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テーマ:休日の過ごし方(2464)
カテゴリ:見たい!行きたい!跡地めぐり
慶応4年4月11日。江戸無血開城。
土方さんは、島田魁・中島登 ・畠山芳次郎・沢忠助 ・松沢乙造・漢一郎と共に江戸を脱して鴻之台に至る。 ~総寧寺~ 旧幕軍が終結した場所。 ここは今公園になっているけど当時は一山境内だったらしい。 山上からは江戸川、江戸の町が見える。 総寧寺は曹洞宗のお寺で、始めは永徳3年(1383)に近江源氏の佐々木六角氏頼により近江に創建された。 天正3年(1595)に北条氏政により、関宿宇和田(埼玉県幸手町)に移転され、さらに江戸時代に入って元和3年(1617)内町(関宿町)に移転した。 総寧寺は徳川家康の庇護のもと、曹洞宗の寺院の総支配権をもつようになる。 寛文3年(1663)、四代将軍徳川家綱により国府台城の跡地に移転する。 その寺領は128石5斗、山林6万7千余坪を占める広大なものだった。 現在の寺領は狭くなっているが、当時の参道は里見公園から東京医科歯科大学教養部のキャンパスを突っ切って真間山下まで伸びていた。 歴代住職は十万石大名の格式を持って遇され、江戸小石川に邸が与えられ、今でも「下馬石」が境内に残っている。(東京医科歯科大学教養部HPより) そのせいか、葵の御紋がついているのだ。 そして入り口にあるこれがその「下馬石」。当時ここで馬を下りたのだ。 翌4月12日、市川の大林院で軍議。 残念ながら大林院は今、跡形も無くちいさな公園と幼稚園になっています。 総武線市川駅から割とすぐ近くです。 ここで、 大鳥圭介は土方さんと運命の出会いを果たす!! これから一年とちょっと土方さんと大鳥さんは一緒に戦っていくのだ♪ とはいえ、軍議の決定により土方さんは参謀だが前軍で先鋒、大鳥サンは総督だが中軍だか後軍だか(はっきりしてないらしい)で別行動。 このとき秋月登之助を隊長とする前軍は約千人。 内訳は伝習第一大隊・桑名藩兵・砲兵隊など。 島田さんたち新選組は中軍で、大鳥サンと一緒。 12日小金宿陣 ちょっと当時の面影ありの旅籠が残ってます。玉屋といいます。 土方さんは参謀なのでもっとイイ宿に止まったらしい。 ~本陣跡~ こっちが本陣跡。井筒屋という屋号の旅籠です。 玉屋のちょっと斜向かいくらいにあります。 建物が全く残ってないのがザンネン。 小金は流山にも近い。 ほんの何日か前まで一緒にいた、近藤さんのことを考えたであろう土方さんを思うと…。 13日布施宿陣 布施弁財天 土方隊宿陣地。 土方さんはここには止まらず近くの旅籠に泊ったらしい。 …参謀だからね ここからは利根川が良く見える。 天気が悪いのが残念だぁ~。 布施弁財天は真言宗豊山派の寺で、上野不忍・江ノ島の弁財天と共に関東三弁天と呼ばれる。 すげーキレイな本堂でした。 15日朝7時~8時頃「布施の渡し」から利根川を渡り水海道へ。 大鳥隊のルートに関しては諸説あり、新選組も途中まで大鳥サンと一緒だったけど途中から土方隊に合流している節もありまだまだ謎がいっぱい。 ただし 13日の昼食は大勝寺(現・松戸市大谷口)でとったことがわかっているらしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年10月29日 23時43分13秒
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