551998 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ホタテバーガー☆ミ

ホタテバーガー☆ミ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

カテゴリ

カレンダー

バックナンバー

2024年04月
2024年03月
2024年02月
2024年01月
2023年12月

コメント新着

 ちにた@ Re[1]:ご、合格だと?!(06/12) どどんぱさん ありがとうございます~! …
 どどんぱ@ Re:ご、合格だと?!(06/12) おめでとうございます! 読んでいるだけで…
 ちにた♪@ Re[3]:会津若松図書館(09/25) たんごさん ものすごく遅いレスでごめんな…
 たんご@ Re[2]:会津若松図書館(09/25) はじめまして。 古い記事への問い合わせ…
 ちにた♪@ Re:おめでとうございます☆(05/10) どどんぱさん ありがとうございます。 こ…

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2006年05月24日
XML
名古屋城
ココは知らない日本人はいないんじゃないかってくらい有名なお城だけど、その歴史となると案外知らないでしょ←ワタシだけ…?

もともと駿河国の今川氏親(義元の父)が尾張進出の為柳之丸を築きその子、氏豊の居城としたのが始まり。大永年間、1521~1528年の辺り。
うお~。480年程昔ですな。

その後、織田信秀が奪い那古野城と称する。
この城で1534年(天文3)織田信長が生まれた。(異説有)

~那古野城跡~那古野城跡
名古屋城築城の折は二の丸の一部となった。

織田信長の活躍と豊臣秀吉徳川家康の物語はご承知の通り。

天正10年(1582)那古野城は廃城
そして三人の物語が一応の決着を見た後の慶長14年(1609)徳川家康は名古屋城築城を決定する。
6年の歳月をかけた慶長20年(1615)天守台、本丸、二の丸、西之丸、御深井丸(おふけまる)、本丸御殿、天守閣完成する。

徳川家康が駿府城で没する前年のことである。

そして寛永10年(1634)時の将軍家光上洛時の宿舎に使用する為、本丸御殿の大改修(御書院(上洛殿)御上がり場書院(御湯殿書院)など)が始まり、このときに狩野探幽らが増築部分に障壁画を書く。

家光が狩野派を好きだったのか。
二条城のような障壁画が今でも残ってます。

寛永11年(1634)7月、家光、上洛の為に名古屋城に立ち寄る
以後上洛殿(本丸)は空家ってことですな。
たった一度、それも数日へたしたら一日の為にこんなもの作っちゃうんだから時の権力者の力ってのは本気ですごかったねぇ。
誰も文句言わないんだもんね。
家光が去った後、本丸御殿は尾張藩士により黙々と手入れをされるだけとなった。

ところで尾張藩主はどうしていたのかというと、二の丸に居たんだねぇ。
築城直後は本丸にいて二の丸のほうに将軍の御座所があり、家康や家忠もこちらを使っていた。
でも本丸を将軍の御座所と決めてからは藩主は二の丸に移り、住居兼仕事場となったのだ。
もっとも二の丸とはいえ本丸・西丸・御深井丸の3つをあわせたものに相当したって言うんだから相当なものですな。
現在の愛知県体育館は二の丸の馬場跡だそうですよ。
馬場だけであの広さ…。

さて、御深井丸(おふけまる)って何?と思うでしょ?
初めて聞く名前ですな
え~っと、御深井丸は…。

本丸の北西に位置し、本丸とは不明御門で連絡でき、本丸北側の御塩蔵構(おしおぐらがまえ)や西丸とも狭い通路でつながっていた。
櫓は北西隅と北東西寄に2棟あり、うち北西隅にある戌亥隅櫓が現存している。
三階櫓と称され、三層三階のその規模は弘前城天守や丸亀城天守も上回る大きさである。
清洲櫓とも呼ばれるのは、慶長16年(1611年)に清洲城小天守を移築したものと伝えられるためである。
本丸の後衛を担う郭と思われるが、櫓以外の郭周囲は土塀を巡らせただけで、元和堰武により工事が中断し、そのまま江戸時代を過ごした。
郭内は各種の蔵が建てられたと思われる。

つまり倉庫群ってこと?
広い…。本丸より広いんじゃない?ってくらいの敷地を持っていますな。
どうやら名古屋城ってのは籠城を考えて作られた城らしいですな。
ほとんどの城もそうだろうけど、特にここはそんな気がする。

私の場合、城をちゃんと見たのが「二条城」。
最初だったせいもあってただただ感激しただけだったし何より絢爛さにビックリしちゃったなぁ。
広いとは思ったけど御所のほうが全然広かったし、天守閣もなかったから城ってこんなものか。と思いましたわ。
次に「五稜郭」をみてもあまり違和感がなかったんだよね。
「城」なのに。
西洋風って言う言葉に惑わされたって感じ?広さも装備もあまり感じなかったのさ。
次に見たのは「江戸城」だけど、広いなぁと思ったし、戦う為の建物。将軍の居城。っていうイメージだけだった。
それから「鶴ヶ城
ここは戊辰戦争のコトしか頭になかったから天守閣と走長屋だけ見て満足しちゃった。
で、「名古屋城
なんの思い入れもないせいか(苦笑)ようやく冷静に「城」を見られたようで。
いやぁ面白いね、城。
「城マニア」のキモチが良く分かりますよ。
それぞれの存在の意味っていうかその城が一番機能していた時代背景とか考えてみると、当時の人たちの想い必死さが伝わってくるようで。
門ひとつ櫓一つ取ってみても深すぎて語りつくせない
今いろんな城で再建計画がすすんで復元しているけど、ただのテーマパークのようにだけはしてほしくないね。
エレベーターや電気はつけて欲しいけど(笑)間取りとか、天井の様子とか、襖、欄間、釘隠しなんかはちゃんと教えて欲しい。

あぁ、アツク語ってしまいましたな。
続きは次回。

すすむ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年05月24日 12時56分36秒
コメント(0) | コメントを書く
[見たい!行きたい!跡地めぐり] カテゴリの最新記事


フリーページ

幕末の人物~箱館関係者~


伊庭八郎


天野新太郎


大塚浪次郎


甲賀源吾


中島三郎助


本山小太郎


古屋作左衛門


春日左衛門


荒井郁之助


高松凌雲


榎本武揚


松平太郎


永井尚志


沢太郎左衛門


大鳥圭介


小芝長之助


小野権之丞


外島機兵衛


竹中重固


星恂太郎


滝川充太郎


松平定敬


幕末の人物~新選組~


近藤勇


畠山芳次郎


斎藤一


沖田総司


幕末の人物~箱館新選組~


島田魁


相馬主計


沢忠助


中島登


野村利三郎


松沢乙造


漢一郎


市村鉄之助


大野右仲


安富才介


横倉甚五郎


石井勇次郎


森陳明


年表


天保6年(1835)~万延元年(1860)


文久元年(1861)


文久2年(1862)


文久3年(1863)


文久4年(1864)元治元年


元治2年(1865)慶応元年


慶応2年(1866)


慶応3年(1867)


慶応4年(1868)明治元年


慶応4年(1868)明治元年


明治2年(1869)


明治3年(1870)以降


幕末の人物~箱館以外~


秋月悌次郎


佐藤彦五郎


松本良順


輪王寺宮公現法親王


富澤忠右衛門


望月光蔵


林忠崇


江川太郎左衛門英龍


孝明天皇


南柯紀行


~鴻之台から宇都宮~


~宇都宮から会津~


会津藩


松平容保候


萱野権兵衛


相関図


兄弟


小沼良介直忠


照姫


友松勘十郎氏興


和泉守兼定


イベントスケジュール♪


イベントスケジュール2007


イベントスケジュール2008


イベントスケジュール2009


イベントスケジュール2010


見たい!行きたい!跡地めぐり


東京都編


東京都下編


東京以外


企画展示


プロフィール

ちにた♪

ちにた♪


© Rakuten Group, Inc.