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ユミリンの のんびりハピパワ日記

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Jul 23, 2007
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カテゴリ:カテゴリ未分類
知人の日記読んでて私も、もう十年ぐらい前になくなった祖母を思い出しました。

明治生まれだった祖母は晩年は母の十分な世話を受け平和ボケの中で、幸せな大往生をしました。

が若いときは祖父母や父は大変な目にたくさんあっています。

戦争で空襲にもあって焼け出されていますから、防空壕の中で、また川の中で火をしのいだとか。街中でしたので、戦後は家族を食べさせるのに、買出しに奔走、帯の間に少しずつお米買って入れて、もって帰ってきてたそうです。


私の父などは、いつも空腹で、北朝鮮の人のように、頭の中はいつも食べ物のことばかり考えていたらしいです。


特に印象的な話が、戦後すぐ親しくしていた隣の老夫婦とも兄弟のような付き合いだったので、焼け出された老夫婦は、祖父母のバラックに同居してたそうです。

ですが、戦争で体が弱り、見せる医者もなく薬もなく、祖母が看病をし、終いには祖母の腕の中で感謝してなくなったそうです。


それから昭和を生きた祖母は、気性の激しい偏ったところも逢ったものの、3人のこどもを育てながら、内職や小商いをし続けていました。

あの時代の日本人は人情があったのですね、というか祖母は困ってそうな親戚があると出向いていって、良く親戚ボランティアのようなことをしていました。親戚の子や知り合いの子の縁組なんかもしたり、、。

今でいうおせっかいな叔母さんというやつですか、、、

おせっかいな叔母ちゃんが昔は日本のそこここに、こないにして居たのやろうね。

たぶん、独居老人の孤独死なんてのも少なかったのと違うかな、、、


今のクールに割り切った日本人も、良い意味でもうちょっと後戻りして、人情味身につけてもいいんと違うかと思う今日この頃です。



嫁は家に似るといいますか、私の母も、性格は違うけど、だんだん姑に似て、よく親戚ボランティアしてます。兄弟や大叔父や大叔母に良くしてあげるので、慕われています。


私も家に似るなら、年寄ると親戚ボランティアしだすかも分かりません 笑

でもね、遠いカンボジアやアフリカの人にボランティァもいいけど、自分の身近な周りの人や日本の苦しんでる人を大切にしたり助けることのほうがもっと大事なような気がします。
ねえ、ばあちゃん。(^。^)y-.。o○

今日も御目文字かかれてありがとうございます。





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Last updated  Jul 23, 2007 02:17:38 PM
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