Yoko's Home Page 別館

Yoko's Home Page 別館

妊娠中毒症

妊娠中毒症

妊娠7ヶ月の頃から体がむくむようになっていたのだが、検診の時に先生に言っても「仕事をしているんでしょ?このくらいのむくみは仕事をしているんなら普通だよ」と言われてしまっていた。自分自身はかなりのむくみでとても気になっていたのだが、先生にそう言われてしまえば何も言えない・・・。夜寝るときに足を少し高くして寝たりしていた。
里帰りの前の検診の時に、尿検査と血圧測定が終わると、病棟へ行って「NST」を受けてくるようにと言われた。NSTは、胎児が元気であるかどうかを、分娩監視装置をつけて胎児の心拍数と子宮の収縮、胎動を20分くらいの間チェックする検査。
NSTの結果、胎児はとても元気であることがわかったので問題なかったのだが、先生には「あまり動かないように。里帰りをしたら一日でも早く病院に行ってください。」と言われてしまった。
里帰りをしてから、はじめて実家の方の病院に行ったときに、その場で入院になってしまった。
尿蛋白が+になっていて、血圧も高めだったのだ。
外来の看護婦さんの説明では「検査入院」ということだったのだが、病室に入ってから受けた説明では「妊娠中毒症」だと言われたのだった。
「前の病院では何も言われなかったの?」と言われたりして、かなりびっくり。そうっかぁ、「動かないように」と言われたのは妊娠中毒症だったからなのか。
妊娠中毒症がひどくなってしまうと緊急手術での出産もある、ということで、ひどくならないようにして37週まではもたせようということでの入院だった。
普通の部屋(4人部屋)を希望したのだが、あいていなかったので個室に入った。とても淋しい感じ。入院するのははじめてなので、すごく不安。
部屋が空いたので、夜にはふたり部屋へ移動。そこでいっしょになった人も、同じ日に検診を受けたまま入院になったということだった。出産ラッシュでベッドが空かずに、この部屋に来る前は出産の人が入る予備室(陣痛室)に入っていたそうだ。
次の日には、ふたりとも4人部屋に移動することができた。出産した人はどんどん退院していくので、個室から大部屋へとだんだん出世できるのだ(^^;。
入院中は、減塩高タンパクの食事と安静。わたし的にはすごく元気なのであちこち歩き回ったりして、「ベッドに寝ててください~。」って、看護婦さんにしかられてしまった。
食事は、デイルームというところで食べるのだけど、食事以外は部屋から出るな、と言われてしまったのだ。だけど、やることはないし、たいくつでたいくつで・・・。ついふらふら~っと電話をかけにデイルームに行ったりしていて、そういうところを見つかってしまうのよね~。
4人部屋では、私以外の人はみんな産婦さんだったので、お腹が大きいのは私だけ。他のみんなは授乳の時間、講習の時間、というふうにスケジュールが決まっていて行動していたのだけど、私だけな~んにも予定なし。2日にいっぺん回診があって、あとは検査で外来に行くくらい。
赤ちゃんが生まれて幸せそうな人たちの中で、ひとりだけ大きいおなかでベッドに寝ている私って・・・。
夕方になるとダンナ様が毎日のように来る人が多くて、それも淋しかったなぁ。涙が出てしまった~。
食事のときは、なんとなく産婦さんチームと妊婦さんチームという感じでテーブルが分かれていたので、他の部屋の妊婦さんといっしょに食事をしていた。妊娠中毒症の人はいなかったのだけど、切迫早産でずっと点滴をしている人や、胎児の成長が悪くて治療している人もいて、いろいろな話をすることができた。
デイルームでの食事のときだけ、彼女たちと会うことができるのだけど、そういう場があって良かったな。ずっとあの病室にいるのは辛すぎる~。
8日間の入院だったのだが、ベッドが少ないのでとりあえず退院、家で安静にするように、とのことだった。「1週間後の次の検診で戻って来ないように家でおとなしくしていて、戻ってくるのは出産の時。」と先生に言われた。
次の週の検診のとき、また入院ということになりそうになってしまったが、なんとか免れた。先生が言うには「本当なら入院してもらいたいところだけど、とにかくベッドが空いていない。1週間の猶予をあげるから、家で安静にしているように」。
次の週もその次の週もなんとか免れて、出産時まで、病院に戻ることにはならなかった。
出産の前に入院したことは、それまで入院したことがなかった私にとっては良かったかもしれない。入院生活がどんなものか、また、産婦さんの生活も見ることができて、出産の入院の時のイメージをつかむことができた。

前へ 次へ



© Rakuten Group, Inc.