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カテゴリ:心の旅(ころころ変わるココロ)
上野千鶴子の『生き延びるための思想』を読んで、ちょっとわかりかけのことを並べてみようと思うのね。
自分に対する問いかけという感じになるかな? 「思想」ってのは、「死ぬための思想」という極端な理解を書いてみたけれど、もうひとつ「人をコントロールするための思想」っていうのがある感じがする。 そのどちらかでしかないかな? 男性の場合、性として子どもを産むということができないから、そのままでは「単一的な生」以上の価値を持てないんだね。 それで女性よりよっぽど強烈に言葉や思想にしがみつくのかな? 生の証(あかし)を求めて渉猟する感じ。(狩猟本能ってそういうことなのかな?) 前の日記で男性語、と書いたけれど、多くの男性は男性語を使っていることに気がつかない。 これは言葉というのがそもそも男性語でできているからだと思う。 これって、見ようによっちゃ男性は「言葉にからめとられている」っていうことだと思う。 そしてなかなかそのことに気が付けないんだな。 じゃあ女性は?っていうと、「自分の言葉を持たない」っていうことになると思う。 そしてやっぱり、なかなかそのことに気が付けないんだな。 気が付けても、それを表現する言葉がないっていうこと。 両性とも、言葉にからめとられたり、自分の言葉を持たないという不自由さを持っているってところでは一緒なんだけれど、そういうことへの理解だとか、それへの諦念っていうかな?そういうのお互いにないんじゃないかと思う。 まず、理解があって、その後に諦念っていうのがあると思う。 「諦念」っていうのは、ようちゃん2号的言葉で言うと「へこたれ」。 ままならない不自由さがあることをよく理解して、それに反発するのではなくて、受け入れるということが必要なんじゃないかと思う。 朝日新聞の「ジャーナリスト宣言。」に感じた違和感は、こういう言葉自体の持つ不自由さを自覚さえしていないと見えることだな。 (ようちゃん2号しつこいね) 【「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」】 なぜ、言葉が感動的で、残酷で、ときに無力なのかへの理解がまずないんだね。 【今後もジャーナリズムの原点に立とうという思いを、力強い言葉に込めました。さまざまな改革に着手し、テレビ・ラジオCMや交通広告などでアピールしていきます。】 原点が見えていない、というか見ようともしていないことが、伝わってこないかな? 【こんなコピーにメッセージを託しました。ペンを握り、言葉を組み合わせ、文をつむぎ出し、真実を伝え続ける。きっと何かが変えられる。そんな思いを込めています。】 見ようともしていないから、また反発というか抵抗するようにペンを握りなおす。 そして言葉をまた組み合わせる…のー? つむぎだす言葉は男性語なんだよ。 そして、男性語は思想を作りたがるんだな。 この宣言は、思想を立ち上げたいっていうことへの禁欲がないということを表明しているんだね。 …へこたれてなくて、なんていうかな?…「だだもれ」…。 そもそも、「思想」には上げ底がある。(トラックバック) 「上げ底をきっちり埋めていくことを放棄します宣言!」。 それを埋めるのはたぶん身体感覚からくる思考なんだな。 それなのに、それすっ飛ばして「わかってー」って、おねだりしている感じ…。 それじゃあモテるはずがないよね。 上野千鶴子の「もてないやつは、オナニーしながら死んでなさい」っていう声が聞こえそう。 …ほんと、「いっぺん死んだらいかが?」…ってね、思う。(生きるためにだよ) ひー、自分だけものわかりよくして、助かろうって下心から書いているんじゃないと思うのね。 …複数日記に続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年04月21日 11時00分13秒
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