|
カテゴリ:観劇・LIVE
東大総合研究博物館で開催中の「維新とフランス-日仏学術交流の黎明」を見に行った。
照明が暗い ![]() ![]() フランスと日本の関わりという漠然としたテーマだったからか、知識不足のせい ![]() 僅かなスペースに所狭しと並べられた書簡の数々、写真の数々。 言わずと知れた「ポラック氏」のコーナー。 惜しいかなみんなフランス語なので読めません ![]() 解説も簡単なのでなんて書いてあるのかわかりません。 頼みの図録は売り切れ ![]() ![]() どういうことだ東大博物館 コピーさせてくれませんか~ ![]() ![]() そうだよね ![]() でも ブリュネの「日本人妻」トミからの手紙は哀れだったなぁ。 あの手紙はブリュネに届いたのだろうか ![]() 「ブリュネ」のことは「フル子」と書いてあった。 アブナイ「フルコ」と読んでしまった… ![]() 当時のフランス人たちには日本側が用意した女性がいた。 その人たちはどういう理由でフランス人の「妻」になったんだろうか。 トミにはブリュネの子供がいたようだし、それなりの「情」もあったと思うのだけれど。 フランソワブッフィエ、アルチュール・フォルタンからシャルル・ビュランへの書簡には脱走して箱館に行った頃のものがあり、松前を平定して(降伏した兵隊が「ゴメンナサイした」とか書いてある ![]() ![]() 当時のフランス人同士はやっぱりみんな面識があってデュ・ブスケとかおなじみの名前がちらちらしてる。 細谷安太郎、福島時之助の名前もあり当時の様子がチョットしのばれる。 たくさんある幕末の写真の中に「大鳥圭介」の写真を見つけたときはちょっとびっくり ![]() 見慣れたヒゲの写真。 誰がどういう経由で渡したんだろうか。 フランス語でキャプションが付いてるんだけどワタシフランスゴヨメマセ~ン ![]() 惜しいなぁ。 他にはナゼカ東海散士の「佳人之奇遇」があった。 榎本さんと一緒にオランダに留学した伊東玄伯が持ち帰った「眼球解剖模型」というのもあった。 目玉の模型ですよ。ちゃんと視神経も通ったやつ 当時のものですよ。 今では目玉の模型なんて小学校にもあるだろうケド当時はそれはそれは貴重なものだったようで。 あとはね。ちょっと違う興味 ![]() おおぅ ![]() 馴染み深い「砕石具」デスネ ![]() 現在ではディスポで使われるこの製品、こんなモノだったのですね。イタソウ ![]() BMLとかFGだわ(謎) なんだかんだいってもかなり興味深い展示でした ![]() もう少し詳しく解説が付いてるということないんだけどな。 一見の価値はあります ![]() ~5月31日マデ。入場無料。 図録~ ![]() ![]() 図録の再販をしてくれよぅ~~ ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年05月02日 21時08分57秒
コメント(0) | コメントを書く |
|