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ゆきよきの言語学・夏目漱石・日本史

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2017年01月27日
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カテゴリ:学一般
(12)学問構築のためには「人間とは何か」、「国家とは何か」を学ぶ必要がある

 今回取り上げるのは、南郷継正先生による「学問への道」に関する講義である。ここでは、弁証法の学びの重要性について説かれていく。

 以下、本論文の著者名・タイトル・目次を掲載する(本論文にはリード文はない)。

南郷継正
東京大学学生に語る「学問への道」(2)
―平成16年、夏期東京大学合宿講義―

 〈目 次〉
第1章 真の東京大学の復権に向かって、何をいかに学ぶべきか
 第1節 弁証法と武道空手の学びの同一性について
 第2節 農学とは何か―歴史における農業のおこり
 第3節 武術の歴史上の登場について
(以上、『学城』第3号 収録)
 第4節 論理的な頭脳を創るための学びを説く
 第5節 日本のリーダーとなるために
第2章 東大生に贈る、見事な頭脳になるための「学問としての弁証法」
 第1節 学問一般としての哲学を説く
 第2節 弁証法とは何か
 第3節 人間の頭脳は創り創られた実力によって活動範囲が確定される
 (以下次号)
 第4節 東大生として創り創られてきたことの欠陥
 第5節 頭脳を創りかえるためには
第3章 質問に答える
 第1節 組織について学ぶことの意義
 第2節 アリストテレスとヘーゲルを学ぶ理由
 第3節 人間体を武道空手体に創りかえるとは
 第4節 法は社会によって創られる
 第5節 社会にはそれを統括する指導者が必要である
第4章 弁証法・認識論・論理学とはなにか
 第1節 一流の人間になるためになすべきこと
 第2節 今の大学教育に欠けたるもの
 第3節 弁証法とはなにか、どう学べばよいのか
 第4節 認識論とはなにか
 第5節 論理学とはなにか


 本論文ではまず、論理的な頭脳ができない理由が説かれる。1つは、脳が頭脳として働くための運動不足のため、2つ目は、一般教養の知識が決定的に不足しているためだとされる。そして、一般教養の体系的な勉強が弁証法の学びのための基本であること、一般教養として修得した知識を体系性を持って並びかえられるための実力としての論理学の学びも必要であることが説かれる。次に、日本のリーダーとなって、自らの意志で日本を創るためには、「人間とは何か」、「国家とは何か」を知り、武道空手を修業して第一級の人生を歩めるための体力・精神力を培う必要があると述べられる。また、世界一を目指すためには、「学問としての弁証法」と「武道としての空手」をともに学ぶ必要があると説かれる。論の展開はここから哲学と科学に移っていく。科学は哲学から分かれたものであって、逆に東京大学全体の講座を集合させ、それを統括したものが哲学であると説かれる。そして弁証法に関しては、学問が弁証法的な努力の末に創出されたものであり、古代ギリシャ、カント、ヘーゲルの学問を学ぶためには、弁証法の真の実態を知らなければ不可能であると述べられる。最後に、人間はすべてにおいて人間として育てられるべく育てられないと、決して人間にはなれないということをしっかりとおさえて、頭脳(実体)と頭脳活動(機能)を向上できるようにしていく必要があると説かれる。

 本論文についてまず感じたことは、今まであまり意識していなかったのだが、この講義の内容ではなくて雰囲気が、非常に格調高いということである。もちろん、内容が伴ってこその講義であるが、実際に当時、南郷先生が東京大学の学生に向って説いておられた風景がはっきりと頭の中に浮かんでくるような、圧倒的な存在感を持った文章であることが、まずもって非常に印象的であった。さらに内容についても、細かいところからいえば、サル(猿類)からヒト(人類)への過程において、農業の創出、労働による手足の駆使が如何なる役割を果たしたのか、記憶力と思考力が如何なる関係にあるのか、一般教養の学びは如何にあるべきか、空気中の窒素の役割は何か、肺の役割は何か、といった諸々の問題に触れられていることが分かってくる。もちろん、これらの問題に関しては、その全てがこの短い講義の中で説き切られているわけではないのであるが、自分もそうした問題を単に知識として知っているだけではなくて、論理的に筋を通して考えられる頭脳の実力を手に入れたい! 何としてもそうした実力をつけて日本の真の指導者になりたい! と思わせるような感動的な展開となっているのである。

 さて、本稿全体を貫くテーマとして設定した「一般論を掲げての学びの重要性」ということに関わって、本論文から学ぶべきことを考えてみよう。それは、何といっても、「人間とは何か」という一般論をしっかりと把握してかかる必要があるということである。そもそも学問とは、人間が創出するものであり、人間が直面する諸々の問題を解決して、よりよい生活を享受するために創出するものである以上、その学問を生み出す主体であり、学問の成果を享受する客体であるところの「人間とは何か」という問題については、どの分野の学問であってもしっかりと押さえておくべき事柄になるのである。

 では、その「人間とは何か」である。本論文では以下のように説かれている。

「人間は創られて人間となり、創って人間となる」(p.196)


 この規定は、人間と他の動物とを分かつ決定的な要因が内に含まれているものであり、人間に関わる問題を説く際には、必ず踏まえなければならない人間一般論である。つまり、人間は他の動物のように、放っておいても育っていくというものではなくて、教育如何によって人間になれるのであるし、いわゆる個性というものも、生得的なものはほとんどなく、大半は生まれてからのしつけや教育によって創られてきたものであるということであるし、人間の認識を問題にするにしても、人間の言語を問題にするにしても、経済にしてももちろん教育に関しても、全て人間に関する問題を説こうとするならば、必ずこの人間一般論を押さえて、ここから説いていく必要があるということである。例えば、筆者の専門分野たる言語に関しても、人間は創り創られて人間となるということの過程における言語の役割をしっかりと考察することから研究をスタートさせていく必要があるのである。そもそもなぜ言語を人間が生み出したのか、その原点から問うていく必要があるのである。

 本論文ではさらに、この「人間とは何か」に加え、「国家とは何か」を知る必要がある、それはまともな人間社会のリーダー、統括者となるために必須の事柄であるとされていることも注目に値する。すなわち、人間の問題を考える際には、個別に人間を取り出し、人間だけを視野に研究を進めるというやり方では駄目であって、必ず社会的個人としての人間、国家の成員としての人間という視点で研究を進める必要があるということが示唆されているのである。人間は、社会から断絶されては生きていけないし、その社会とは、国家という枠組みを持って初めて成立可能なものだからである。故に、「人間とは何か」、「国家とは何か」という原点をしっかりと学びつつ、それぞれの個別科学の発展にまい進していく必要があるのである。

 以上をしっかりと踏まえて、何度も何度もこの論文に学び続けていくとともに、言語学の新たな地平を切り開いていく決意を述べておきたいと思う。





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最終更新日  2017年01月28日 17時16分20秒
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ガラスの玉は、本物の真珠をきどるとき、はじめてニセモノとなる。

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