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よろず屋の猫

第1章 『宴』 その1

ファーメイは鏡の中の自分の姿を見てうんざりする。
衣装は白地に微かに肌色を帯びた、腰のあたりがゆったりしたもの、それに絹糸や貴石や半貴石でたっぷりと刺繍が施してある。これはこの国・ローヴァの民族衣装だから仕方がない、それにファーメイも気に入っている。問題は装飾品の数だ。
髪に額、首、耳、そして胸元、およそ飾れるところには全て豪華な物が輝いている。
ローヴァでは王族の女性は、腕輪に鎖でつながれた指輪を左手につける慣わしがあり、これははずせない。見事な透かし彫りの細工をほどこしてはあるが、その形自体は極めてシンプル。しかし左の残りの指と、右手にも幾つかの装飾品をつけていた。
ファーメイの衣装は袖が長く、更に袖はしには幾重にも寄せた薄絹がついていて、指先まで完全に隠れている。
「余り意味がないんじゃないの。」とファーメイが言えば、「ちょっとしたしぐさでわずかに見えると言う事に意味があるのです。」とファーメイつきの女史に諭される。
「お願いよ、私はゴテゴテと飾り付けるのは好きじゃないの。」
「とんでもありません、ファーメイ様。ミクラ様はこれ見よがしに飾り立てて来られるでしょう。この宴は宮廷での女の勢力を誇示する為のもの。今、より力を持っている者がどちらであるかを見せ付ける場なのですよ。」
「そんな大げさな。」と言うファーメイに、「お分かりになっていない!!。」と女史は声を高くする。
「ケナティー様が亡くなられて以降、まるで後宮が自分のものであるかのようなミクラ様の振る舞い、ファーメイ様もご存知のはず。このままではローヴァの未来はミクラ様側にあると臣下に思われてしまいます。」
と言う訳で、鏡の前のファーメイの姿があるわけだ。
「私は宮廷の勢力争いには関係なくてよ。」と言っていたナーシェには、ナーシェ付の女史がヨヨヨと泣いて見せる。
「ケナティー様はナーシェ様を実のお子と思い慈しんでおられましたのに、そのようなお言葉、ケナティー様がお聞きになったらさぞや悲しまれましょう。」
これにはさすがのナーシェも折れる。
ナーシェは光の加減で金にも見えるオレンジ色の、身体の線を出しながらも王族の気品は失わない彼女の国の民族衣装に、これは彼女が国を逃れるときに持ち出したケープを髪にかけている。ケープの端は石で飾られ、額をその見事な刺繍が来るように覆って、細く編んだ髪を数本両脇に垂らして、残りの髪はケープで包み、後ろに流している。
そして彼女の守護神である天后をモチーフにした首飾り、これも彼女が命からがら携えてきたものである。
一方、ファーメイの胸元にはケナティーの遺品である、王が王妃の為に特別に作らせたという月と星をモチーフにした、中心に大きな貴石、その周りに小さな青、緑、赤の石を配した飾りが輝いていた。
ファーメイとナーシェは、お互いを見てため息をつく。
そこに扉を叩く音がした。
「お仕度はお済でしょうか。」
ティガシェだ。
後宮には王族と、後宮の雑多な仕事に携わる者、それに近衛兵以外の男性は入っては来れない。しかし“護る者”の役についているものは別だった。彼らは主人を護るためなら、どこへでも行ける、極端な話、主人の為とあれば湯殿でも可能だった。
女史の許しの声がかかると、ティガシェは何のためらいもなく女達の着替えの部屋に入ってくる。
「お二人ともすごいですね。」とこれが第一声だった。
「私だってしたくてしてるわけじゃないわよ。」
ファーメイがチラリと女史達の方を見ると、彼女達は知らん顔で片づけを始めた。
この後、まず王族の主だったものたちを集めて晩餐会がある。好きでもないミクラと食事を共にすることだけでも憂鬱なのに、こうも重たいものをジャラジャラとつけて臨まなければならないと思うと、仮病でも使って逃げたくなる。
「ファーメイ様、ナーシェ、これを。」
ティガシェの手のひらの上には、小石ほどの玉のついた髪飾りが乗っている。
「ちょっと待ってよ、それじゃなくてもこんなにゴチャゴチャついてるのよ。」とファーメイは自分の頭を指差す。
「これ以上は一個だってつけません。」
「良いから、お付けください。これは御守りです。」
ティガシェは有無を言わさずファーメイの髪に玉の飾りを刺す。
「おまもりぃ?。」
ファーメイがすっとんきょうな声をあげている間に、ティガシェはナーシェのケープの端を持ち上げ、同じように髪に玉を刺した。そのしぐさが優しく見えるのはファーメイのひがみだろうか。
ナーシェはティガシェの顔をじっと見て、「分ったわ。」と頷いた。ナーシェにそう言う態度を取られては、ファーメイも我慢せざるを得ない。
「申し訳ない、ナーシェ。ファーメイ様にお話があるので。」
ティガシェが頭を下げると、ナーシェはもう一度「分ったわ。」と微笑んで、女史達を促して部屋から出て行った。
どうせ晩餐会における注意事項を細々と言われるのだ。あれはいけません、これはいけません、あぁしなさい、こうしなさい。特にミクラ様に対しては決して自分の心が知れるような振る舞いはなさらぬように・・・。
そう思っていたので、いきなりティガシェが伏して額づき、礼の姿勢をとったのには驚いた。
「何をしているの、立ちなさい。」
しかしティガシェは頭すら上げない。
「ファーメイ様にお願いがございます。」
“様”付けのことはこの際おいて、とにかく平伏をやめさせたい。
「話は聞くから。とにかくその格好をやめてちょうだい。」
その言葉にやっとティガシェは頭だけ上げる。
「ファーメイ様、今宵の晩餐会でウルムジンとの結婚を発表してください。」
余りの内容にファーメイは言葉を失う。
「それが王の願いであり、ローヴァの国のためです。ウルムジンはグシククル様の長子。グシククル様は未だ宮廷内に於いて絶大な人望をお持ちです。ファーメイ様の夫がウルムジンであれば、今はトーチャウ様についている者達もひとまず様子見に転じましょう。国の安定のためにはこれが一番の選択です。ひいてはファーメイ様の幸せのためでもあります。」
「私はウルムジンを愛していない。ウルムジンは幼なじみで私にとっては友人です。その男と結婚することが私の幸せだとティガシェは言うの。」
ファーメイはティガシェを怒鳴りつけていた。
「あなたは王女でいらっしゃる。この国のことを考える責任がおありです。そしてあなたの選択肢は今とても少ないのです。」
王がファーメイを、ティガシェ、セムジン、セヤク、ウルムジンの誰かと結婚させて、王位を継がせたいと発表したとき、ティガシェの瞳がほんの一瞬輝いたのをファーメイは見た。あれは何だったのか。
いつもはすかした顔のティガシェが、「私と結婚してください。」とこいねがったら、許してやっても良いとファーメイは思っていた。
「二度と私を“様”付けで呼んではだめよ。」と応えようと、ファーメイは夢見ていたのだ。
「あなたは私と結婚して、権力を手にしたかったのではないの。」と問うファーメイの声はかすれている。
「私はファーメイ様と結婚するなど、考えたこともございません。」
ティガシェの声は抑揚がなく、瞳はまっすぐにファーメイを捉えている。そのティガシェの姿が淡くぼやける。涙が出るのだとファーメイは気付き、唇をかみしめて必死にこらえる。
「ティガシェ。」
ファーメイは声に威厳を帯びさせて名を呼ぶ。ファーメイは現王の唯一の正室ケナティの娘、ローヴァの第一王女、声に言葉に態度に、人をひれ伏させる方法は心得ている。そんなものは生きてきた過程で身に付いている。
「あなたと私の幸せの形がどうやら違っているようです。私の幸せをあなたが理解できない以上、あなたに私を護れるとは思えません。今この時をもって、あなたを“護る者”からはずします。王には明日にでもお願いして、正式に罷免の沙汰を出しましょう。」
しかしティガシェは「ファーメイ様。」と駄々っ子をたしなめる声。それが返ってファーメイには頭に来る。
「これ以上、あなたと話したくはありません、意味のないことです。晩餐会も宴も共にする必要はありません。」
きびすを返して部屋から出て行こうとするファーメイの腕を、ティガシェは素早く立ち上がり掴んだ。ファーメイはティガシェを睨みつける。
「離しなさい。あなたはもう“護る者”ではありません。王女に対してこの無礼、許しませんよ。」
「私はケナティー様に見出され、王によってファーメイ様の“護る者”に任ぜられました。」
ティガシェはファーメイの腕を引き、顔を近く寄せる。
声は囁き、しかし強い意思が込められている。
「何があってもあなたのおそばを離れません。」


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