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カテゴリ:土方歳三
日野ふるさと歴史館で展示中の「新選組 戊辰戦争のなかで」
鳥羽伏見戦~箱館まで。 当たり前だが新撰組と日野が中心なので結構地元な話が中心です。 日野の農兵隊とか、甲陽鎮撫隊とか。 近藤さんの最後とか。 そういうのはなるほど丁寧に解説が付いていて解りやすいです。 そんな中で会津に関するものもちょっとありました。 「会義隊」の名簿。とか「会津若松城下絵図」とか。 でもそれが新撰組(と言うか、土方さん)とどういう関係なのかはわかりません。 城下の絵図は細かい字で沢山書き込みがありますが何が書いてあるのか(どうやら兵力の配置を決めるときに使ったようなのですが…)わからなかった…。 北越戦争とか、会津戦争とかちらちらあるもののどうもこちらは説明が不十分な感じ。 慶応4年2月1日、徳川家は越後の旧幕府領30万石余を会津・米沢・越後高田・桑名の4家に預けた。 という記述を見つけた。 へぇ。これは知らなかったなぁ。 2月といえば慶喜は恭順のために必死になってるときじゃないの? 会津藩に対しても登城禁止にしたり国に帰れって言ってきた頃 その慶喜が旧幕府領を会津・桑名を含む諸藩に預けたのか? それとも…? 伊庭想太郎の履歴書(?)もあった。 安政2年に八郎を養子しにしてる。 え?想太郎サンって伊庭君の弟じゃないの? ン?安政2年って軍兵衛さんの代替わりの頃か? え?それは弘化2年?全然違うか…。 …。なんか変だな~?? ああっ!ソウタロウサンって\(◎o◎)/塀和惣太郎サンのことか! 安政3年に講武所剣術方になってる惣太郎サンか。 確かに伊庭八郎の養父だわ。 9代目伊庭軍兵衛のことね! (゚.゚;~ナルホド な~んか解りにくいなぁ。 マサカこんなところに伊庭君の資料があると思わなかったなぁ~。 伊庭君の年表を叩き込んでから出直すかなぁ。 どうも資料に目移りしちゃってだめね。 来場していたヒトとガイドさんの会話を聞くともなく聞いていたら…。 土方さんが箱館政府の幹部の中で唯一戦死したと言う話から。 「結局偉い人たちはみんな生き残りますね」 「榎本しかり、慶喜しかり、彰義隊しかり、会津しかり」 この辺で耳がぴくぴくする 「あれだけ沢山死なせておいて自分は明治の世をちゃっかり生きてますものね」 「しかもそれなりの職についてますよね、彰義隊も榎本も会津も」 だ、だめだ。全身からトゲが出そう。 普通のヒトの反応ってこんなものなのかな 彰義隊も榎本さんも会津も仲間が、部下が戦闘で倒れていくのを平気でみてたわけじゃ決してなくて。 死んだ方がマシって想いをあえて生き延びることで晴らせる汚名もあるだろうと。 う~ん、その辺の話は冷静じゃいられなくなるので以下自粛。 でもそんな風に思われてるのってやっぱりちょっとショックかも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年02月13日 01時40分37秒
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