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労働

釘師見習い初出勤の朝。物凄い期待感を胸に店へ向かう…

店に到着したのは指定された時間の30分前。

時は2001年7月22日午前8時30分パチンコ業界の扉を開く第一歩となった。

2001年7月23日デビュー
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何故この日を明確に覚えているのか?と言うと。この日を境に自分の心境や目指すべき道を、

明確にするべく日記付け始めたから。この日からなら店を辞めるまで一日単位で日記が書ける程、

細かく心境などを書きとめて居た。当時の私は身長190cm体重110キロの巨漢。

体がでかい事がこれほど役に立った業界は後にも先にも無い位い活躍できる場で有った。


約束の時間より早く店に到着し、店の周りをウロウロしていると、先日面接の時に無愛想な対応をしてくれた

店員さんが店の寮から眠そうに出てきた。挨拶を済ませ会話を始めると、その無愛想な店員さんは

マネージャーと言う事に気づいた為慌てて、これからお世話になりますyukiti10000ですと深々と頭を下げた。

暫くすると釘師さんが現れる。厳密に言うと釘師さんでは無くグループ店全ての運営・釘管理を任されている

支配人と言った所。此処から先は支配人でも無く釘師でも無くN師匠と表現します。

N師匠が何やらTマネージャーと会話を済ませた後、私の方に近寄って来て一言呟いた。

『頑張って、のし上がって来いよ♪釘はそれからや!』

この時嫌な予感がしたのと同時に、そんなに簡単に釘が触れる訳が無いよな♪と思った。

予想通り待っていたのはアルバイト店員と同じ扱い。朝礼が始まりアルバイト達と同じ位置に立たされ

マネージャーから自己紹介しろと言われ挨拶をした。

『始めましてyukitiと言います。自分は釘師に成りたくてこの業界に入って着ました』

『右も左も判らない私ですが、やる気だけは有りますので宜しく御指導お願い致します』

と、まぁ何処にでも有るようなセリフを言った後、勤務一日目がスタートした。

店の規模は総台数368台 P266 S102台の中規模店、稼動のメインは3回権利物一回交換で

店員の平均年齢は20歳前後、最年長のアルバイトですら24歳で有った。まぁ年齢のギャップは

働く前から判って居たので、あまり気にせず気持ちだけはフレッシュにと開店準備に取り掛かった…

何から手をつけて良いのかも判らず、先ずは喋りやすそうな店員を見つけて箱置きを手伝う事に、

右も左も判らない状態では、例え年下で有っても頭を下げて教えて貰うのが当たり前と覚悟は出来ていた。

パチンコの客としての経験は長かったので、店の条件等は聞けば直ぐにお客に説明出来る程自身が有ったが

裏側の事になるとさっぱり判らなかったので、素直に頭を下げ10歳近く年下の先輩達に聞いて覚えた。


そしていよいよ開店。

この日は祝日か日曜日だった為、朝から結構なお客さんで賑わって居た、当然オラは打ち手ではないので、

アルバイトリーダーと一緒にコースと言う島に入れられ久しぶりの労働が始まる。

釘師に成る為に此処に来たのに私は何をやってるんだ?と自問自答しながらも玉運び・灰皿清掃に精を出した。

しかし、昨日までパチプロをしていた人間がいきなり動き回れば当然体が悲鳴を上げる。

それと同時に今まで自分がどれほど体を動かして居なかったを後悔した。初日は開店の10:00~17:00迄の

7時間歩き放し、途中食事休憩が30分と5分間のタバコ休憩が2回有ったが、

とても休憩時間と呼べたものでは無かった。タバコの煙に燻され、負けた客から文句を言われ…

それはもう地獄だったのを覚えて居る。

ようやく勤務が終わった17:00にはフラフラの状況。帰り際にマネージャーから

『今日はもう上がって良いぞ♪』と言われた瞬間『当たり前やろぅ(*』と心の中で呟いてしまった。

そして、次の日も、又次の日も玉運びと灰皿清掃の日々が続いた。しかし、一度覚えてしまえば

難しい事は何も無い…むしろ体を動かし続ける事で今まで不健康で重かった体が次第に軽くなって来る。

ただ一つ不安だったのは治まっている『椎間板ヘルニア』の痛みが再発しない事だけをただ祈って居た。

そして17:00までの早番勤務を2週間ほど経験し、マネージャーから次は遅番勤務になる様に指示され

2001年8月6日(月曜日)から遅番勤務が始まる。遅番勤務と言えば閉店作業。

お客の居なくなった店内でどんな風に釘調整されたり設定変更されたりするのか

それはもう見たくて見たくて仕方なかったが、そんなに甘くは無かった。




【続く】

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