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雪月花

長文【男】









【男の言い分】







「やっぱり、もっと早く帰って来るべきだったね。不在に気付くのにも、存
 在の意味に気付くのにも、そして探し始めるのにも、探し当てるのにも、
 時間がかかり過ぎた。これからは、待つのは僕だ」

「正直に言えば、恨まれている方がまだ楽だった。憎まれている方が助かっ
 た。だって、忘れられているなんて思いもよらなかったから。でも、今の 
 自分の位置にはだいぶ馴れてきたし、これはこれでいいかもしれないと気
 長になっても来ている。だって、もうどうしようもないんだから。いや、
 投げやりになってるわけじゃないですよ、先生」

「今になってみれば、もともと無理があったのかもしれない。でもね、あの
 時は、そんなことはほんとに『そんなこと』くらいの大きさだったし、自 
 分のことであるにも関わらず、リアリティは無かった。そしてそのこと
 で、彼女がどんな思いをして、その結果自分がどんな目に遭うのかも、全
 く想像していなかった。むしろね、想像する必要も無いだろうと何処かで
 感じて切り捨てていたんだろう。それにあの頃の僕は、分からないことは
 考えないでいようというスタンスだったし。わからないものを追うエネル
 ギーがあれば、もっと分かる可能性のあることや分かりつつあることにそ
 れを使うべきだと思っていた。こうなってみると、わからないなりにも一
 緒になって想像する、そのプロセスそのものが彼女だけじゃなく、果ては 
 僕自身をも救ったんだろうとは思うけれどね。」

「なんだか、昔の彼女に似て来ている。そんな気さえするよ。時間は前に進
 んでいて、その中で生きている自分に満足していた。今をどう過ごすかが
 目下の重要事項で、今までやこれからや女心や距離なんて、分からないか
 らすっぱりと意識の外に置いていた。なんでだろうね。何でそんなことが
 出来たんだろうと思うよ。確かに僕は僕の時間を僕の体と心で生きてい
 る。でも、だ。今までとこれからに挟まれた、確定できない一瞬一瞬の綱
 渡りが僕の時間で、出会うものや人によって育まれていくのが僕の心で、
 それによって存在する場所を変えるのが僕の体だと分かっていれば、もっ
 と違ったはずだ。謝りたいんじゃない。ただ、今は、知りたいんだ。だん
 だんと、想像できるような気がしてきている。あの時、彼女が、どう思っ
 ていたのか。あくまでも想像でしかないし、その想像は自分の満足のため
 だけなんだけれどね。」

 今日は本当にいい天気だ。いつの日か、彼女にはまたこの空の下をのびのびと歩く日が来るのかな。太陽を心地いいと、昔みたいに笑うことがあるのだろうか。叶うならば僕と一緒に。まるで一人じゃないような気分で、叫びたいぐらいの寂しさを無視しながら、バス停ひとつぶん歩いた。汗をかいた。久しぶりの汗だった。

「一緒に居たいと思ったから、一緒に居てと言った。彼女は頷いてくれた。
 そして、結果、彼女が泣いて、そのしばらく後で、僕が泣いた。誰も、涙
 など望んでいなかったのに。彼女はまだ夜に泣くと言っていたね。僕もだ
 よ。そう言いたくても、何故か言えない。めっそうも無いという気にな
 る。だから何?ってね。今、僕達の間には、共有の思いでは無いんだか
 ら。僕はただ物好きにお見舞いに来る男の人。それだけ。それだけ。それ
 だって十分だ。それ以上の何かがあったなら、僕の方が怖くて会いになん
 て行けない。」

「変わったかって?誰が?ああ、彼女ね。変わったといえば変わったでしょ
 う。だって、僕のことを何も思い出さない。」

「それにしても、ほんと、饒舌になっててびっくりしたよ。今、この国の若
 い人たちが馬鹿になってるって騒がれてるでしょう?それでさ、国際的な
 試験でTIMMSってのがあって、日本の学生もそれ受けたのよ。で、期待通
 り、論述問題が駄目だった。けど、ある学者がそれ分析してこういって
 た。技術が無いんじゃなくて、論述すべき中身を持たないんだろうって。
 その方がよっぽど末恐ろしいけど、でも、これは的を得ているかもしれな
 いと思ったね。少なくとも今あのひとは、語りたいことで満ちている。語
 る、その行為に救われている。だからって、昔の彼女が何も語るものを持
 たなかったというわけじゃない。きっと、持ってた。ただ、彼女自身や僕
 の表情が、色んな形でそれに歯止めをかけていたんだろう。今、あの場所
 であんなに饒舌になったのを見て、少し複雑だよ。何で言ってくれなかっ
 た、と思いもする。でもそれはあまりにも身勝手だ。だってあの頃の僕に
 はその言葉を聞くための耳が無かった。
  きっとね、今彼女はいろいろなものを見極めようとしているんだ。たく
 さん喋って、まとめる間もなく吐いて吐いて吐いて吐いて、その中に、砂
 の中の金の粒みたいにふるいに残るものがあると信じているんじゃないか
 な。何でそんなに分かるんだって目をしないでください。曲がりなりに
 も、僕は彼女を愛していた。きっと、今でも。それに今僕は、分かろうと
 しているんだから」





 (これも、終わらない話。少しずつ長くなる、話。)











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