カテゴリ:物語・エッセー
楽天の日記で拝見しました。まあこ3303さん は3人姉妹、末っ子だったんでお姉さんから・・マキオクンさんはおばさんからだったんだ。そう、成人式の着物・・・
私は、一人娘だったから得しましたね。全部作ってくれました。 娘は私の着物全て気に入って、誰にもやらないと決めています。 手を等していない着物が殆どです。 ソロソロ虫干ししようかな?年に2回は家の中に釣りますが・・ 思い出がありますね。 娘がいるときは、話したことでした・・・ まだ、戦後のどさくさの中で、母が少しずつ買い溜めていた正絹の白い反物がありました。 自分が着れなかった青春時代、一人娘の私に着せたくて買い求めていたのですね。 そして少しずつ染めたり、刺繍したり、絵を描いてもらったりして 手作りの着物を用意してくれていました。 残念ながら、着物を着る時代でなくなっていましたが・・ 成人式の着物は京都の有名な日本画の先生の絵を本にしたものと聞きました。中振りです。時代ですね。大振り袖は華やかですが、 当時は質素が良しとされていました。 私が着て、娘が着て・・同じ着物で撮りました。 どうしましょう。全くうり二つ、写真が出来ました。 親子とはいえ、良く似たものですね。 娘の子が着てくれることでしょう・・(^m^) 着物の思い出でした。 +++++++++++++++++++++++++++++ 今連絡がありました。 ご存じですか源頼朝の弟のことを・・・義経ではありません。 義朝の正妻熱田神宮宮司藤原季範の娘を母とする頼朝の同母弟です。平家物語には3才で土佐に配流とあります。 その名を「希義」といいます。希義は高知市の東介良(けら)に居住し、頼朝の挙兵を聞き1180年(治承4年)、土佐から鎌倉を目指しましたが、平家方陣営の蓮池・平田の軍勢により、長岡郡の年越山の地で命を落としました。現在は南国市鳶が池中学校の校門 横の池の渕に碑が建てられています。 このとき希義公を支援しようとした、夜須行家氏は野市の神社まで辿り着いたとき討たれたことを聞き引き返したといわれます。 希義公の墓前祭を12月11日(土)10時から行うということです。 介良に残る伝説から地元では「まれよっさん」と呼ばれ親しまれています。当日は朝峯神社の宮司の祭礼で執り行われます。 興味のある方はどうぞご参加下さい。費用は要りません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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