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2007.12.17
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カテゴリ:「学力」問題

さて、14日の日記の続き、<「リテラシー」と活用力・・その5>です。
「リテラシー」と活用力・・その1
「リテラシー」と活用力・・その2
「リテラシー」と活用力・・その3
「リテラシー」と活用力・・その4

↑の4つの日記で、Aさんが高卒認定試験の受験勉強において、日常生活の中から断片的に得られた知識・情報を活用して試験問題を解いていく様子をご紹介しました。
 私は、このAさんの受験勉強のプロセスを、一種の活用力の発揮であるととらえています。断片的な知識・情報を問題文の文脈にそって活用し、資料を読みとって与えられた課題について判断しているからです。

 「全国共通学力テスト」や「PISA2006」の結果から、日本の児童・生徒に不足していると言われている「リテラシー」や「活用力」ですが、どうも、中学生の親である、私が「学力」としてとらえてきたものとは違うようです。
 「全国共通学力テスト」の問題を調べた時は、とにかく違和感が先にたち、いったいこの試験で計ろうとしている「活用力」とはなんだろうと気になるばかりだったのですが、
toshi先生のブログ「教育の窓・ある退職校長の想い」の、「学力テスト」や「PISA調査」についての一連の記事や、そこでご紹介のあった、シュライシャー氏の講演録を読み、「PISA2003」の問題と解説を調べていくうちに、「PISA調査」というものは、現行学習指導要領が目指した「生きる力」のようなものを、ペーパーテストの数値で計測しようとする試みであり、「全国共通学力テスト」の問題もその考え方の影響を受けているのだと合点がいきました。学校の教科の成績評価という枠組みを超え、社会人として生きる上で必要だからこそ、子どもたちに身につけて欲しい、ものごとを理解し自ら考えていく力。だからこそ、「応用力」ではなくて、わざわざ「活用力」となっているのです。

 そのような理解をした後に、Aさんの受験勉強を思い出したのでした。

 「リテラシー」や「活用力」といっても、そのような思考の働かせ方をする土台としての「基礎」は当然あるはずで、Aさんの受験勉強は、「活用力」のもっとも基礎的な部分が発揮されていた、そして、その「活用力」を培ったのは、単身生活をめざす日常生活だったのではないか、というのが私の仮説なんです。

 Aさんが問題を解くのに用いた情報・知識は、Aさんの体験に基づいています。
 テレビや新聞、趣味・あこがれの世界などから得た情報も、食材や衣料品の産地など日常生活から得た情報も、Aさん自身が積極的に物事にかかわり、自ら読みとって集めた情報・知識です。そして、その情報・知識は日常生活の中で、その時々の状況に応じて活用しているものでもあります。

 たとえば、同じ予算で、オージービーフの牛肉でステーキにしようか、それとも特売になっている国産の黒豚でしょうが焼きにしようか、疲れているから牛丼屋ですませようか、あるいは特売のチリ産シャケの切り身をまとめ買いして、浮いたお金を次に映画を観にいくときの軍資金にしようかなど、生活という場面では、些細なことであっても常に自分の判断を迫られます。
 
 これらの判断は、単純に一番安いものを選ぶ、というだけではありません。自分の当面の予定、自分の好みや価値観、その時々のお財布の状態、健康状態、忙しさなどと照らし合わせて判断しているはずなのです。
 まぁ、一番切実で肝心なのはお財布との相談になりますし、しばしばこの部分の判断を誤って、衝動買いをしたりするわけですが、その結果責任は全部自分にかかってくる・・・散財したあとは厳しい倹約生活がまっている・・・ということになります。

 Aさんは、「自分で選択した受験」という内発的動機に基づいて、普段の生活の中で自然と養ってきた「活用力」を発揮したのではないかと私は考えるわけです。
 もっとも、Aさんがもともと本や新聞を読むのが好きで、文章を読みとる力を持っていたという背景をないがしろにはできません。問題文や資料、そして選択枝の意味を把握できなければ、日常生活から得た情報・知識を受験勉強に活用することは困難です。
 けれども、日常生活の中から様々な情報を獲得する、ということは、書かれた文章を読みとる力だけではない、もうちょっと積極的な、自ら世界とかかわって考える力が必要になります。こう書くと難しいことのように見えますが、子どもでも、あるいは物事の理解に制約がかかってしまう障害を持つ人でも、それぞれの経験の中から何かしらの情報を獲得する力は持っていますから、その「もっている力」をどう生かすのか、というのも「活用力」になるかもしれないとも思います。


 情報収集の段階においても、断片的な情報から全体を想像することや、複数の情報を比較して検討することなど情報の吟味の段階においても、そこから先を見通して計画をたてるなど判断して決定する段階においても、「単身生活」「自立生活」では(もっともうちの施設内はまだ練習段階ですけれど)、親がかりの生活や病院内で保護された生活とは切実さが違います。
 ちょっと話がそれますけど、施設の「卒業生」が、アパートでの単身生活について、「1日24時間、それを365日ぜんぶ、自分で決めていかなくちゃならないのが、アパート生活の辛いところです。」と後輩へ話をしてくれたことがあります。うちの施設での生活はその準備・・「生活訓練」ですから、職員は利用者の皆さんが「生活を成り立たせる・・地域で生活をし続けることができる力を養う」お手伝いをしています。その「生活を成り立たせる力」の中心になるのが、「一定の条件(使えるお金や時間、それぞれの場所のルールなどの制約)の中で、自分で考えて自分で決めること」があるのです。
 もちろん相談にはのりますし、助言もします。ご本人が気付いていない条件・情報を手がかりとして提供することもありますし、それぞれの人に合わせた生活の形・・枠組みを作るお手伝いをすることも多いです。危ういと思ったときには、ご本人がとてもやりたいと思っていることでも止めるために説得します。
 けれども、ゴールである一人暮らしの場面では、自分で判断して決定する力が必要ですから、判断しやすいように環境を整えることはできても、ご本人の代わりにすべてを決めてあげるわけにはいきません。
 そしてまた、その時々のご本人の判断が、例えば「今は判断保留して相談してから決めよう」ということでもいいのですが、地域生活となると、病院や施設の中と違って相談相手がすぐそばにいるわけではありませんし、相談できる時間も限られています。自分が何にどう困っているのか、何が不安なのか、とまどっているのかを的確に表現する力も必要となります。

 これらの「生活に必要な力」「生活訓練で養ってもらいたい力」を「学力」として考えたことはこれまでありませんでしたが、どうやら「PISA調査」のいう「リテラシー」と「活用力」に共通するのではないかと思うようになりました。




このお話はまだまだ続きます。
とりあえず今日はここまでにしておきます。
この先に書きたいことは、「リテラシー」のうち、発信に関することと、「リテラシー」や「活用力」の習熟度についてです。

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Last updated  2007.12.18 01:33:29
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