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カテゴリ:アレキサンダー大学校
宇多田ヒカルさんがツィッターで「赤十字への義援金を政府が介入するけどわたしの義援金はキチンと被災地に贈られるか」という主旨のことを書かれていた。
街のどこかしこでも義援金を募っているが、スポーツ選手や公的な団体などはまだしも、あやしいNPOやNGOはたまた宗教ぽいところまでやっている。本当に善意で寄付したものがまんべんなく、しかも1円の無駄もなくつかわれることが望ましい。 なにかできないかと、はやる気持ちはおいといて、できればもっと違うことで被災地の役にたつことを探してもらって、義援金は基本的には赤十字に一本化し、政府の介入ではなく、1世帯当たり人数に応じた公平な配分と、優先順位をつけた復興支援の分配がのぞましい。 というのは、国連とかユニセフを通じた寄付というのは、結局その組織の人件費を差し引かれて運用されるものだからだ。スポーツ選手などがボランティアでやっている分はまだしも、NPO、NGOは名前の割りにはちゃんと人件費は支払う。そうすると、いくらかは、言葉としては不適当だが、テラ銭を抜かれるわけだ。 その点赤十字はテラ銭は抜かれることがないと聴いている。 知り合いのある不動産開発会社の女性役員が、かつて国連に勤務しようとして、結局その実態から意味がないと思い、単身、現地の子どもたちのために学校や井戸をつくるために現地の代理人をやって日本政府や国連との折衝をしていた。彼女はなにが生きたお金でなにが死に金かをよくわきまえた人だと思う。 どうも長い間、ばら撒き予算に慣れさせられたせいか、寄付に対して宇多田さんのような影響力がある方が疑問を呈してくれることはよいことだ。震災を食い物にする輩がいて、そうした人は、北野武さんではないが、射殺はともかく、国外追放してもよいのではないかとさえ思う。 それにしても政治の無力さはどうなんだろう。復興のためには経済が重要だが、 経済はもともと「経世済民」を略した言葉であって、民が救われなければ政治なんてものは不要だ。震災を通じて、アチコチで政治的不毛なバトルがあるが、人気取りで政府介入をするよりは、むだなくお金も物資も届くように影ながら、尽力するのが政治家の本懐なのではないのでしょうか。パフォーマンスなんかしなくても、意外と国民はちゃんとみているのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.04.05 14:18:11
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