南米旅行 1 ブエノスアイレス 2009年10月17日
10月2日午後3時に成田を発って、ロサンゼルスとリマで飛行機を乗り継いでブエノスアイレスに着いたのは3日の午前8時前だった。日本とアルゼンチンには12時間の時差があるので、29時間かかった事になる。機内での睡眠時間は5時間足らず。31名の団体ツアー、誰もが一休みしたいところだが、即、市内観光。
それも、次のイグアスまでの飛行の待合時間の5時間足らずの観光。(この、ツアー3日後にも飛行の乗り継ぎ時間を利用しての4時間の市内観光があるのだが、私は日本で許可(誓約書提出)をもらって自由行動をした)
これを企画したK旅行社、一体、人間を何と考えているんだろうと疑りたくなる。 多くの人がバスの中で眠っていたが、欲張りな私は、しかと眼を開いて、ブエノスアイレスの市内を見入った。
私は1974年にもブエノスアイレスは訪れている。(サンパウロ、リオデジャネイロと共に) 驚いたことに、あの時と街の様子はあまり変わっていない。変わっているとしたら、35年前の方が、パリにも似た、しっとりとした風情があった。しかし、今は治安も悪いし、日本人観光客がワンサといる。(新インフルインザなんてなんのその)
あの時は一人旅で4日間ブエノスアイレスに滞在した。3夜、ショウを観に行った。あの時以来、私は情熱的なリズムの中にも哀愁が漂っているアルゼンチンタンゴのファンになった。ダンスも好きだ。大胆なステップ(時には女性の足が男性に絡まる)に眼を輝かして見たものだった。
今回の団体ツアーのご一行、ブエノスアイレスに宿泊しないので、夜の歓楽街の楽しさをを知らない。ブイノスアイレスの白人社会は「夜に遊び、昼に寝る」という風習が今でも残っているのだそうだ。
アルゼンチンは16世紀初め、スペイン人によって占領された。ブエノスアイレスを拠点として、スペインの貴族は南米をいくつかの国に分けて植民地とした。従って、南米はブラジル以外、公用語はスペイン語となった。(ブラジルは同じケースでポルトガル語)
500年前のスペインの権力のすごさと、人間の欲望を南米に来ると思い知らされる。原住民の自由も文化も奪ってしまったのだ。(神は、なぜ人間に権力と闘争を与えたのだろうか)
私は今回のツアーで、初めて行く所があった。それはアルゼンチンタンゴの発祥地といわれているポカ地区である。名曲、「カミニート」はここの路地から生まれたのだそうだ。 なんて庶民的な地域であることよ。通りを囲むカラフルな家が楽しい。昼でも、カフェや酒場から、アルゼンチンタンゴが流れていた。
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写真説明:1、ブエノスアイレス中央広場 (名前は忘れた)
2、スペインの植民地時代の権力の象徴(名前は忘れた)
3、ポカ地区に立つ私(タンゴのようにスマートでない)
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お知らせ(お断り)
自分のミスで「ゆらのと徒然草」の180から189が欠番となってますので、今回の南米旅行をその欠番に当てます。(小心の私は欠番があると眠れない) この10回は週2のベースでブログを更新します。次回は「イグアスの滝」です。
ゆらのと=峰村剛 (長岡市在住)