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カテゴリ:アダルトチャイルド・共依存
今の時代には、文学療法というのが必要なのではないかと思っています。
私は明確な機能不全家庭で育ったAC(アダルトチルドレン)でしたが、今は、若い人に、機能不全家庭で育っていないのに、AC的困難さを持つ人が増えています。 AC的困難さを元々抱えているから、うつになったり、神経症になったり、境界例的になったりするのです。そしてその主因は、後で述べるように、その人や親のせいではなくて社会的ものなのです。 ※でも大丈夫です。AC的困難さからは抜け出すことが出来ます。 少子化もその影響に間違いありません。なぜなら、少子化、少子化と言うけれど、本当は少結婚化だからです。 夫婦一組当たりの生涯出産人数はかなり前から2人くらいで変わっていないって知っています?若い人が結婚しなくなったから、生まれてくる子供も減ってきているだけなのです。 これは深刻な事態です。 だからこそ、現代人は、心の成長やライフパターン(私たちは日常暮らしていく中での行動のパターンを持っているのです。)のよりよい変化のために、適切な文学作品を読む必要があると思うのです。 現代の生活では、心の様々な能力を伸ばしてくれる機会がとても減っていいます。 昔の人は、日々の生活の中でたくさんの多様なコミュニケーションと自然とのつきあいが必要でした。だから、様々な心的能力は自然と鍛えられていたのです。 例えば、子どもたちは様々な大人や先輩格に当たる自分より年齢の高い子どもたちや青年たちと毎日のように接してコミュニケーションを取っていました。子どもは異年齢集団で遊んでいたし、今のようなゲームもテレビもありませんでしたから、人と交流して遊ぶしかなかったのです。 そして、様々に変化する自然ともつきあい、さらには生活の中で習得する生活の技術は苦労して先輩たちから学ばなければ身につかない物でした。 遊びですら、コマ回しや竹とんぼやなにやらと技術がいる物でしたし、水をくんでくるとか、ご飯を炊くにもコツがいるとかです。 ところが現代の社会では、一日の中、子どもは親と教師以外の大人や異年齢の子どもや青年と接する機会はほとんどありません。これでコミュニケーション能力が正常に発達するはずがありません。 さらには生活のあらゆることが、簡単に言っては悪いけど「猿でも出来る」ものになりつつあります。買い物するにも、コンビニに行って黙って買いたい品物を差し出しさえすれば買えるのです。そこには何のコミュニケーションもありません。 私が子どもの頃買い物に行くと、店のおばちゃんや他の買い物に来ているおばちゃんや、途中のおじさんに声をかけられていたのとは大違いです。 だから、昔は「優れた文学」なんて読まなくても、心的能力は発達していたのです。 ところが、現代はそういうわけにはいきません。心的能力やコミュニケーション能力を身につける機会が皆無なのです。(もちろん例外はあるでしょうけど)何か、他の方法で心的能力やコミュニケーション能力を身につけなくてはなりません。 そして、心のかなり多くの能力を身につけるのに優れた文学作品を読むことが役に立つのです。 ただの文学ではいけません。 ○物語にのめり込めるだけの矛盾のない優れた筋書きや表現がなくてはなりません。 ○感動するだけの人生の真実が含まれていなくてはなりません。 ○物語から受ける影響が、前向きの人生観とか周囲と協力していこうという意欲や世界への信頼感とか人間への信頼感でなくてはなりません。 この三つの特質を備えた文学は、「文学療法」として読む文学なのだと思うのです。 今、この文学療法に役立つ文学作品の選定に当たっています。読まなきゃいけないので時間がかかるのです。 例えば、赤毛のアン、レ・ミゼラブル、あしながおじさん、アルプスの少女、大きな森の小さな家、トムソーヤーの冒険、三銃士などです。 まだありますが、整理したら公開します。 ←クリックしてくださるとうれしいです!(^o^) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年12月28日 12時50分38秒
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