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カテゴリ:アニメ
今回初めて、ソルジャー・ブルーの声は杉田さんで良かったと思いました!!。
あの語りは“小さい子供のお父さん”かのよう杉田さんの声でなければダメ。 少年の声ではジョミーには通じなかったと思う。 月曜日も火曜日も朝も早からお出掛けの予定なので、じっくり考えて記事を書く時間がとれません。 なので思ったことだけ勝手に書き連ねる超自分勝手感想。 ミュウの力に目覚め、成層圏へ向かって飛び続けるジョミー。 地球軍の攻撃をものともしないその力、さすがはブルーが後継者と定めた者。 そのジョミーを救うべく、自分の命を賭して向かったブルー。 しかしジョミーは混乱して聞く耳を持たない。 ジョミーに見せるブルーの記憶。 300年前の成人検査、そこで記憶の消去に抵抗したブルー。 成人検査で能力が発現したおそらくは初期のミュー。 迫害されるミューたち。 “人間”が語る、「ミューの排除は“マザー”の意志。」。 それらの記憶を追体験して自分に戻ったジョミーの覚悟。 ジョミーに対して自分の思いのありったけを語るブルーが印象的な回でした。 これは少年の声ではダメだわ。 “ママ”の記憶はジョミーに強くある。 一方、父となるべきはブルーか?と思わせたほど。 ブルーが戻るまではと必死に防衛するミューの船も悲壮。 もともとは戦う意志のないブルーを指導者としているミューたち、防衛のためとはいえ、ほぼ始めての戦い。 その船の前に現れた人影は力尽きたブルーを抱きかかえるジョミー。 世代交代を印象付ける絵だと思いました。 私はミューたちが、自分達と敵対する存在を“人間”としていることにすごく違和感がある。 原作を細かく覚えてないのですが、当時もそう思っていた気がするので、たぶん原作にもあったのだと思う。 それではまるでミューは人間じゃないみたい。 確かに迫害されて、憎む相手なのですから分かるのですが、それでも自分を“人間”とするか、そうではないかでは大きな違いがあると思う。 ミューたちに自分達は人間よりも優れた存在とする選民意識があれば大問題。 それはブルーの望んでいることと違うと思うのですよ。 ブルーはあくまで“人間”との対話を望んでいる、帰るべき場所地球に共に住む存在として。 争いたいわけでも、まして“人間”を滅ぼしてミューたちの天下にしたいわけでもないはず。 死を前にしてミューたちに語りかけるブルー。 その言葉を聞きながら、ブルーの意志よりも、ジョミーをブルーの後継者とすることの方に反応するミューたちもいる。 ジョミーの反発も当然だと思うけれど、一方そのジョミーを自分達の指導者とすることに反発するミューの気持ちもよく分かる。 けれどその感情に彼らが“人間”と呼ぶ者達と同じものを感じる私には、ミューを“人間でない者”とするのにもの凄く抵抗感がある。 ソルジャー・ブルーの声を、原作者の(当時の)趣味に反するかのように、大人の声を持つ杉田さんにしたように、原作がミュー達が自分達を“人間”としていなくても、アニメは“人間”としても良いのじゃないかと思う。 原作は、社会的な問題を扱っていた。 今、このアニメをやるのならば、その方が社会的だと思ったりします。 さて、ちょっとマジメに感想書いてみましたが、ブルーは永遠の眠りにつくわけです。 ジョミーにはなーんの思い入れもない私としては、キースはいつ出てくる?がもっぱらの関心事。 確かに今までの話も考えさせられるという点で優れた話なんですけど、そう言うのとは別にして、楽しめる話としては、キースが出て来なくちゃ始まりませんわ。 ●UVERworld“endscape”<初回生産限定盤>CD+DVD(2007/5/30) 申し訳ないけど『地球へ』というとこっち↓の方が、今の私には上出来と思ってしまうわ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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