりして、お嫁さんのところにかえってきました。
「これはいかん。こうなれば、どこか遠くへつぼごと捨ててしまおう」
二人は酒つぼをかつぎ上げると、広い原っぱのまん中に捨ててしまいました。
その、あくる日の夕方の事です。
広い原っぱの一本道を、三人の男が通りかかりました。
「おい、あれは何だろう?」
酒つぼを見つけた一人の男が、原っぱのまん中を指さして言いました。
「さあ、何だろうな。行ってみよう」
三人は恐る恐る、酒つぼに近づきました。
そして一人の男が、つぼのふたをとって中をのぞきこみました。
「おい、酒だ、酒だ!」
「なに、本当か?」
他の二人も先を争うようにして、つぼをのぞきこみました。
「確かに酒だ。しかし一体、どうしたことじゃ?」
三人は思わず、顔を見合わせました。
すると一番はじめに酒つぼをのぞいた男が、ニヤリと笑って言いました。
「この酒を飲もうと思うが、どうだね?」
二人の男は、恐ろしそうに言いました。
「野原のまん中に、こんな酒つぼが捨ててあるというのは、どうもおかしい。
なにかきっと、わけがあるにちがいない。危ないから、飲むのはよせ」
しかしこの男は大の酒好きだったので、
「なあに、酒が飲めるのなら、死んでもかまうものか」
と、腰につけた湯のみで酒をすくって、一気に飲み干しました。
「うん、うまい! これは、けっこうな酒だ」
そう言うと、もう一杯飲みました。
それを見ていた二人も酒好きですから、もう飲みたくてたまりません。
「仕方ない。わしらも、付き合ってやるか」
三人は次から次へと、酒を飲み始めました。
「おう、確かに良い酒だ」
「本当にな。酒屋に行っても、これほどの酒はないぞ」
「おい、こうなったら、何も急いで飲むことはない。家に持って帰って、
ゆっくりと飲みなおそうではないか」
そう言って三人は、その大きな酒つぼをかついで家に帰りました。
さて、それから間もなく、
「三人の男が、野原に捨てた酒つぼを見つけたそうだ。そして毎日のように飲んだが、とても良い酒だったそうだ」
と、いう話しが、村中に伝わりました。
それを聞いた坊さんとお嫁さんは、
(あれはやっぱり、ヘビではなかったのだ。人にもやらず自分たちの物にしてしまったので、仏さまのばつをうけて、わたしたちの目にだけヘビに見えたのだ)
と、反省して、それからはもらい物があると必ず人に分けてやるようになったのです。
金はこやしのようなもので、散布しない場合は役に立たない。 フランシス・べーコン
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欲に目がくらむと、まともに物事が見えなくなり、時にしてこのような幻を見てしまいますね。
自分さえよければそれでいいという考えは改めたいものです。
(Sep 6, 2010 06:48:20 AM)
おはようございます。
私たちは、自分の心を身体に入れて、その身体1つだけで
この世に生まれさせて頂いていますが、今、こうして
生かさせて頂いているのも、生を与えられているからだと思うのです。
それと同じように、誕生してからは全て与えられっぱなしだと思うのです。
まずは、誕生と同時に親の愛という心の住環境を与えられながら、
地球という身体の住環境も与えられています。
その住環境の中では、お天道様の光、雲さん、雨さん、山さん、
海さん、空気さんなどの自然が循環して私たちに食物を与えて下さります。
そして「お金」という通貨で、様々なものを手にすることが出来ますが、
結局のところ、お金も、様々なものも、全ては与えられているものです。
(その与えられているものに価格をつけたり、価値を決めたりして、
経済社会、経済活動を生み出しているに過ぎないと思うのです。)
私たちは、様々なものを与えられて生かさせて頂いておりますが、
その与えられているものの総称が「愛」だと思うのです。
与えられた様々な形をした「愛」は、自分に与えられたものでも、
自分だけの為に与えられたものではないと思うのです。
(Sep 6, 2010 07:14:07 AM)
自分だけ得をしよう、自分さえ良ければそれで良い、という考えのもと、
様々な「かたちあるもの」を手に入れることはできるのかもしれませんが、
自分のところで、与えられた「かたちあるもの」を止めてしまい(溜め込んでしまい)、
循環させなければ、その「かたちあるもの」の心、つまり「愛」までは
手にすることが出来ないのだと思うのです。
(「愛」のないもの故に、心が満たされず、次から次へと「かたちあるもの」で
心を満たそうとするものですが、結局、自分の「欲」を満たすだけの行為故に、
いつまでも心が満たされることはないと思うのです。)
なぜなら、「愛」は、与えられているものの総称と思われるが故に、
与える行為にこそ「愛」は常に存在するものだと思えるからです。
(そうでない行為に存在するのは「欲」だと思うのです。)
自分に与えられた「愛(様々なもの)」から得られた学びや気付き、智慧、技術などを、
他の人々や他のことに、自分なりの「愛」の形で還元して、循環させていくことにより、
様々な形の「愛」の輪が広がり、「愛」に満たされ、「愛」で満たされた心が、
人々の楽しそうな、嬉しそうな笑みを生み出してくれるのだと思うのです。
本日も素敵なお話をご紹介頂きどうもありがとうございます。
(Sep 6, 2010 07:14:20 AM)
・ われよし 他もよし みんなよし・・・近江商人の三方よしの心が大切だと思います。(Sep 6, 2010 09:43:59 AM)
僧とは名前ばかりの坊主が多いってことですね。
新興宗教も世界の化石宗教も善を歌って悪をなすか。
アッホーーー!!!!!
は 欲も捨てず煩悩も捨てずとも、善人ぶった悪人は分りますから。
(爆)
(Sep 6, 2010 12:52:54 PM)
喜びは当然分け与える。
悲しみは、分けてもらう。
与える人間になろうとする心がけが、
美しいとおもいます。
ありがとうございます。(Sep 6, 2010 01:48:01 PM)
本当に、私たちの普段の生活の中で
毎日活かされるお話ですね!
私は子供のときから、おやつを作って
人に振る舞うのが好きでした。
邪心も何もなく、ただ美味しそうに食べる
人の顔を見るのが好きでした。
食いしん坊は、大人になっても同じです。
(Sep 6, 2010 05:38:14 PM)