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カテゴリ:会津への道
明治26年12月5日
容保候はその激動の生涯を静かに閉じました。 最後に殿の胸に去来した想いは何であったのでしょうか… この年の9月、病の為職を辞し東京で療養。 病を知った英照皇太后(孝明天皇の后)は滋養があるとされていた牛乳を容保候に届けさせた。 容保候は牛乳の匂いがニガテだと知りコーヒーを混ぜて持って行ったそうだ。(12じゃないぞ) だから皆今日はコーヒー牛乳を飲みながら容保候を偲びましょう(←イヤ、チガウダロ) 容保候の霊号は「忠誠霊神」 この「忠誠」は文久3年の八・一八の政変の後、孝明天皇より賜った御宸翰のコトバ たやすかる武士(もののふ)の忠誠のこころをよろこびて詠める からとったといわれているそうです そしてこう続くのです。 和(やわ)らくも たけき心も相生(あいおい)の まつの落葉のあらす栄えむ もののふと 心あわしていわおをも つらぬきてまし 世々のおもいて この御宸翰は極秘のうちに容保候に届けられたと言われ、そのため容保候は生涯公表しなかったというのをどこかで読んだ事があります。 容保候は正受院に埋葬されました そして大正6年(1917)6月9日、会津若松の御霊廟に移葬されたのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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