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雪月花

バナナ









バナナ










何となくバナナを食べる。すいすいとすいすいと、バナナを食べていることも意識せずにバナナを食べる。気が付けば、目の前にあったはずの一房のバナナがなくなっている。僕がこれを全部食べたのだろうか。いや、そんなはずはない。だけど、そうとしか考えられないのだ。食べる前、つまり一房のバナナが目の前にあったときと、食べた後、つまり一房のバナナが目の前から消えたときとの間で、僕は確かにバナナを食べたに違いないのだ。それも一房。食べる前と食べた後では、胃の具合はたいしてかわらない。一キロは軽くあるものがこの短い間に僕の体の中に入ったのだから、もっと変化がきちんとあってよさそうなものを、僕の体はまるでバナナなんて知らないとでも言うように静かなのだ。もっとあからさまにバナナがこの胃の中にあるべきなのだ。

何にせよ、僕はたった今、一房のバナナを平らげた人間だ。こんな時間にバナナを一房食べるなんて、どうかしている。この世界で、夜中に一人でバナナを一房食べた男なんてそうそういないだろう。だからといって別段威張ったことでもない。かといって恥ずかしいことかと考えると恥ずかしいわけでもない。だいいち、バナナを食べることは悪いことではないのだし、それにこのバナナは僕が自分の金で買ったものなのだ。

バナナを食べたということは、だ。僕は考える。このバナナの生きてきた今までの時間を僕が食べてしまったということだ。だけど、バナナの一生ってどこまでなんだ?バナナの一生が終わるのは、ほんとうに、噛み砕かれて形が消えてしまう瞬間なのだろうか。それとも、もしかしたら、バナナが木からもがれた瞬間なのかもしれない。けれど、バナナの本当の一生がなんであろうと、僕には某かの責任があるわけだ。だって僕はもう既に、バナナを食べてしまったんだから。後戻りはできない。

最近、夜になっても眠れないので、僕は今夜こうして一房のバナナをぺろりと平らげたように、ぺろりと本を一冊読むことにしている。それも、雑誌のたぐいではなく、きちんとした一冊を、だ。これはなかなかすごいことなのではないかと思う。しかし考えてみれば、本を一冊ぺろりと読むということは、それが書かれるまでの時間や何やかやを、僕はこの体に引き取ってしまったということじゃないのかな。バナナが育った時間と、本の書かれた時間を、僕は今夜ぺろりと食べてしまったのだ。それはきっと、僕が想像するよりもずっとずっと長い時間で、その間には本当に僕なんかには思いもよらないいろんなことが起きていたんだろう。それを僕は、何も考えもせずになんとなく、ぺろりと飲み込んでしまったのだ。そんなことがあっていいのかと思う。

部屋を見渡すと、自分がありとあらゆる形を取った「時間」に囲まれている気がしてくる。このテレビが発明されて製品になってこの部屋のしかるべき場所に落ち着くまでの時間、この本棚ができるまでの時間、この煙草、トレーナー、カーテン、綿棒、それからこの建物とか自転車とか道路とか、学校とか、国とか、島とか、海とか。全部時間だ。そしてこの僕も。きっとこの世には全ての材料になる何かが存在して、それは、その材料の量やかけられる時間や諸々の事情によって、この世の中のありとあらゆるものに変化したんだろう。ありとあらゆるものを作り上げる材料はみな同じなのだ。

もともと存在する「時間」を親にした僕は、きっと「たまたま」人間になってここに生まれたんだろう。もしかすれば、何かの加減で僕はテレビになっていたかもしれないし、そのへんの貝殻になっていたかもしれない。ほんとうに僕はちょっとした匙加減の結果として、人間の僕になって生まれたに違いない。それがラッキーだったかどうかは別として。少し何かが違っていれば、僕はバナナになっていた可能性だってあるのだ。今日僕が食べた一房のバナナに。食べる側と食べられる側が変わっていたかもしれないし、もし僕が本になっていたら、読む側と読まれる側が変わっていただろうし。

それにしても世の中ってよく分からない。だけど、きっととってもデリケートなんだろう。そして確実に、全てはつながっている。全ての時間はつながっている。例えばバナナは僕の血に。僕はバナナの皮を大切にゴミ箱へ捨てて、ベッドに潜り込んだ。どうやら今夜も眠れそうにない。












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