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今回は、なんともすごい取り合わせなのですが、
いろんなことに挑戦したい僕は学校の勉強以外にも 精力的にいろいろと挑戦中なのです。大爆笑。 日本の友達は、僕のそんな潜在能力にかなり気付いていると 思われます。大爆笑。 ①『なんちゃって日本語教師のお話。』 ダウンタウン・サンディエゴにある日本語学校へ 同じコミカレに通っている日本人の友達と一緒に見学しに 行って来ました。 コミカレの日本語のプログラムで、日本語学校で ボランティアをするというものがあります。 1単位 もらえる。 いつくかプランがあるのですが、コミカレの 日本語(人)の先生が僕に勧めて来たのは、『アシスタント として子供達に日本語学校で日本語を教える』というもの だった。 コンビネーションで高校でも日本語クラスの アシスタントになれるということだった。 これは、 おいおい先生と話しをしないといけないんだよね。 しかし、1セメスターで60時間、それも土曜の午前中 約5時間に参加して消化していかないといけない・・・。 これが結構大変なんです。 それも、1単位分のお金を 払ってのボランティアだからね。汗。 他の勉強でも 忙しいし、どうしたものか・・・。汗。 日本語学校はというと、古い家を使っての『寺子屋式』で 日本語を教えていました。 感じたのはアシスタントが 少ないということ。 というものあって、コミカレから 日本語の先生に勧められたんだけどね・・・。汗。 見学で行っただけのはずが、よく意味がわからなくても いきなりアシスタントさせられ・・・。汗。 初めは、 事務的なはさみで切ったり、貼ったりという作業を 任され、その後遅れて来た5歳の女の子(お父さん・ 日本人でお母さん・日本人とメキシコ人のハーフ)の アシスタントについて、日本語の勉強をしました。 彼女は、英語とスペイン語を自由自在に操り、今日本語を 勉強中なのです。 ということで、僕はスペイン語を中心に 日本語を教えました。笑。 スペイン語で聞いているのに、 英語で返して来るのでちょっと痛かったな・・・。汗。 でも、最後は慣れてきてスペイン語で話し掛けて来るように なりました。笑。 なにせお互い初めて会ったんだしね。 「この日本人、なんでアメリカでスペイン語話せるの?」 なんて思われていたかもしれない。爆笑。 休憩があって、1年に1回位しかないという日に 当たって、タダで『巻寿司』や『お稲荷さん』を頂き ました。笑。 『巻寿司』はカリフォルニアに乗っ取って 『アボガド入り』でした。爆笑。 緑茶なんかも出て、 美味しかったよ~!! その後、ラジオ体操を一緒に 子供達とやりました。爆笑。 久々にラジオ体操の 音楽を聴いて体操をしたけど、怖いくらいに身体がその リズムを覚えていました!!!!大爆笑。 ちゃんと 間違わずに体操が出来た。爆笑。 そして、再び教室へ戻り勉強再会なのです。 次は、レベルの違う3人の男の子達の担当になったん やけど、落ち着きがないし3人とも違う日本語の勉強を していて、1人はすごく日本語を話せるけど他に2人は そうでもなったり・・・。 わかったりわからなかったりの 差が激しいので、そのレベルの違う子達を見るのは かなりハードだったよ。激汗。 それも、なにをして いいのか初めてだし、わけわからないのに・・・。汗。 取り合えず大変でした・・・。激汗。 日本語(人)の先生が2人ここにいます。 1人の先生がメインに今回は教室にいたのですが、 結構子供達に厳しいのです。汗。 確かに僕らが子供の頃 両親のしつけというものがそうだったような気がします。 でも傍から見てて、「この先生厳しいな・・・。」と 思ってしまいました。苦笑。 この2人の先生は、 女性でしかもおばあちゃん手前と言った感じ。笑。 コミカレから、3人の生徒さんが来ていました。 日本人女性1人と日本語が出来るアメリカ人2人だった。 僕が1人で作業している時に、日本の童謡などを 先生と子供達は合唱していました。笑。 すごく懐かし かったと同時に、「こんなん子供達に教えれない!!」とも 思った。苦笑。 懐かしいけど、よく覚えていないから。 でも、日本語の方は特に問題なくすることができた。 ただ、ここはアメリカなので英語をメインに使って 生活しているので、教室内でも英語がよく聞こえる。 日本語アクセントのない子供達の英語アクセントが なんとも異様に感じた。笑。 国籍はみんなアメリカだと思うけど、両親の出身は 様々なのです。 日系アメリカ人を中心に、タイ人系や メキシコ系などいろいろだった。 両親や親戚に 日本人の血が混じっている子や全くそうでもない子など などで大変興味深かったです。 小学生、中学生そして高校生のクラスがあって、 その中でもさらに小学3年生だけとか細かくなるので、 かなりのグループになるのです。 さらに先生は、 大学生のクラスも作りたいみたいなことを言っていた けど、この状況じゃ難しいと思う。 だって、補助する 日本人などが足りていないし、教室もそんな大きいわけでは ないので、場所がないのです。汗。 日本でスペイン語で日本語を教えるボランティアを していた時も、担当が子供達だったのですが、 同じ似ている雰囲気だとこの日本語学校に来て思いました。 ただ、日本の童謡など日本の幼稚園を思われるようなことも いっぱいやっているので、その辺が僕がしていた 日本でのボランティアとは違うかなと感じました。 日本語メインに使っての日本語のアシスタントだけど、 英語とスペイン語を使いながらなので、結構力を使います。 ましてや落ち着きのない子供達なのだから・・・。汗。 来週からこのプログラムに参加するか考え中。 これを受講するとさらに忙しくなりそうです。汗。 どうしようかな・・・。 いい経験なんだけど・・・。 ②『第3回・LATIN PRIDE SAN DIEGOへ行って・・・の お話。』 今日はすごく忙しいよ~!!爆笑。 ゲイであれゲイで なかれ、『ラティン』と聞けば、飛びつかないと いけません!!!大爆笑。 そんだけ『ラテン系』好きな 僕が目を輝かせて注目しているものの1つなのです。爆笑。 スペイン語が出来ないラテン系の友達と散策して 来ました。爆笑。 昼間だったので、人は少なかった けど、『ラテン音楽』がガンガンにかかっていて、 真中のダンス・フロアで踊っている人たちが数人いました。 もちろんゲイやレズビアンじゃない人もいっぱいいたん だよ。笑。 そんな踊りを見て、「いいな~、あんな感じで セクシーに踊りたい!!」とまた思ってしまいました。笑。 僕の友達は、白人寄りな生活をしているのでラテン系の ステップが踏めないということで、1人で飛び込むのも 勇気がいったので、やめた。笑。 ダンス・フロアの端で友達がトイレに行っているのを 待っていたら、僕の周りで踊っている白人アメリカ人が いて、草をいじっていた僕(笑。)は、顔を上げると そのアメリカ人が「にこっ。」として微笑んでいました。 きゃ~!!!爆笑。 そして言わずして、彼は寄って 来ました。爆笑。 アメリカ人:「どこから来たの?」 僕 :「日本。」 アメリカ人:「あそこにいる彼が僕の恋人なんだよ、 何十年も前に日本に言っていたことがあるん だよ。」 僕 :「そうなの?」 アメリカ人:「かわいいね~。 日本人はかわいい子 多いよね? えへっへええ。」 僕 :「僕、かわいい?」 アメリカ人:「もちろんだよ~、ハニー。」 なんて会話をしていたら、友達が戻って来て 3人での会話が始まり、その後このアメリカ人の彼氏が 来て、30年前にアメリカにいたということを言っていた。 「30年前って僕はこの世にまだ存在していない!!」と 言いながら、和んだ感じで楽しかったよ。笑。 宣教師と して彼が20歳の時に日本へ行っていたらしい。 という ことで、彼の年は・・・。 にしても2人のアメリカ人とも やっぱおじさんなのです。大苦笑。 この2人と一緒に来ていた友達は、サンディエゴから じゃないみたいで、ロス近郊から遊びに来ていたみたい。 「もしロス方面へ来たら連絡ちょうだい。」と言われ、 名刺をくれた。笑。 ロス自体全く行かないんだけどね。 ま~、「ありがとう。」と言って別れました。笑。 テキサス、サンアントニオの空港でのナンパについては 長年のこの日記の購読者の方だったら、ご存知だと 思うのですが、50歳代の白人アメリカ人に「かわいいね、 電話番号あげるから、時間があったら電話してね。」と 知らないおっさんに言われて、渡されたのです。苦笑。 そんな感じで、僕はゲイのおっさんにもてるらしい。汗。 お昼を食べようと思って、いつくかお店が出ていた けど、一番隔離された場所にラテンでは全く違う、 『タイ料理屋さん』がありました。笑。 ラテン・ フェスティバルでタイ料理を食べる僕ってすごくない?笑。 もちろん、『パッド・タイ』と『タイ・アイス・ティー』を ゲットしました。大爆笑。 美味しかったよ。 夕方から勉強するために家に戻って来ました。 そして、スペイン語の教科書からの宿題を終わらせた。 でも、まだまだいっぱいあります。 どうしましょう。汗。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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