カテゴリ:言語学
〈目次〉
(1)時枝言語学の歴史的意義とは何か (2)時枝は言語を「過程」として把握した (3)時枝は(形式や機能ではなく)概念化の有無によって言語を二大別した (4)時枝はソシュールの構成主義的言語本質観を批判した (5)時枝は言語を表現主体に取り戻した --------------- (1)時枝言語学の歴史的意義とは何か 本稿は、言語研究史上に大きな業績を残した人物を取り上げ、その成果や言語研究史上の意義について考察していく「文法家列伝」シリーズの第5弾です。これまで、「古代ギリシャ編」、「古代ローマ・中世編」、「『ポール・ロワイヤル文法』編」、「ジョン・ロック編」を順次掲載してきました。まず復習として、これまでの大きな流れを確認しておきましょう。 最初に取り上げたのは、古代ギリシャの文法家たちについてです。彼らは、語形変化するかどうかで品詞分類を行ったり、事物についている名前は自然本来のものであるのか、それとも単に慣習でそう呼んでいるに過ぎないのか議論したりしていました。こうしたことからいえることは、彼らが着目していたのはあくまでも語単体のレベルであって、語の相互関係や文については考察の対象と出来ていなかったということです。 それに対して、古代ローマから中世にかけての文法家たちは、もちろん、語の形態などについても論じてはいましたが、それに加えて、統語論、つまり文の中での複数の語相互の関係を論じる研究に着手し出したのでした。例えば、名詞の主格と動詞の関係や形容詞と名詞の関係などが議論されたのでした。また、そもそも文にはどのような原理が働いているのかといった研究もなされていきました。その中で、語形変化は「話者の心が決定」するとして、言語には人間の認識が関わることが直観的に把握されたことも重要でした。これまでの文法では、対象と語との関係についての考察が行われてきたのですが、中世に至って、対象と語との間に(背後に)認識というものが存在することがおぼろげながら見えてきたのだといえるでしょう。 対象と言語との間に認識が介在するのだということを明確に説いたのは、17世紀に登場した『ポール・ロワイヤル文法』とジョン・ロックの言語論でした。『ポール・ロワイヤル文法』においては、人間の精神の作用を大きく「認識すること」及び「判断すること」の2つに区別し、この区別に基づいて、言語についても認識のそれぞれのあり方を表すものとして、「思考の対象を表す語」と「思考の形態と様式を表す語」とに二大別したのでした。また、ロックの言語論においては、そもそも観念とは何かということから出発して、言語を「心の中の観念の名前である言葉」と規定しました。さらに、このほかにも、「心が観念や命題に与える相互の結び付きを表す言葉」(もしくは「それらの観念に関するその時の心自体のある特殊な動きを示したりほのめかしたりする言葉」)があるとして、言語を二大別したのでした。どちらも、認識のあり方に基づいて語を二大別した言語論であるといえるでしょう。 以上、これまで「文法家列伝」シリーズで説いてきた中身を振り返りました。端的には、語そのものの考察から語相互の関係の考察へ、対象と言語を直接結び付けていた考え方から、対象と言語との間に認識が介在することを把握していった言語論へ、という大きな流れがありました。事物を連関として、過程として把握していく認識が生れ、大きく育っていったということでもあります。 さて、今回取り上げるのは、20世紀の日本で活躍した国語学者、時枝誠記(ときえだもとき)です。この「文法家列伝」シリーズも、いよいよ現代に近い時代に入ってきました。 時枝を取り上げるのは、筆者が創出・完成を目指す言語学の土台となる三浦つとむ言語学が、この時枝言語学を直接の基盤としているからです。 「私の理論の展開にしても、やはり先輩の獲得した成果を遺産として受けつぎながらすすめられた。これを学問の諸系列に位置づけるならば、認識の理論は唯物論的な反映論の系列に属し、言語の理論は「言語過程説」すなわち時枝言語学の系列に属している。」(三浦つとむ『認識と言語の理論』第1部、p.4) ここでは、三浦言語学が時枝言語学の系列に連なるものだと表明されています。『認識と言語の理論』の他の箇所でも適宜、時枝の著作が『国語学原論』を中心に引用され、その成果や欠点が説かれているだけでなく、三浦さんの他の著作でも時枝言語学について触れられています。例えば、『弁証法はどういう科学か』においては、「言語の構造を弁証法的にとらえて言語学の原理的な把握において画期的な成果をあげ」(p.144)たことや、時枝の言語学における業績をコペルニクスの天文学における業績に比して評価できることが説かれています。 このように、三浦言語学の直接の基盤であり、三浦さんも高く評価している時枝言語学について、その具体的な中身、歴史的な意義を明らかにするのが、本稿の大きな目標となります。 連載第1回となる今回は、時枝の人物像に若干触れておきたいと思います。次回以降紹介する具体的な時枝言語学の中身を理解する土台として、時枝がどういう人物であったのかを知っておく必要があると考えるからです。 時枝は、1900年12月6日、東京神田に生まれます。東京帝国大学文学部国文科を卒業後、中学校の教諭などを経て、1943年、東京帝国大学文学部国語学国文学第一講座の教授に就任します。国語学史の研究から、西洋言語学(ソシュール言語学)を痛烈に批判し、ヨーロッパの理論を借り入れるだけの日本の現状を憂い、自らが対象と格闘することを通じて、論理を導き出すことを説く、熱き研究魂にあふれた人物でした。(以下、引用は時枝誠記『国語学原論(上)』によります。) 「言語の研究法は、言語研究の対象である言語そのものの事実にもとづいて規定される」(p.19) 「明治以後の国語学者は、外部より与えられた理論と方法とを絶対的なもの、普遍的なものと考え、自らの力によって対象と取組む勇気を次第に失ってしまった。」(p.24) 「国語学界に限らず、今日我が国学術界に於いて最も必要なことは、泰西の既製品的理論を多量に吸収してこれを嚥下することではなくして、学問的精神の根本である処の批評的精神に生き、飽くまで批判的態度を以てこれを取捨選択し、自己の理性に訴えて以て我が国学術進展の基礎として受入れねばならぬということである。」(p.76) このように時枝は、ヨーロッパから取り入れた「既製品的理論」を無批判に受け入れて恬として恥じない日本人研究者の態度を批判するとともに、その無批判に受け入れられる西洋の「既製品的理論」そのものをも批判していくことになるのです。(時枝によるソシュール批判については、連載第4回で詳しく説きます。) それでは次回以降、こうした主体的な研究態度で創り上げられた時枝の言語学について、大きく3つの特徴を中心に説いていき、最終回では時枝言語学の歴史的意義について考察したいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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拙ブログ「言語・文法・歴史 ― 情況への異和」で若干時枝の履歴を記していますのでご参考まで。行きがかり上、横道へ逸れていますが。(http://gutokusyaku1.mediacat-blog.jp/)
ブログ「ことば・その周辺 ―― 意識と言語」に「「三浦つとむ選集1」第一部「時枝理論との出会い」全文」が全文収録されています。(http://okrchicagob.blog4.fc2.com/?tag=時枝誠記と三浦つとむ)■ (2015年05月15日 15時09分31秒)
YAGURUMA"剣之助"さん、コメントありがとうございます。参考にさせていただきます。
(2015年05月17日 12時31分50秒) |
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