春雨じゃ・・・・月形のモデルは?
朝は朝は天気で暑くなると思っていたら夕方から雨になったがニャ。静かな雨だニャ。芝居や映画でいうがニャ。「春雨じゃ濡れていこうか 」この言葉について調べると、金田春彦さんの「ことばの歳時記」の中で...”新国劇の芝居で見ると,月形半平太が,三条の宿を出るとき,「春雨じゃ,濡れて参ろう」と言うが,今思うと,彼は春雨が風流だからぬれて行こうと言ったのではなく,横から降りこんでくる霧雨のような雨ではしょせん傘をさしてもムダだから,傘なしで行こうと言ったものらしい.”とありますが,京都の春は霧雨が良く降るようですねところでこの主役の月形半平太とは誰でしょうか?月形半平太の芝居は 1919年(大正8年)京都明治座でオッペケッパの沢田正二郎ら新国劇により演じられました。あらすじは、次の通りです。 長州藩士の勤王の志士・月形半平太は茶屋に入り浸って酒と女に明け暮れていました。月形は同志達に軽挙妄動を慎んで自重せよと説きましたが彼の真意を解しえなかった朋友の策略で新撰組に襲われ、『死して護国の鬼になる』の辞世を残して息絶えました。 若き剣士にまつわる祇園の芸妓、梅松と染八。恋あり剣ありの華やかな作品で『春雨じゃ、濡れて行こう』の台詞は有名です。 歌舞伎式に下座を用いるのをはじめとして『国定忠治』と双璧をなし、半平太の役は沢田の没後、辰巳柳太郎から大山勝己へと継承され、映画化もされました。月形はもちろん想像上の人物ですが、そのモデルとして桂小五郎(後の木戸孝允)があげられます。前述の「春雨じゃ・・・」は桂夫人となった幾松をモデルとしたとされる梅松がお茶屋からでるとき雨が降っていて月形に「月様、雨が・・・」と語りかけ傘を差しだしたときに月形が答えて・・「春雨じゃ濡れて行こう」と言ったのです。また、長州藩士月形とされるが、実は土佐藩士武市半平太がモデルではないかともいわれたように聞きました。しかし、武市の妻は京都にはいません。やはり、桂がモデルだったのでしょうか?どなたかご存じありませんかニャ?