西東京いこいの森公園が話題になっているようです。まちづくりを生業としている僕にとっては大いに興味がある話で、見て見ぬ振りは出来ません。いつどこで起きてもおかしくない話だし。ということでちょっと一言。
新聞記事によると、市町村合併を記念して約100億円超もの大金を投じてつくられたこの公園(約4.4ha)には、噴水とその周囲にスケートボードパークがあり、そこで遊ぶ子どもの声がうるさくてかなわん、何とかならんかと近隣に住む方が市に陳情。市も植栽を増やしたり公園使用時間の制限や夜間巡回パトロールなどを講じて改善に努めたようですが、その方にとっては恐らく一向に改善されたとは思われなかったのでしょう。東京地裁八王子支部に騒音指し止めの仮処分を申請。結局、同支部から市にたいして「噴水を使用してはならない」という決定が下されたというのです。
この件に関してみんなの反応は?と思ってあちこち検索してみると、ヒットするブロガーの多くの論調は、「子どもの歓声が騒音に聞こえるような時代になったんですね…」という世の中を悲観するものがあるかと思えば、「設計がなっとらん。こりゃ設計ミス以外の何物でもない」というランドスケープ先生の厳しい意見あり、果ては「こんなへぼい設計を平気でしてしまうような会社に発注してしまう入札制度にこそ諸悪の根源がある」と切り捨てる御仁がいたりします。こんな意見も。「こりゃはっきり言って親の躾の問題。もう一度躾から始めなきゃ問題は解決しっこない」
ランドスケープ先生の意見はこちら↓
http://blog.goo.ne.jp/taakyon
http://blog.livedoor.jp/kashigune/archives/51109143.html
http://fieldsmith.net/bslog/archives/2007/10/post_499.html
市民の意見
http://tamatama.tea-nifty.com/tanashi/2007/10/post_0bf2.html
いずれも「そう、その通り」で、それぞれ断面を切り取るとみんな正しい。でも僕には何か決定的な問題が抜け落ちていやしないか、そっちの方こそが気になってしょうがない。みんながそれぞれの立場で正論を論じるのは必要なことだし勝手だけど、そもそもそんな完璧な社会や仕事(設計)ってあるのかな?裁判所の力を借りる前に地域の力で何故問題を解決出来なかったのか?世の中何かしらどこかに問題をはらんでいて、ぎりぎり受忍の限界ラインすれすれって「コト」や「モノ」で溢れている。そんな世の中に僕たちは生かされているわけであって、あー言えばこういう人は当然いるし、こちらが良かれと思っていても相手にとっては迷惑千番だったり…ってことがどちらかというと日常。そこをつなぎ合わせてお互いがどう納得するかあるいは認め合うかってことが、ともに生きていく、いかざるを得ない現代社会においてはとっても大切なこと。そこのところをほったらかしにしていたら何も生まれてこないんじゃないかなーと思う。
もちろん、設計・デザインに責任がないなんて言うつもりは僕には毛頭ない。むしろその責任は大きいと思ってる。へぼい設計(公園だけじゃなくて建築やニュータウンだってそう)は、はっきり「へぼい」って言わないと分からない人が多いから問題をはっきり指摘するのはとっても大切なこと。でも、問題の本質は、どんなシステムがこういう設計を許し、紛争を招いているのか、そのシステムにもし問題があるのであれば、どうやってそのシステムをぶっ壊せるかというアプローチと同時に、現実を受け入れた上で今何が求められているかということに耳を澄ませて行動することではないかと思うんだなー。人間て基本的に自分や組織を守ろうとする保身的生き物。歓声が騒音に聞こえてしまうことは大いにあり得る話で、発注者である市、受注者であるSコンサルタント、公園利用者…、お互いがお互いの立場にいま一度思いを致し、自分の胸に手を当てて、今からでも遅くはない。何が出来るのかを考え行動することこそが求められているというのは優等生的見解に過ぎる?
PS:
そういえば、この春、いつも練習で使わせてもらっている連光寺小学校長からこんなことを言われたことを思い出しました。赴任の挨拶に学校の周囲のお宅にご挨拶に行ったときのことだそうです。曰く「校庭で練習中の子どもの声だけでなく指導者らしき大人の厳しい口調が耳障りで気になってしょうがない」。だからどうしろという話はなかったようですが、今回の話は決して他人事ではないのです。うるさくはなくても、耳障りっていうのは分かる気がします。