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言葉を“面白狩る”

言葉を“面白狩る”

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2009/04/03
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カテゴリ:カテゴリ未分類

「一後地両庄屋より雨乞之儀申来候ニ付、相談之上願状調、ひかへ
   願状
夜焼 三十日、五十日 但、十二焼
百八焼 一七日
一のほり
一相撲
一おとり
  以上
 七月廿四日
右五品書付、後地庄屋・同与頭一所ニ、社人衆同道ニて龍王御社前ニて雨乞之御祈祷申上、御鬮改申候処、おとり之御鬮ニて、来ル廿五日より七日まで之内、雨可被為下之由、後地庄屋方より年寄方へ申来ル」(宝永二年(1705)七月、「十四日町年誌」)

後地村の二人の庄屋から雨乞いについて申入れがあったので、相談して龍王への願状を作った。これはその控。
願状には、(1)夜焼 三十日、五十日 但し十二焼、(2)百八焼 七日間、(3)幟、(4)相撲、(5)躍りの五種類を記入し、後地村庄屋・組頭が神主と同道し、龍王御社前で雨乞いの御祈祷をして、引いた御鬮を改めたところ、躍りの御鬮であったので、来る七月廿五日より八月七日までの内雨乞いの躍りをして、雨を下して頂くようにしたと、庄屋から町年寄に連絡があった。


この記事は雨乞いに関するものですが、難しい言葉が多く、何が書いてあるのかよく解りません。関係のありそうな言葉を辞書で調べました。

十二焼】じゅうにやき(『広辞苑』)
年占の一。豆・栗・胡桃くるみなどを月の数だけ焼いて、その焼け加減で天候豊凶を占う。東北地方でいう。
百八炬火】ひゃくはちたひ。(『広辞苑』)
東日本で新盆の家あるいは村共同で焚く松明。松火。万灯供養。万灯火(まとび)。万灯。
竜王(『広辞苑』)
〔仏〕竜族の王。仏法を守護するものとする。密教で雨を祈る本尊とする。
【雨乞い踊】(『広辞苑』)
雨乞いの祭に神仏に捧げる舞踊。多くは太鼓を打ち、蓑・笠をつけて踊る。
雨乞い(『世界大百科事典』)
……日本の雨乞いには,鉦や太鼓をうちならし,念仏踊などをして,ひでりをもたらした邪霊を追い散らす雨乞踊のほかに,千焚き,千駄焚きといって,山上に薪をたくさん積み上げ,火を焚いて騒いだり,水神が住むと伝える池や泉の水をもらいうけ,これを氏神や水源地にまいたりする型がある。また百升洗いといって,升をたくさんあつめて,これを水神が住む池で洗ったりすることもある。かつて,牛や馬の首を水神が住むという滝壺に沈めて,雨乞いがおこなわれたこともあったが,この風習は,汚いことをきらう水神をおこらせると,水神があばれて雨を降らせるという信仰によるものであった。雨乞いの祈願にしばしば人形が用いられるが,これは人形に降雨をさまたげる邪霊を追いはらう呪的な力がひそんでいると考えられていたことによる。また,雨乞いのために霊石が用いられたこともある。雨乞石とよばれる牛の形をした石の,鼻にあたる部分の穴に綱をとおして引くと雨が降ったとか,雨地蔵とよばれる石の地蔵を綱でしばり,これを淵に沈めておくと雨が降ったという伝承が各地にみられる。伊藤 幹治


「百八焼」「十二焼」は燈火(焚火)の数を表すものかも知れません。

雨乞いの行事として五つの案を立て、くじ引きで、雨乞い踊をすることに決ったようです。

尾道の近く、沼隈郡の雨乞いについて、次の記事がありました。

「沼隈郡本郷と申村の雨乞は、八幡宮或は龍王社に、百姓群集し、鉦・太鼓をもち、竹竿に木綿或は紙をつけて幟のことくし、踊りを仕候事、乞候時も降り候も同事に御座候。就中鬼と申て、其面をかふり、紅しほりの襦袢なと着し、黒き股引を仕り、四尺計の女竹に赤青の紙を巻き、これを棒ととなへ、団扇に色紙を付てひらめかし、脇指をさし、鉦・太鼓の拍子にあはせ踊り候。中山南と申には、八大龍王の左右に神燈を明し、前に神酒・御飯なとそなへ、社人は広前にて終日祓をよみ、氏子ははね踊り仕候。其体たらく、一人四斗樽のことき太鼓を、首にかけて脇にはさみ、又一人ちさき太鼓を同しく引かけ、又一人鉦を打、又壱人扇を持て、始め終りの世話する者あり。此四人を壱組と申。凡十五組或は二十組、いつれも小なる竹皮笠に丸ぐけの大紐、或は赤く或は黒きも有之。其扇を持たる男音頭を出すに、扇さしあけ、ゑいゑいおふといへは、鉦・太鼓持たる人人、さんまゐどふと答へ、それより太鼓・鉦の拍子を合せ、大庭を四五返はねまはり候。それより踊りになれば、右の扇持たる男、又おんとうを出し候。其うた、伝八兵衛茶屋にこそねつろといへは、鉦・太鼓の人々、茶屋が娘とうたひ、庭を四五返も廻り、踊り申候。還願の時も同断に候。さんまゐとうは、さあまゐらうと申語の?(訛)音のよし申候。」(備後国福山領風俗問状答、『日本庶民生活史資料集成』)
沼隈郡本郷(現、福山市本郷町)という村の雨乞は、八幡宮か龍王社に百姓が群集して、鉦・太鼓を持ち、竹竿に木綿や紙をつけて幟のようにし、踊りをする。降った時も同様である。その中でも「鬼」といって面を被り、紅絞りの襦袢、黒い股引を着けて、四尺ばかりの女竹に赤青の紙を巻き、これを「棒」といい、団扇に色紙を付てひらめかし、脇指をさし、鉦・太鼓の拍子に合わせて踊る。中山南(現、福山市沼隈町)では、八大龍王の左右に神燈をとぼし、前に神酒・御飯を供え、社人は社前で終日祓を読み、氏子は「はね踊り」をする。その様子は、一人は四斗樽のような太鼓を首にかけて脇にはさみ、又一人は小さい太鼓を同じく引かけ、又一人は鉦を打ち、又一人は扇を持って始め終りの世話する者がいる。この四人を一組として、およそ十五組か二十組、小さな竹皮笠に丸ぐけの赤や黒の大紐、扇を持つ男が音頭を出して扇をさしあげ、「ゑいゑいおふ」と言うと、鉦・太鼓持った人々は、「さんまゐどふ」と答える。それから太鼓・鉦の拍子を合せ、大庭を四五回撥ね廻る。それから踊りになれば、例の扇を持った男、また音頭を出す。その唄、「伝八兵衛茶屋にこそねつろ」と言えば、鉦・太鼓の人々は「茶屋が娘」と唄い、庭を四五回も廻って踊る。還願の時も同様である。「さんまゐとう」とは、「さあまゐらう」という語の訛という。






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最終更新日  2009/04/07 08:45:07 AM



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