ギリシャ・エーゲ海クルーズ~クレタ島――クノッソス宮殿遺跡(その2)
ギリシャ・エーゲ海クルーズ~クレタ島―クノッソス宮殿遺跡(その2)クノッソス宮殿の東側を東翼と呼んでいます 主に、王様などの私生活が営まれる部分と搾油、製陶などの工作が行われる部分が配置されています。 4階建ての複雑な構造になっていて、王族の私生活が営まれる居室や搾油、製陶をする工作室などが展開しています。 控えの間、大広間、接見の間、両刃の斧の大広間、女王の間、作業所などですが、大階段につながっています。宮殿は、部屋数が多く、一連の建物にまとめるため多層づくりになり、通風採光が悪くなるため、要所に上から下まで吹く抜けの空間を設けて通風採光を図っています。エヴァンスはこのような構造を「光の井戸(Light Well)」と名付けています。女王の間には、色鮮やかなイルカの壁画(複製ですが)があり、隣には浴室や水洗トイレもみれます。 その北側には、職人仕事場と倉庫が集中しています。いわゆる宮廷の工房区といえましょう。 倉庫には、粘土で作った大きなピトス(瓶)が保存されています。オリーヴ油やワイン、穀物などが貯蔵されていたのでしょうか。発掘された大甕の中からオリーブの実や小麦の種などが見つかっています。 また、この地域には配水管や上水道の粘土管が見られ、給排水施設の整備がうかがえます。はめ込み接合した土管が主な部屋の床下に通っていたそうです。クノッソス宮殿の北の入口から中央広場に至る爪先上がりの舗装の小道が続くところの左右に見張りの堡があったが、現在は、右のもののみが復原されています。その赤彩色の列柱廊の壁には牡牛の浮き彫り壁画(複製)が復原されています。劇場と呼ばれている宮殿の北西のところにあります。収穫や宗教に関する祭典などが行われたところと考えらています。観客席には貴賓席と呼ばれている特別席も設けられていたといいます。3000年以上も前の石畳で舗装された路が野外劇場からまっすぐに伸びています。王の道といわれる路で、元はクノッソス港まで通じていたといいます。 北側の2階に、壁画の部屋があります。壁画について クノッソス宮殿遺跡は、古代における絵画、特に壁画の宝庫です。 新宮殿時代になって、白色で純度の高いストゥッコ(一種の漆喰)が作れるようになり、顔料が発達して色彩が自由になってきました。 赤、白、黄、黒、青、緑など 壁画は、フレスコ画で、室内の壁面、天井、長押、廊下、入口の壁面にまで描かれています。 クレタの壁画の特徴は、 幾何学文様、植物、動物、宮廷生活など題材にしています。 パリジェンヌ、牛の上のアクロバット、青い鳥などのフレスコ画です。いずれも複製ですが、修復されたものがイラクリオン考古学博物館に展示されています。この遺跡の発掘者、アーサー・エヴァンスがフレスコ画に描かれている女の顔を見て「パリジェンヌ」と叫んだのが、この絵をパリジェンヌと呼ぶ由来だそうです。イラクリオン考古学博物館イラクリオン考古学博物館は、イラクリオンの旧市街の東側にあります。ヴェネツィア時代、1856年の地震によって破壊されるまで、聖フランシス・カトリック修道院として使われていました。 1937年から1940年にかけて博物館が建設されました。 この博物館には、クレタ島で見つかった考古学上の出土品が収められています。 現在の展示は、1951年から1964年の間に系統的に編制整理され、新石器時代からローマ時代に至るまで、特に、紀元前2,800~1,150年に興った「ミノア文明」(古代クレタ文明)の出土品を中心にして、第1室から20室まで展示されています。 展示品の中で印象深いものとして、土器類があげられます。特に、カマレス式土器は、旧宮殿時代の発掘文化財を代表する勝れものです。豊富な色彩と、多様な文様などが特徴的な土器です。いずれもカマレス式土器で、貝殻ほどに薄い器の壁に曲線を中心とした繊細でモダンな文様を多彩な色で施したものです。