複数日記。
上野千鶴子が普通のフェミニスト(変な言い方なんだけれど)であったことは、この本に載せられているインタビューでわかる感じがする。
以下↓引用。(インタビュー〔補論〕生き延びるための思想 より)
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その、新しい言葉が作れない、という問題は本当に日本の運動が構造的に
持っている欠陥といいますか……
そう、で、これまではその語彙の貧困に対して言語を備給してくれるような、マルクス主義的なりなんなりといった、出来合いの思想があった。でも、こういう状況になって、出来合いの思想も頼りにならなくなったら、もはや自前で言葉を調達するしかないですよね。
フェミニズムも初期はともかく、現在はもうその段階に来ていると思います。状況がこんなに動くと、ネオ・リベ改革のもとに女が置かれている状況に対して、もう出来合いのフェミの言葉では答えにならない。
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以上↑引用。(小さい文字はインタビューア)
これって上野自身、出来合いの言葉を使ってきたということにならないかな?
それを責めたいのではないのね。
この日記、上野を批判することで女性が自前で言葉を調達できるようにすることが手伝えれば…って思っているかもしれない。
(書いてみないとわからない。)
えーと、また引きになってしまうのだけれど、インタビューの中で上野は池田 晶子(読んだことないのね)という哲学者のエッセイの文中にあった「生きるために思想はいらない。死ぬために思想はいる」というところに噛み付いている。
以下↓引用。
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まあ「男らしい」考えじゃありません?埴谷のニヒリズムにまるまる染まった女が、聞いた風な台詞を吐いた。わたし、それを読んで、怒り心頭に発したんです。男が言ってりゃあ、ただただ、せせら笑えるんですけどね(笑)。女が言うと許せないんですよ。本当に許せない。
「生きるために思想はいらない」なんて談じる池田さんは、何にも分かっていない。そうではなく、「生きるための思想がなかった」ことが問題なんです。思想の多くは――すべてがそうだとはいいませんが――「死ぬための思想」だった、あるいは死ぬために機能する思想だった。保田與重郎でも革命思想でも、死ぬために機能した。それが多くの思想が現実に果たしてきた残酷な役割だったんです。
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以上↑引用。
インタビューを読んでようちゃん2号が思ったのは、思想自体が男性語の可能性はないかな?っていうことかもしれない。
もうちょっと引用してみる。以下↓引用。
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例えば、「尊厳ある生」っていう言い方があるでしょう?その言い方と表裏をなすものとして、こんなにしてまで生きる値打ちがあるのか、という問いがぴったり張り付いています。「尊厳ある生」という時、「生」と「尊厳」のどちらの方に力点があるのか。(中略)
「尊厳ある生」とか言って、「尊厳」を価値として自立させたとたんに、それが「生」より大切な価値になってしまう。「尊厳」の優位が、あたかも究極の自己決定の対象として、「生」より大切な価値になってしまう。「尊厳」の優位が、あたかも究極の自己決定の対象として、「生」よりも崇高なことのように思われてしまう。それはおかしい、ちょっと待った、とどうして誰も言ってくれないのか、と思うんです。
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以上↑引用。
力点の位置を変えてしまうのが思想のような気がする。
それとか、思想っていうのがそもそも死ぬためにあるんじゃないか?って思う。
もうちょっと。以下↓引用。
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革命思想の中にも「死ぬための思想」が厳然とあって。連合赤軍は、実に見事に死ぬための思想だった。右であれ左であれ、死ぬための思想は世に満ちています。
上野さんの言う「男仕立ての思想」、死を覚悟する思想の系譜は、そういう意味
では分厚くって、男たち自身じゃあ分からないのかもしれない。
それが、ヒロイズムというものの核心にありますものね。自己犠牲って、家族や恋人のためとは言いながら、その実、他人のためではなく、自分の奉ずる理念や理想のために、自ら進んで殉じるのだから、究極のマスターベーションですよね。小林よしのりの『戦争論』[1998]のオビに「戦争行きますか?それとも日本人やめますか?」とあって、これが脅迫になってしまう受け止め方がある。国家とか民族とかという価値は、生命を賭しても守るべきものだと信じたい人たちがいる。
(中略)
そういいうヒロイックな価値に向けて男たちを競い合わせるような、うまいしくみもできています。だから、より過激に自己犠牲に走る人間を、男たちはけっして悪く言えないんです。生き延びた男は必ず負い目を持ちますからね、臆病者、と。
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以上↑引用。
うーん、男性として耳が痛いというか目が痛い部分があるな。
殉じるっていうのにかなう死に場所があれば、ようちゃん2号、喜んで行っちゃいそうだもの。
(うへへー、ってね。)
そんで、ようちゃん2号が、思想っていうのを男性語と見たり、力点の位置を変える作用があると思ったり、死ぬためにあるんじゃないかと思ったのは、この本を読んだからで、それだけ触発される本だということになると思う。
以下↓引用。
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女もヒロイズムは好きですよ。というか、男にはヒーロー願望があり、女はヒーローの男が好き。女だってヒロイズムに向けて男を駆り立ててきた点では、共犯者でもあります。だけどわたしは、ヒロイズムは女のというか、フェミニズムの敵だとずっと思ってきました。フェミニズムって、やっぱりダサくて日常的で(笑)、「今日のように明日も生きる」ための思想なんです。じゃないと子どもを産んでいられない。
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以上↑引用。
バカにするわけでもなんでもなくて、子どもを産むのに思想が必要なんかな?って思う。
子どもを産むのに思想が必要になっているのが今の状況なんだとしたら、そのこと自体が問題なんじゃないかな?
(子どもを産むのに義務感が発生していると『負け犬の遠吠え』に書いてあったと思った。)
逆に、子どもを産めない性である男性が必要としたもの、「自分が生きる以上の価値が欲しい」と考えたところから思想が生まれたんじゃないかって思う。
そうか、そんなだから男性は放っておいても思想を持つんだと思うのね。
だからかどうなのか、人からなんかとりたてて「愛国心」なんていうのを持ち出されるのが、どうにも我慢できない感じがあるな。
愛国心を取りざたするってことは、生を大切にしないで死ぬっていう空間を強めているってことなんじゃないかな?
思想という、入り込みやすいところへの、その道筋をつけてやろうって感じ…?
(だれがこんな権限を人に対して持っていると勘違いできるんだろう?)
ようちゃん2号は、女性には共感する力があると思うのね。
だから、思想ではなくて、今回の著書のように自己省察からの思考を明らかしていくことが、女性の言語を獲得していくということになるんじゃないかと思う。
えーと、著者は一章の論文が自分の思索の到達点としている。
それについても日記に書きたいことだな。