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楽天版:ユタカン。・サンディエゴ通信。

楽天版:ユタカン。・サンディエゴ通信。

『VOL21~VOL30』

日時 :2003年04月12日(土)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL21、
初めてのクリスマス イン サンディエゴ・アメリカ。』

ニュース内容:
 2002年12月28日(土)の通信。

 こんにちわ。

 この12月24日、25日のクリスマスの日をここサンディエゴで
過ごしました。 アメリカ人は自分の家を飾り付けするのが
好きらしく(笑。)、電球がぴかぴか光ってる。
うちの近所もすごく綺麗にライトアップされている家があって
その家の前で写真を撮った。はははは。

 24日はホストファミリーのママが『子供(娘)の家でクリスマス会を
するけど来る?』って誘ってくれたのですが、ここの家ならまだしも
場所が違うし普段ほとんど話もしない人たちなので断った。 
だって居場所ないし、行ってもただ疲れるだけだし・・・。 
ここでするなら自分の部屋に戻って来れるけど、
他の家ではそうもいかなく帰るもの遅く辛いのは
100%分かっていたので。笑。 他にも予定あったし・・・。

 アメリカ人の友達の家でクリスマス会をするということになっていて
そっちに行っちゃった~。 ははっはあ。
24日はアップルパイなどのパイで有名な町があるということで、
そこに連れて行ってもらった。 サンディエゴから一時間ちょっとくらいの
ところにある『Julian』という町に行った。 いい感じの田舎なんだけど、
町の中心の道は観光客でいっぱいだった。 数日前、この辺りで雪が降って
僕が行った時もところどころでで雪がちゃんと残っていた。 
もちろん写真も撮った。笑。 アップルとチェリーのパイは
晩の友達の家でのパーティ用でもう一つはホストファミリー用
『Traditional apple pie』(伝統的なアップルパイ)を買った。
普通のアップルパイなんやけどね。笑。

 クリスマスの時には、サンクスギビングの時のように
七面鳥またはこってり味の蜂蜜で焼かれたハム(Honey baked ham)を
食べるらしいです。 今回は七面鳥ではなく、ハムのほうを用意
してくれた。 すごくでかくってというかこっちのはなんでも
でかい・・・。 ハムの嵐だった・・・。爆笑。
でも、すごくおいしかった~。

 25日は、サンディエゴ市内や近郊の町で色とりどりの
イルミネーションで飾られた住宅地があって、一箇所だけ行ってきた。
サンディエゴの北側にある『RANCHO PENASQUITOS』という住宅地で
各家ごとに違った飾り付けをしてすごく綺麗な町並みだった。
これを見に結構な人が車で来ていた。 もちろん写真も撮ったよ。笑。

 すごく伝統的に家族と過ごすというクリスマスではなかったけど、
アメリカのいちクリスマスを楽しめたのではないかと思う。

 スペインやイタリアなどのクリスマスとは本当に全然違うくって
どっちかというと日本でもありそうかもという感じだった。
でも、さすがに家全体と小さな電球でライトアップをするいうのは
アメリカらしいと思ったけど、でも日本の僕の家でもそれらしいところは
あった。 スペインなどは本当に宗教色の強いキリストの降誕祭
クリスマスでアメリカや日本は一般的にいうサンタクロースが来て
プレゼントを夜中、枕もとに置いてくれるというものです。
スペインとアメリカのクリスマスの意味合いの違いがすごく楽しい。笑。

 23日、電話会社の人が僕の部屋に来て個人の電話線を付けてもらった。
今まではひとつの番号を韓国人のハウスメートをシェアーとしていたの
ですが、僕がよくインターネットをするというので電話線を塞いでしまい
彼が電話できなくなり電話も受ける事ができないということで
僕の部屋にもう一つ電話線を取り付けことになりこの問題は
解消されました。 電話会社のお兄さんもいい人でこれでゆっくり
電話回線を占領できる!!笑。

 冬休みになってからよく食って寝ての繰り返しで
クリスマスの日は本当にいっぱい食いすぎて今も胃が重い・・・。汗。
そんなクリスマスでした。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年04月12日(土)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL22、
マジック・マウンテン イン ロサンジェルス。』

ニュース内容:
 2002年12月28日(土)の通信。

 こんにちわ。

 クリスマスも終わり、次の日の26日はLAにある
『Magic Mountain。』に学校の日本人の友達と
アメリカ人の友達を行ってきた。 『マジック・マウンテン。』は
ジェット・コースターがメインの遊園地で来るまで知らなかったのですが、
ここのメインキャラクターはバックス・バーニーだった・・・。

 全部でいくつのジェット・コースターがあるのかわからないけど、
確か六つか七つって聞いたような・・・。 僕は4つ乗った・・・。笑。
『Revolution』、『Viper』、『Dejavu』と『"X" Ride』の四つ。
僕が乗った中でオススメは、『Dejave』と『"X" Ride』の二つ。
その中で一番のオススメは、『"X" Ride』です。 まじで最高にいい!!!
足が宙ぶらりんでめっさ恐いし、めっさ楽しい。 これが有名っていうのを
以前聞いていたので、行って納得してしまった。 
この四つの中で一番人が並んでいたし・・・。 絶対ここに来たら、
これに乗ってくださいね。笑。

 友達らは同じの二回乗ったり『Superman』というコースターに
乗ったりと、僕よりいっぱい恐怖体験していたけど、
彼らは好きな人らなので問題なし!!!笑。 最後はみんなで
『メリーゴーランド』に乗って今回の締めとしました。 はははあ。

 サンディエゴから車で二時間以上はかかっていた。
帰りは混んでいたし、時間かかったな・・・。
車を運転してくれたアメリカ人の友達ありがとう。
次回なんかあった時には、三十分だけでも運転するようにします。
ははっは。
今回は運転する気で来てなかったので免許証も手にしてなかったよ・・・。
苦笑。 お疲れさま。

 この年末三十日から年明け一日まで『Las Vegas』に行ってきます。
そこで年明けをする予定です。

 次回の『ユタカン・サンディエゴ通信。』では
この報告をしようと思っています。 お楽しみ。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年04月18日(金)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL23、
年末年始のラス・ヴェガスへの旅・Part1。』

ニュース内容:
 2003年01月11日(土)の通信。

 こんにちわ。

 ついに年が明けてしまいました。
みなさんはどのような年末・年始だったのでしょうか?

 僕は、12月30日から1月1日までギャンブルで有名な
アメリカ・ネバダ州のラス・ヴェガス(Las Vegas)に行ってきました。
12月31日にはアメリカ国内そして世界各国から50万人以上の人が
ここに集結していたと・・・。

 パート1は、12月30日の出来事を書こうと思います。

 30日の朝9時ごろサンディエゴから出発して、友達がすごく飛ばして
運転していたので5時間かかるところを4時間半くらいで行くことが
できモーテル(Motel:自動車旅行者のための宿泊所)に荷物を置いて
昼間のラス・ヴェガスをちょこっと観光と昼飯を食べにストリップ
(The Strip)というメインストリートに行った。 モーテルから歩いて
15分くらいと便はよかった。 食事は、フラミンゴ・ラスヴェガスで
バフェ(食べ放題)だった。 ほんまにいっぱいの食べ物があった。
食いすぎて腹痛にちょっとなった。苦笑。

 その後、観光した。 夕方になってトレジャーアイランド・ホテル
(Tresure Island Hotel)のバッカニア湾の戦い(The Battle of Buccaneer
Bay)というフリー・ショーを見た。 無料とは思えないくらい
迫力のあるショーだったよ。 人気が高いようなので、早めに行って
待ったほうがいいと思う。 小ネタとして橋の右側(ホテルを前にして)に
陣取った方が一番見やすくいいと思うので是非そこに行ったら
試してみて下さいね。 はははあ。

 これが30日の出来事。 パート2に続く。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年04月18日(金)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL24、
年末年始のラス・ヴェガスへの旅・Part2。』

ニュース内容:
 2003年01月11日(土)の通信。

 パート2は12月31日の話しです。 

 31日は午前中にアメリカ西海岸電力の源、フーバーダム(Hoover Dam)に
行ってきた。 ラス・ヴェガスから45分くらいのところにあって、
実はラス・ヴェガスに行くことが決定するまで名前もどこにあるかも
知らなかった・・・。 ほんまにアメリカ知りませんねん・・・、
すんません。汗。 ネバダ州で唯一ギャンブルが違法な町
ボルダー・シティ(Boulder City)を通って険しい山々の合間を抜けてダムに
着く。 1931年に始まった工事は四年近くかかり、せき止められた
コロナド川によって巨大な人口湖レイクミードが誕生した。
現在、このダムは年間40万キロワットの電力を供給している
らしい・・・。 といってもどれくらい?苦笑。 とにかくすごいって
ことです。 ははっは。 このダムはネバダ州とアリゾナ州に
かかっていて、10分ほどだけアリゾナ州に入ってドライブを堪能した。
周りにはなにもなかったけど・・・。汗。 カリフォルニア州から
来たので、ネバダ州とアリゾナ州の三州に一気に行ったことになる。

 ダムの上を車で通るのですが、アフガンのアルカイダのテロに
ここも狙われてる一つに入っているらしく、トラックや大型バスなどの
通行を禁止しているらしく全然見なかった・・・。
ここを爆破などで破壊されると想像できないくらいの
とてつもない数の死者がここのダムの洪水によって出るという・・・。
ダムに入る前に検問所があった・・・。 僕らはなにもなくパスしたけど、
止められて調べられる人もいるんだなと・・・。 恐いです・・・。

 昼も過ぎてラス・ヴェガスに戻り夜のためにモーテルで休憩した。
この町は昼間より夜の方が活気づくのです。 なんせギャンブルの夜の町
だから。笑。 夕方になって再び歩いてストリップに行った。
この日の夜は結構歩きまくって有名スポットを見回った。 

 ルクソール(Luxor)は、古代エジプトがテーマになっている
ホテルで巨大なスヒィンクスの像に36階建てピラミッドの頂上から
空に向かって光が放たれている。

 ニューヨーク・ニューヨーク(New York-New York)は、半世紀前の
マンハッタンをテーマにしているらしい。 ニューヨークの象徴、
自由の女神が実物の二分の一の大きさで、今はなきテロにあった
ワールド・トレードセンターもそこにあった・・・。
柵には、亡くなった人に捧げる花やTシャツにメッセージが
書かれたものが掛けられていた・・・。

 パリス・ラスヴェガスは(Paris Las Vegas)は、
エッフェル塔、凱旋門、世界三大美術のルーブルとフランス・パリを
テーマにしたホテル。 等身大でパリと同じ大きさ。
「パリに行かなくってもいいかも。」って思わすほどだった。笑。

 ベネチアン(Venetian)は、イタリア・水の都ベニスをテーマにしてる。
建物の中に水路がありゴンドラ(イタリアの小さな船)で周ることが
できる。天井はフレスコ画(西洋の絵画に用いる技法。)で飾られて
ラス・ヴェガスにいるとは思えなかった。 建物内にいるにも関わらず
うまい照明で外にいるような演出をしていた・・・。
これは行ってみて感じた方が絶対いい!!! おすすめのひとつ。

 いっぱいもっと見どころありです。
さらに31日に続きまたまたフリーショーを見ました。

 べラッジオ(Bellagio)も有名なホテルでその前には大きな池があり
噴水ショーを見ることができる。 北イタリアのコモ湖を模した池で
優雅な噴水ショーが行なわれ、約1000本の噴水がクラシック音楽に乗って
見事なバレエを踊ってくれる。 この日は10分おき位にショーがあって
毎回違うものだった。 ここに行って~!!! 感動するって~!!笑。

 最後にミラージュ(The Mirage)のホテル前の火山の噴火ショーが目玉。
大迫力で楽しめる。 遠くから見たけど、でかい炎が上がっていた・・・。
ここのホテルから新生ラス・ヴェガスが誕生したと・・・。

 まだまだ続いて、ベラッジオの近くで1月1日に上がる花火を一時間くらい
待った。 この時間帯はまじで人人人の嵐だった・・・。
掻き分けるても掻き分けても人人人・・・。
ここが一番のメインイベントなのでみんなの気持ちも痛いほどわかったけど、
すごい人だった・・・。 アホアホした酔っ払いの若者いっぱい
いたし・・・。笑。 カウントダウンに入り花火が打ちあがった時、
なんと・・・。 通りに有名なホテルの屋上から上がっているでは
ありませんか・・・・。 それも同じ花火が同じ間隔で・・・。
こんな演出は初めてだった・・・。 日本でもスペインでも見たことが
ない・・・。 それも夜のパリスのエッフェル塔のすぐ近くにいて花火が
いい感じの明るさで口が開いたままだった・・・。 はははっは。爆笑。

 そんなこんなでモーテルに戻ったのは二時前だった・・・。
さらにパート3最終章に続く。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年04月18日(金)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL25、
年末年始のラス・ヴェガスへの旅・最終章Part3。』

ニュース内容:
 2003年01月11日(土)の通信。

三部作最終章Part3は、年末年始の旅最後の1月1日に
ついてです。・・・。 サンディエゴに帰らないといけない日がついにきた。
3日間の短い旅だった・・・。

 ラス・ヴェガスへ帰るのに二通りの帰り道があって行きとは違う道で
帰るかどうかという提案があったけど、行きに通ったところに
Calico・カリコ(Ghost Town・ゴーストタウン)があって
どうしてもそこに行きたかった・・・。 ということで行きと同じ道で
サンディエゴに帰ることになった・・・。はっははあ。

 カリコは117年位前に銀鉱山で栄えた町で
今は誰も住んでいなくゴーストタウンとなっている。
でも、保存されていてきれいに整備されている。

 ここで古きよき時代のアメリカン・カルチャーを学びことができた。
ガイドブックを二冊持っているけど、どっちにもこの町のことが書いて
なかったので、穴場かと思う。 ま~、車がないと行くことができないん
だけどね・・・。 日本語の立て看板を見たので、
観光バスでのツアーはあるんだと思う。 入場料は大人6ドルだった。

 ラス・ヴェガスやフーバーダムのアメリカのパワーの源は
こんな小さな町から始まっているのかなと思うと時間とお金とたくさんの
労働力が必要なんだと改めて感じた・・・。
ラス・ヴェガスもフーバーダムもすごい迫力だったけど、
カリコのような古いものを見るほうが最近感動するのです・・・。 
よかった~!!笑。

 あっという間の3日間。 早かった。
大学でスペイン語に出会って以来英語圏に全く興味がなくなって
しまってアメリカについて知らないことがいっぱいあった。
この旅でアメリカの一部を新たな発見として知ることができていい旅
だったと思う。

 是非もしアメリカに来たら行ってみてくださいね。はっは。
小さな情報までに・・・。笑。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年04月18日(金)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL26、
1995年01月17日早朝05時46分。』

ニュース内容:
 2003年01月16日(木)の通信。

 こんにちわ。

 今、日本時間で17日の昼(サンディエゴ時間で16日の夜)です。
今日1月17日は忘れもしない『阪神淡路大震災』の八年目です。
もう八年も経ったのかと・・・。 早朝5時46分にあの忌まわしい地震が
あった。

 当時1995年1月、僕は高校二年生(16歳)だった。
僕の実家の兵庫県伊丹市も神戸と大阪の間にある町なので
ダメージを受けた。 伊丹人がよく利用する阪急伊丹駅はみごとに
倒壊・・・。 二階建てだったのが二階部分に押しつぶされ一階部分が
なくなっていた。 電車は宙ぶらり状態だった・・・。

 僕の通っていた高校も伊丹市内にあってダメージを受け、
特別棟(生物室や音楽室など)が立ち入り禁止になって僕が卒業する
残りニ年ちょっとは運動場脇にできた仮設の校舎での授業だった・・・。

 僕の実家もダメージを受けた。 瓦が剥がれ落ち壁にひびが入り
家が少し傾いた。 でも、生活には支障なくその時も水もガスもすぐに
使えたので助かった。 電話は不通だった・・・。
電話ボックスに長い人の列ができたことを覚えています。
近くにコンビニには物資がなくガラガラだった。

 僕は部屋でもう少しで死んでいたかもしれない・・・。
地震でおもちゃ箱上部のガラスの扉が外れて僕の枕元に
落ちていた・・・・・。 地震の時は、無意識的に布団を覆い
被さっていたのでどこも怪我しなかったけど、
そのガラスだけはちょっと恐かった・・・。 まくらのすぐ横に
落ちたのだから・・・。 布団の上に落ちて割れなかったので
助かった。

 父からのメールで近所の昆陽池(こやいけ)公園で
今年も『犠牲者追悼の集い。』をしていたそうで母と行って追悼を
してきたそうです。

 このメールは関西圏の知人・友人を中心に関東圏の日本全国と
海外にいる日本人友達、外国にいて日本に興味のある外国人の友達に
配信しています。 もしかしたら『阪神淡路大震災』のことを
知らない人がいるかもしれない。 是非この機会に知ってくれると
幸いです。 僕は忘れることができない『阪神淡路大震災』・・・。

 この震災で6433人の亡くなった方にご冥福を祈ります。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年05月10日(土)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL27、
最後のメールので配信・ミッション終了。』

ニュース内容:
 2003年01月19日(日曜)11:35PMの通信。

 こんばんわ、お元気でしょうか?
みなさんに報告があります。 突然ですが、今回をもってPCでの
『ユタカン・サンディエゴ通信。』のメールでの配信を終了いたします。
しかし掲示板にはこれからも不定期ですが、投稿していこうと
思っています。  これが掲示板のアドレスです。
http://8418.teacup.com/yutakan/bbs
 
 掲示板を作ったにも関わらず、訪問してくれている人が少ないようで
とても寂しいです。 是非訪問してくれることを期待しています。
投稿できるので、是非訪問した際はメッセージを残してくださいね。
お願いします。

 PCと携帯を合わせて日本国内・海外にいる日本人・外国人の
知人・友人130人近いみなさんにメールを約五ヶ月間配信し続けることが
できました。 僕のメール配信を読んで返事をくれたみなさん、
つたないメール配信についてアドバイスをくれたみなさん、最後まで
読んでくださったみなさん、ありがとうございます。

 この17日(金曜)に二週間の特別授業を終了し
短かったけど僕が一番欠けている部分を少しだけでも
補えたのではないかと思う。 先生がよかったからかな。
そしてこの22日(水曜)から本格的に普通コースの授業が始まります。
4ヶ月間のいっぱいいっぱいの毎日が再び始まります。
いっぱい勉強できるね~。 わくわく。苦笑。 はははあ。

 LOVE and PEACE all over the world (世界中に愛と平和を)

 ユタカン、サンディエゴ

 注: 以前友人・知人のみにメールや携帯メールに配信をしていました。
しかし、かなりの負担になるため『掲示板』だけのに『通信』に
切り替えたというお話。

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日時 :2003年05月10日(土)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL28、
第37回スーパーボウル イン サンディエゴ・その1、
スーパーボウルとはなんぞや??』

ニュース内容:
 2003年01月25日(土曜)12:05AMの通信。

 こんにちわ。 メールでの配信を止めて初めての通信です。
何人かここでカキコしてくれていたので大変嬉しく思います。
ありがと。

 さて、この週末の日曜(26日)はアメリカ人の最大の
スポーツ・イベントである、スーパーボウルがあります。
全くアメリカン・フットボールに興味のない僕ですが、
このいい機会にちょっとコマメ程度の勉強をしています。
ははっは。

 スーパーボウルとは、NFLのチャンピオンチームを決める1戦で、
9月~12月のレギュラーシーズン、1月のプレーオフシーズンに続き、
例年、1月の最終日曜日に開催されることになっている。AFC、NFC
各カンファレンス(リーグ)を代表するチームが1試合のみで決着を
つける。開催地は通常、出場チームとは関係なくあらかじめ決められた
場所となる。

 スーパーボウルは、単なるスポーツイベントの枠を越え、
アメリカ文化の主要な一部分として、多くの人々に楽しまれている。
アメリカの国民の祝日には指定されていないものの、スーパーボウル
までの1週間は“スーパーボウル・ウィーク”と呼ばれ、出場チームの
地元や開催地はもとよりアメリカ全土がスーパーボウル一色になる。
ゲーム当日は“スーパー・サンデー”と呼ばれ、テレビでは朝から
スーパーボウル関連の話題や試合の予想で一色となる。また、多くの人々は
スーパー・サンデーに友人や家族などを集めパーティーを開き、毎年1度の
アメリカ最大のスポーツイベントを楽しむ。

 アメリカでのスーパーボウル人気は想像を絶する。テレビの視聴率は
軒並み40%を越え、視聴者数では約1億3千万人以上と、国民の2人に1人が
生で観戦していることになる。アメリカでの歴代視聴率トップ15の
半分以上(8)をスーパーボウルが占め、スポーツイベントに限った
場合では上位10番組のうち、3位の1994年冬季オリンピックを除いては
全てがスーパーボウルである。さらに、アメリカTV番組の歴代視聴者数
ランキングでは、上位5位までがスーパーボウル中継。
スポーツイベントの歴代視聴者ランキングでは実にトップ10全てを
スーパーボウルが独占している。

 第37回スーパーボウル イン サンディエゴは、レイダーズ
(オークランド・カリフォルニア州)とバッカニアーズ
(テンパ・フロリダ州)との戦いでです。

 数回の分けて『スーパーボウル。』を解説していこうと思っています。
内容に関しては『YAHOO JAPAN SPORTS』、『NFL JAPAN』と
『AOL SPORTS』を抜粋しています。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年05月10日(土)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL29、
第37回スーパーボウル イン サンディエゴ・その2、
NFLとはなんぞや??』

ニュース内容:
 2003年01月25日(土曜)12:30AMの通信。

 先ほどの通信では、『こんにちわ』と書いてしまいましたが、
今、夜中なので『こんばんわ』です・・・。苦笑。

 NFLについて。 

 スーパーボウルの根源であるNFLについてですが、
National Football Leagueの略で、アメリカの
プロアメリカンフットボールリーグである。NFLは、アメリカではあらゆる
プロスポーツの中で最も人気があり、その座を30年以上も守リ続けている。
毎週1億人以上のファンが、テレビの前やスタジアムでNFLの興奮を
楽しんでいる。 チームによっては、シーズンチケットを購入できるまでに
10年以上待たなければならない。

 NFLは1920年に創立され、現在、設立当時から存在する
チーム-シカゴ・ベアーズなど-から、2002シーズンから参入した
ヒューストン・テキサンズまでアメリカ国内にある32チーム
(NFC[National Football Conference]の16チームと
AFC[American Football Conference]の16チーム)が所属している。
そしてこの32チームが1月に行われるNFL優勝決定戦である
スーパーボウルを目指してレギュラーシーズン、プレイオフと戦っていく。

 NFLの最大の魅力は、なんといっても大男たちがフルスピードで
繰り広げる肉弾戦。華やかなパスプレーは見ている人たちを爽快にし、
何人ものタックルをかわして進められるランプレーには手に汗を握って
しまう。 フットボールとは陣取り合戦である。オフェンスは陣地を
獲得し得点しようと、状況に応じて1プレーごとに作戦を立てる。
またディフェンスはそれを防ごうと相手の作戦を読むという、1ヤードの
攻防をかけた頭脳戦が展開される。 フットボールには時間との戦いと
いう要素もある。試合の残り時間が明確に表示されるため、
“モンタナ・マジック”、“ミラクル・エルウェー”などと表現される
最後のプレーでの逆転劇等、数々のドラマも生まれる。

 NFLの試合はゲーム以外にも様々なエンターテイメントに溢れている。
ファンたちは老若男女を問わず自分の応援するチームのグッズを身に
まといスタジアムにやって来る。駐車場は試合開始の何時間も前から
バーベキューなどを楽しむファンたちでごった返す。
この”テールゲートパーティー”と呼ばれる習慣はNFLのゲームが
行われるスタジアムならばどこでも見ることができる。試合前の国歌斉唱や
ハーフタイムショウなどには有名スターたちも出演することもあり、
見ている人たちを飽きさせることはない。また、色とりどりの
ユニフォームや、 試合を盛り上げるチアリーダーも試合にいっそうの華を
添える。

 スーパーボウルはアメリカの歴代スポーツ・イベントの視聴率1位。
さらに、トップ10のうち1つを除いては全てスーパーボウルが占める。
このようにNFLはスポーツ大国アメリカの中でも圧倒的人気を誇る。
時として“アメリカの情熱”(America’s Passion)とも表現される
NFLはまさにアメリカ文化そのものなのである。

 内容に関しては『YAHOO JAPAN SPORTS』、『NFL JAPAN』と
『AOL SPORTS』を抜粋しています。

 ユタカン、サンディエゴ。

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日時 :2003年05月10日(土)
記者名:ユタカン。

ニュースタイトル:
『ユタカン・サンディエゴ通信VOL30、
第37回スーパーボウル イン サンディエゴ・その3、
NFLの歴史ってどんなん??』

ニュース内容:
 2003年01年25日(土曜)01:00AMの通信。

 こんばんわ。

 NFLの歴史について。

 皮製のヘルメットを使用していた時代から、フットボールは
究極のチームスポーツであった。もちろん、個人技もあれば、
個人記録もフットボールには存在するが、何よりもチームプレーがゲームを
支配する。NFLは1920年に車のショールームでそのスタートを切り、
様々なチームワークのもと今やアメリカで最も人気のあるスポーツにまで
発展した。

 プロフットボール・ホール・オブ・フェイム入りを果たしたNFLの歴史を
作ってきた人たち

 1869年11月6日、アメリカで初めてのサッカーの試合がラトガーズ大と
プリンストン大の間で行われた。次の7年の間に、東部の学校では
サッカーよりラグビーの方を好んでプレーするようになる
そして、フットボールはラグビーから発展する形で広まっていった。
1876年には初のアメリカン・フットボールのルールが起草された。
そして、後にフットボールの父として知られるようになる、
ウォルター・キャンプが初めてフットボールとの関わり合いを持つ。
1892年、地域のアスレチック・クラブ間の争いが激化してきたのに伴い、
ピッツバーグのクラブに初めて報酬をもらってプレーするプロ選手が誕生。
翌年には初のプロ契約選手も誕生した。1899年には現在の
アリゾナ・カーディナルズの前身である、モーガン・アスレチック・
クラブが創立された。 初のプロ選手ウィリアム・ヘッフルフィンガー。

 NFL発祥の地オハイオ州キャントンにあるプロフットボール・ホール・
オブ・フェイム。 1900年代に入るとプロフットボールの中心は、
それまでのペンシルヴァニア州西部からオハイオ州へと移行していった。
1906年には初めてフォワードパスが認められるようになる。プロチームが
増え、各地でリーグ戦が行われるようになると、大きく3つの問題が
浮上した。 1つ目が年棒の急騰。次に高い給料を求め次から次へと
チームを移る選手たち。 最後に、まだ大学に在籍中の選手の扱いだ。
そこで、これらの問題を解決するため、全てのクラブが同じルールに
従って運営が行われるようなリーグを作る必要性が唱えられるように
なる。それがNFL創設の礎となった。

 1920年代:
1920年8月20日、4つのプロチームの代表者たちがオハイオ州キャントンで
会合を持ち、American Professional Football Association(APFA)を
発足した。 その2年後APFAは正式にNational Football League(NFL)と
改名された。

 1981年まで使われていたNFLの旧ロゴ
当時のNFLを支配していたのは、キャントン・ブルドッグスであった。
1922年からの2シーズンで21勝0敗3分の圧倒的な強さで2連覇を達成した。
その後、グリーンベイ・パッカーズがアール・ランボー・ヘッドコーチの
指揮のもと頭角を表し、1929年から1931年まで3連覇した。
また、1912年オリンピックでのデカアスロン金メダリスト、
ジム・ソープは何チームかでプレーし、NFL初代のプレジデントとなった。

 2000年代:
21世紀に入ってもなおNFLの人気は拡がりつづけている。
2000年には観客動員記録を3年連続で更新し2000万人を超えた。
レギュラーシーズンでの16,387,289人、1試合平均66,078人も3年連続の
記録更新となった。 2002年には新チームヒューストン・テキサンズが
新たに加わり32チームとなる。それにより、リーグは8個の4チームから
なるディビジョンに再編される。7チームがディビジョンを移り、
シーホークスがAFCからNFCに移る。スケジュールを作成する際の
フォーマットも変更され、4年に1度はリーグ内の全チームが対戦
することになる。

 内容に関しては『YAHOO JAPAN SPORTS』、『NFL JAPAN』と
『AOL SPORTS』を抜粋しています。

 ユタカン、サンディエゴ。

***********************************『次ページ続く。』************


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