|
カテゴリ:見たい!行きたい!跡地めぐり
~本行寺~
永井家墓所 幕臣・永井尚志さん 崇文院殿介堂日彰大居士 息子の岩之丞さん 判事 従四位 勲三等 瑞雲院殿尚忠日順大居士 この方が箱館戦争で戦っていたという史料が見つからない~(マジメニサガセ) ここ谷中の本行寺には他にもこの方がいらっしゃいました。 市河米庵墓所 安永8年(1779)9月6日、寛斎の子として江戸京橋桶町に生まれる。 名は三亥(みつい)小山林堂・百筆斎・楽斎・頴道人とも号した。 巻菱湖(まきりょうこ)・貫名海屋(ぬきなかいおく)と並んで「幕末の三筆」のひとり。 安政5年(1858)7月18日コレラで没する。 米庵先生の父、寛斎先生の墓碑もあるのだが、碑がたくさん並んでる上に字が読みにくくどれが誰だかイマイチわからなかったです。 市河寛斎:寛永2年(1749)6月~文政3年(1820)7月10日没。 市河恭斎 日本の篆刻家で米庵先生の養子。 この恭斎先生の碑文に会津山内 普書とある ここ本行寺は景勝の地で月見寺と呼ばれていたそうだ。 一茶の歌碑 陽炎や 道灌どのの 物見塚 文化8年1月29日の句だそうである。 種田山頭火句碑 ほっと月がでる東京にきてゐる 種田山頭火の句碑はめずらしいんだそうだ。 山頭火といえばアレだ、「分け入っても分け入っても青い山」 1882年12月3日~1940年10月11日 こんな素敵なアジサイがあるんだね ~経王寺~ 上野戦争で敗走した彰義隊隊士が逃れたため、追ってきた西軍が発砲した弾痕の跡。 生なましいというより、こんなにはっきりくっきり すごいわぁ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年06月27日 23時38分53秒
コメント(0) | コメントを書く |
|