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カテゴリ:観劇・LIVE
江戸東京博物館で開催されているナポレオンとヴェルサイユ展
世界史は全然守備範囲外だし、地理もニガテなので完全理解には程遠いけど「べるばら」世代のワタクシ、ご他聞に漏れず「べるばら」の世界は大好きざんす。 今回はアントワネットの次の時代、ナポレオンのオハナシ。 とはいえ「あの時代」なのでこれは行かずにおりゃりょうか←こんな日本語あり? 「フランス革命っていつ?」 革命はある日突然起こるものではないので、何を持って「始まりの時期」「終わりの時期」とするかは人それぞれだと思うけど、自分にとって分かりやすく「ルイ16世とアントワネットの処刑」ということで1793年を基準としてみる。 ナポレオンの台頭もこの年。 ちなみに「バスティーユ襲撃」が1789年、7月14日。あぁ!オスカルさまぁ~! 革命終了とされている日が、1799年11月。 その頃の日本は何をしていたかと言うと江戸時代、鎖国真っ最中ですな。 天命の大飢饉(1782)に伴う江戸の打ちこわしが多発、老中は田沼意次から松平定信(白河藩主・吉宗の孫)に代わり、寛政の改革(1787)、棄捐令(1789)←旗本御家人があんまりビンボーなので昔の借金はちゃらにするよ。っていう奴。札差(旗本御家人相手の高利貸し)はお気の毒でしたな。 時の将軍は11代将軍徳川家斉、天皇は光格天皇(孝明天皇の祖父) そしてナポレオンが即位した(1804)年の4年後(1808)、日本に初めてフランスの影が現れる。 フランス統一を果たしオランダを同盟国として屈服させたナポレオンに対し、敵対するイギリスはオランダを東洋から駆逐せんとはかった。 こうした状況でオランダの船を拿捕する目的でイギリス船フェートン号が突然長崎に侵入したのだ そのフェートン号事件後、それまで何度か通商のきっかけを伺っていたロシア(女帝エカテリーナの時代)に変わってイギリス船が日本近海に出没するようになり、幕府は強靭な「異国船打ち払い令」を発した。 この「異国打ち払い令」は1825年のことだから、土方さんが生まれる10年前ですな。 ナポレオンとヴェルサイユ展では沢山の絵画も展示されていて、肖像画も多いんだけど何であんなにリアルなんだろね。 写真の代わりといってしまえばそれまでだけどそれほど知られていない画家(その道で有名だったらごめんね)たちの描く肖像画は、まるで生きてるみたいよ? レースの透けた感じとかこの生地はベルベットね、と分かるところとか、表情も豊かだし。 有名な「アルプス越えのナポレオン」 険しいアルプスを凛々しい表情で指揮している馬上のナポレオンはまるで写真のようにリアルで格好いいんだけど、険しいアルプスを馬で越えるのは無理だそうで実はあれはラバなんだと。 ロバ説もあったな。 想像すると…。う~ん。…まぬけな感じ。 個人的には 「アルコル橋のボナパルト将軍」がスキ ロ○ド・スチ○ワートに似てるって…。 た、たしかに似てるかもぉ~。 「常勝将軍」って感じがしていいなぁ。 む?「常勝将軍」良い響きだ…。 誰かさんも言われてたよね~ 昔の女の子も今の女の子もみんながすげー注目してたのはやっぱり宝飾品。 「マリールイーズの宝飾品」 ティアラとイヤリングとブレスレットと髪飾りかな? ガーネットをちりばめたそれらの宝飾品はため息出るほどでみんなでわいわいがやがやでした。 ガーネットのあの赤い色のコトを「深紅」というのね。 目の保養ですわ。 などなど。 時間を忘れて見入るものばかり。 この展示は6/18まで。 一見の価値ありですよぉ。 あら。 1798年ラシュタット会議に参加したナポレオンはそこでスウェーデンのフェルセン伯爵と出会ったんだだって~!うきゃーっ 1793年にアントワネットが処刑された後故国に帰ったフェルセンは民衆を憎んで心冷たい権力者となったんだよね←byべるばら。 おまけ。 ナポレオンが失脚し、セントヘレナ島へ流されたことは有名な話だが、1862年オランダに留学した榎本武揚も途中でこのセントヘレナ島へ立ち寄ったらしい。 1821年に亡くなったナポレオンに思いをはせただろうか? 幕末期に徳川幕府を支持し、ブリュネ以下の教師団を派遣したのはナポレオンの甥に当たるナポレオン3世(1808~1873在位は1852~1870)。 ふぅ~ん。なるほどねぇ。 日本の歴史はどんどんつながって現代に至る。ってのが実感されるこのごろだけど、全く別世界の話と思ってる世界史も、やっぱりつながってるとつくづく実感。 それにしても。 地理・世界史、もっとまじめにやっときゃ良かったね~。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月08日 00時25分20秒
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