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テーマ:日々自然観察(9828)
カテゴリ:見たい!行きたい!跡地めぐり
新潟・長野で大きな地震がありましたねぇ
かなり大きな被害が出てるようで心配です。被害にあわれた方々、怖い思いをした方々どんな思い出この夜を過ごすのでしょうか。 と、想っていたらこっちでも地震が 日本中、かなり広範囲にわたっての地震のようで、朝の地震とは震源も違うし地域も違う。 今夜は日本中が不安な夜。 台風一過、そんなことも知らずに今日はこんなとこ行って来ました。 文久2年7月15日 時々大雨 13日から小野路橋本家へ代稽古に来ていた沖田惣次郎は麻疹に罹り馬で布田宿まで送られます。 その小野寺から布田宿への道。を歩いちゃえ。と言うツアー。 多摩センター駅を出発し、移築された富澤家からスタートです。 白山神社を通り(ここの狛犬は「阿」が鞠を、「吽」がなんと子供を連れている!)平久保公園の樹齢600年と言われる「スダジイ」を眺める。 樹齢600年ってすごいよな。 まだまだ葉は青々として秋にはどんぐりがなるんだろうか。 豊かな大地にしなやかに根を張ってたくましく生き延びてきたこの樹はこれからもココで刻まれてゆく「歴史」をずっとずっと見ていくんだろうなァ。 私が死んでも。ずっと、その身が朽ち果てるまで。 小野路城跡(史跡などはなし)から万松寺谷戸(牛革草)が自生している!を通り、万松寺の石庭を見て、カヤの木を見上げ小野神社へ 偶然、お宮参りの赤ちゃんを連れた家族に会う。 こうやって地元の神社と言うのは地域に溶け込み、風景になっていく。 ここの小野神社も小野篁(タカムラ)を祭っています。 小野路は元和2年(1616)駿河で亡くなった徳川家康を日光へ移す折、棺が通った道なんですと 東海道を進み小野路村に小休止し、府中に泊ったとか。 へぇ、じゃあ府中にも何か残ってるのかな? という事は、当然土方さんもその話は知ってたよねぇ さて、それから小野路宿を通りいよいよ布田道へ。 このあたりは凄く昔が残っててイイ感じでした 昼尚暗く、天気も急に曇ってしまったのでデジはイマイチ移りが悪く残念だったのだけれど、展望もよくひんやりとした空気が疲れきった体に心地いい 湿った土のニオイ、樹の香り、踏みしめる落ち葉の感触。 繁りきる木々の間から覗く、そら 新緑が一斉に濃い緑に姿を変え…え~となんていうんでしたっけ、こういうの。 あぁそうだ「山滴る」だ。緑深く、蝉時雨鳴り止まず。と言うのでしたっけね。 素敵な言葉だなァ。とずっと思ってましたがそういう情景を知らず知らず見ていたんだなァ。と今日の山々を見て思いました。 もっとも、「山、笑う」のコトを真夏のあの濃い緑の木々が風でざわめく様を言うのだとずっと思ってましたが… 終点は黒川の駅でした。 実は今回のツアー、本当にしんどかった。 日頃運動不足とはいえ、史跡めぐりで鍛えたアシは少々のコトではへこたれない。しかもアノ北海道旅行の後ですゼ? 自分には自信あったんだけど お昼を過ぎた頃から口数もなくなり、周りの景色を見るのが精一杯な状態でした。 まったく我が家へたどり着いたとたんバタンキューでしたよぅ。 しんどくてしんどくて玄関でしばらく動けないくらいでした。これには自分でもビックリ。 なんだろ。体調でも崩したかな。 最も一休みして、お風呂入ってご飯食べたらこうして復活したんですけどね(早っ) いつものコトながらツアー計画から案内、説明、資料製作までを取り仕切ってくださった主催者のS様。ご苦労様でした。 いつもいつも素敵なコースを探してきてくれてありがとうございます。 次回のツアーはなんだろな←スコシハテツダエ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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