「背戸道」という、日常生活に欠かせない路地状空間が、真鶴町のあちこちに張り巡らされているという話を以前しました。背戸道の幅員は一様ではなく、1mから2mにちょっと足らないぐらい(半間から一間)の道まで実に多彩です。それが、等高線に沿って走っていて、斜面に建つ家はこの道に接道することによって日常の暮らしが支えられています。ちょうど、棚田の畦道のような役割りを果たしているのがこの「背戸道」と例えられるかもしれません。
この背戸道は、昭和25年(1950年)の建築基準法施行以前から存在する道に出自を持っています。建築基準法が求める前面道路の最低幅員は4m。つまり、前面道路が4m以上ないと家は建てられないように規制されています。背戸道は建築基準法制定時に既に存在していたため、4mの幅員を持たないものの、道路として認められた道で、建築基準法42条2項の規定による道路という意味で、「2項道路」と呼ばれています。
この2項道路は、日本全国の街のあちこちにありますが、その取扱が日本の古くからの街並みを一変させることから、その対応が街づくりの現実的な課題としてあります。どういう課題かというと、2項道路は、沿道の建築行為に際して、道路幅員を4mにするために、道路中心線から2mの壁面後退を求めています。このルールを厳正に適用していくことによって、徐々に4m道路への拡幅を進めていくという仕組みになっているわけです。
数字だけを捉えると、「道が広くなっていいじゃない。何か問題でも?」となりますが、道が広くなるのは沿道の建物の全てが建替えられてからになりますから、いつ全線4mになるのかさっぱり見通せないし、何より問題なのは、これが従前のヒューマンスケールな路地状空間をこの世から消去し、オーバースケールな道路を出現させるだけではなく、路地を介して存在していたコミュニティまでも消去してしまうことが多いという現実です。ヨーロッパの古い街にいまも生きづく生活臭がにじみ出たヒューマンスケールな路地を、現行法はどんどん消し去ろうとしているわけです。
日本が戦災復興に向けて一丸となっていた頃に定められた建築基準法が4m以上の幅員を要求するのは、主に防災上の理由(消防車が通れる幅)ですが、阪神淡路大震災の検証では、道路幅員はほとんど関係なく、むしろ建物の耐火性能の低さが被害を大きくしたと言われています。
2項道路とされる路地状空間の保全に無策なわけではありません。大阪の法善寺横町で初めて実施された連担建築物設計制度の適用による2項道路の保全など、その地域の実情に即した新たな制度も生まれています。それを可能とした力は何か。ここがポイントです。その横丁が特別な場所として多くの人に愛されていたからに他なりませんが、こうした事例を特別な場所だけの特殊解に終わらせないためにも、数値規制による街づくりから、大切にし守られるべき空間の質を重視した街づくりへと、僕たちの仕事の質も変わっていかなきゃいけないし、何よりも普通の人々による身近な街の再評価が欠かせません。真鶴という小さな港町の視察から「身近なところからはじめる街づくり」の大切さを改めて教えられたのでした。

真鶴の暮らしを支える路地
車とどう付き合うかという問題が絡みますが、車と折り合いをつけるやり方として、道路パターンで工夫する手もありますよ。U字型にしてしまえば、その道に進入してくる車は、極端に言うとそのU字型道路に面しているお宅の車しか入ってこない。デリバリー車輌は避けられませんが…。
夢見隊1号(14世帯)、2号(16世帯)もU字型なので、いつ行っても子どもたちが道路を我が物顔で楽しく遊んでます。
あと駐車場を1箇所にまとめてしまう手。これは駐車場から自宅まで歩くことをいとわない人にしか受け入れられませんが、世の中にないわけじゃありません。タウンハウスはじめマンションは基本的にこのタイプですからね。戸建で何で?という疑問を払拭する空間価値が提供できれば可能性はゼロではないと思います。(2010/03/09 10:35:27 AM)