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yuuの一人芝居

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小説 『今拓く路』 冬の路


 水島コンビナートの夜景です 借り物です


この小説は 海の華の続編である 冬の華の続編である 春の華の続編である 夏の華の続編である 秋の華の続編である> 冬の路の続編である彷徨する省三の青春譚である。
この作品は省三33歳からの軌道です・・・。ご興味が御座いましたら華シリーズもお読み頂けましたらうれしゅう御座います・・・お幸せに・・・。

冬の路 白い路が続く、そこへ思いの雫が・・・。

221 

 
 1

 省三は肩こりと頭痛で夜も眠れない日が続いていた。昼はうとうとし一日ボーとして過ごしていた。食欲もなく何をする気力もなかった。何を見ても感動することはなかった。心が波打たないのだった。
 病院に行っても、脳神経外科では筋収縮性頭痛ですとその治療薬をくれた。整形外科では首をつり、電気を当てた。胃腸外科では胃潰瘍として毎日注射をした。眼科で眼底検査もしたが異常はなかった。何をしても治らなかった。日増しに症状は重くなっているように思えた。
 太陽が灰色に見え、景色がくすんで見えた。
 新聞の連載もやめ、公害闘争も終わり、燃え尽きたのか省三は灯かりを失っていた。ベッドで頭を冷やしながら寝ていた。人に逢うのも億劫で、外に出るのが不安であった。車は乗れなかった。何かすると顔がほてり体が重くなり、心臓が早鐘のように打った。

 煙草を買って車を走らせたところへ衝突してきたのだった。倉敷市の建設課の職員が運転する車だった。市役所に勤める友人、親戚から電話かかり。
「穏便に話し・・・」と見舞いの言葉の後に付け加えた。
 彼らは省三が過激な活動家だったと勘違いをし心配をして言ったのだった。
「何を言っているの、馬鹿にしないで・・・こちらは被害者なのよ」
 育子は今まで見せたことのないような表情で怒ったのだった。
「いいから」
 省三は育子を諌めた。
「だって・・・」
「これくらいで済んだことを感謝しよう」
 省三は他人の事のように言ったのだった。
 車はめちゃくちゃになっていた。
 省三はむち打ち症で六ヶ月間治療に通ったのだった。が、元の体には戻らなかったのだった。こんなことになるのだったら入院をして完全に治るまで治療をするのだったと思ったが、後の祭りだった。

 省三が原因不明の病に臥せっているということを何処で聞いたのか、新興宗教の勧誘が頻繁に来たのだった。
「過去世で人を苦しめています、その人たちの霊が付いてあなたを苦しめているのです。あなたの苦しみは今の医学では治りません。ここは私たちの除霊会に入ってひたすら教義に則ってお勤めをするしかありません。一ヶ月で治して見せます」
「一本松が見えます・・・玄関脇に汲み井戸が見えます・・・何かの庵が・・・七代前のおじいさんがあなたの背に乗っています・・・入り口に盛り塩をして家中塩で清めなくてはなりません。お酒が好きだった人で、毎晩お酒を仏壇にお供えしてください」
「朝晩のお勤めをすればきっと良くなります・・・仏を蔑ろにし過ぎましたね」
「原因があり結果があるのです・・・その原因を取り除かなければ治りません・・・その為には、その悪い業をなくすることなのです。それには毎日二時間の題目が必要です・・・私たちの会に入りみんなと題目を挙げるのです。あなたのような病気の方は何人もいましたが直ぐに良くなり、今では感謝の題目をあげています」
 育子はそのような言葉を毎日のように聞いたらしい。それを省三に伝えにきた。省三は朦朧とした頭で聞いた。

 頭は鉛を乗せたように重く、肩が何もしないのに無性に凝っていた。時に八性起きもうこの世も終わりかという不安が襲ってきていた。
 省三は仏教の勉強をしょうとして取り掛かったが、どれだけ頭に入ったか疑問だった。読書に集中できなかったが、神や仏の加護を信じない省三であったが、この時ほど何かに縋りたいと思ったことはなかった。
 店の客の一人が、同じような症状の人を知っているのでその人に相談してみてはどうかと紹介してくれた。
 数日して、タバコ屋の牧ちゃんと焼肉屋の克ちゃんが訪ねてくれたのだった。
 省三の顔を見て、
「一度僕たちと病院に行ってみませんか」
「迎えに来て上げるから」
 と親切に言ってくれた。
 省三は藁をも掴む心境だったので宜しくお願いいたしますと言った。二人は同じように太っていた。彼らは薬の所為だと笑った。少々太っても眠れなかったり頭が痛かったりするよりはましだと言った。病気の割には明るかった。今はいい薬があってそれを呑めば良くなるということだった。病気になる前からなってどのように苦しんだかをとうとうと語った。
 牧ちゃんと克ちゃんは魚屋の手伝いをしている恵ちゃんに惚の字で毎日通っていた。三人は高校の同級生だった。店で刺身を食べたり焼き魚食べたりして、恵ちゃんに売り込んでいたが恵ちゃんは二人を子供のようにあしらっていた。牧ちゃんはタバコ屋の店番をするのではなく、克ちゃんは焼肉屋を妻に任せて、二人は競うように通っていた。落ちない花を落とせると勘違いするところが病気なのかもしれなかった。二人はやたらと煙草を吸い税金を支払っていた。煙草をやめるようには医者は言わなかったと言う事だった。禁煙でストレスが溜まり病状が悪化するより症状の改善が先と考えたのだ。煙草を吸いながらボーとして空を眺める仕種は常人のものではなかった。総てが省三に当て嵌まっていた。
 克ちゃんと一緒に大学病院の心療内科の診察を受けることになった。
 診察室の前の待合は煙草の煙でもうもうとしていた。みんな天井を見ながら煙草を吸い続けていた。
 一人が診察室へ入ると一時間はかかった。
「交通事故が病気の引き金になっているかも知れませんが・・・。この病気は、几帳面で思い込みが激しく完璧主義者で人の噂を気にする人がかかるようですな・・・」と医者は言った。当たっているのかないのか省三には分らなかった。自分を分析したことがなかったからだった。
「それで、病名は」
 省三は恐る恐る聞いた。
「心身症ですな・・・まあ、あなたは軽いほうですから、仮面鬱病というところでしょう・・・この段階で来られてよかった」
 内科診療からカウンセリングが続くのだ。薬を貰って帰る頃は夕方になっていた。
 薬を飲むと頭が晴れていくのが分った。が、それでも不安発作は取れなかった。夜中に不安発作が起き慌てて薬を飲むという生活だった。毎週克ちゃんと通院して薬を貰って帰る日が続いた。
 最初は男が診察室へ入っていたが一ヶ月ほどして夫婦で診察室へ入ると言う仲の良い夫婦もいた。夫婦は目が虚ろで体に生気がなかった。同じように生活をしていたら病気がうつるのかと心配した。
「恵ちゃんは僕らのマドンナなのです」 
 克ちゃんがそう言う時は心身症の患者には見えなくて溌剌としていた。何かに夢中になるそのことがいかに病気治療に役立つかを知る思いだった。
 省三は今まで生きてきて何ににも一生懸命に取り組んだことが、この病気の原因になっているのではないかと思った。ふと、無駄を生きることが必要ではないか、無駄を生きていることが無駄ではないのだと言う考えが浮かんだ。今までは無駄を生きたことを悔やんだが、その無駄が何かを生み出しているように思えた。それは心の余裕なのか、ゆとりのある生き方なのかと思うのだった。
「記事の終わりに野辺に咲く一輪の花を添える・・・」
 支局長の阿東の言葉が思い返された。
 それが記者の冷静な眼なのだと言う事が分った。自分に不足していたのはそのことだったのかと省三は思った。真正面から対峙することだけが生きる総てではなかったのだった。ストリップ劇場の灯かりさんが言った、横の明かりでその人の過去が見えるといった言葉を思い出し、正面だけの見方では駄目だと思った。それを生き方の中に生かさないと仮面うつ病から脱することが出来ないことに気がついた。無意味なことに意義あることもある、それを否定していては何も生まれないのだ。
 省三はカメラを持って、近在の神社やお寺、民家を写して歩いた。明治時代に大洪水があり沢山の人命が失われた。百のお地蔵さんを各所に奉ったということで、そのお地蔵さんを探し写真に撮ろうとした。百体あるというが何処を探しても三体しかなかった。都市計画により整備され道が造られ家が建ってその痕跡はなくなっていた。年寄りに聞いたがその場所に行くと人家の庭になっていたり、川幅の拡張で道になっていたりした。
 悠一と豊太を助手席に乗せゆっくり走った。最初は怖かったがなれるとそれは出来た。
 育子の故郷、悠一と豊太の故郷の勉強をしようとしたのだった。現実からの逃避が今の省三には必要なことのように思えた。
 この地方の史談会に入り郷土史家の話を熱心に聴いた。郷土史家の本も読んだ。貧しかったが食べることになにの不自由なかったこの地は、今コンビナートに呑み込まれ豊になったが過去を忘れ、何かが不在の地に変えていると省三は思った。それは営々と続いてきている仕来りの忘却だった。先祖の墓参りも忘れ、祭りの準備もしなくなっていた。無駄と思えることを切り捨てて生きているのだった。金が入るとかつての精神の主軸を忘れると言うのか、夫婦で海外旅行に現を抜かしていた。何処何処に行ったという会話が挨拶になっていた。野菜を作り米を植えることを疎かにしだした。作るより買った方が安いと言うのがその理由だった。田地は荒れ草ぼうぼうで隣に迷惑を掛けても知らんふりだった。先祖代々住み繋いできた本家普請の家も簡単に壊し新しい豪華に家に建て替えた。自分の快適な生活だけが望みになっていた。
 省三は壊される前に古い家を被写体として捉えて歩いた。
 
2

13

 省三は人生に無駄が必要であることを知った。無駄とは何かを真剣に考えたのだった。
 子供たちは保育園に通っていた。その送り迎えは省三の役目だった。送り届けると園長室の窓が開いて、
「お茶でもどうぞ」と園長が声を掛けて来たものだった。お茶を頂きながらいろいろな話に花を咲かせるのだった。そんな日課であった。
「何か殺風景ですね」
 省三は保育園を見渡して言った。しまったと省三は思った。
「何かいい方法はありませんか」
「壁に、遊具に子供が喜ぶ絵でも描きますか」
 調子よく言ったしまった。
「それはいいわね」
 園長が乗って来た。
 省三は言ったばかりに、武本にその依頼を頼み込まなくてはならなかった。
 武本は銀行の若い男女を十名ほど連れて日曜日に取り掛かった。
 正面の壁に大きな真っ赤な太陽が描かれた。遊具にはいろいろな動物の姿がまるで遊んでいるように描かれた。塀には様々な原色の色使いで円や三角や四角や星が大小描かれた。
 まるで昨日の保育園とは比べようがないほどの華やかさになった。タイヤもいろいろの原色で塗った。滑り台も周囲の色を考えて塗りなおした。
 省三は手伝った。職員も日曜出勤をして筆を握っていた。園長はお茶いれ、弁当の手配をしていた。その顔は不安から満面笑みに変わった。
「明日、子供たちがどんな顔をするだろうか」
 涙を流してそう言ったとき、みんなの疲れは吹き飛んでいた。
 園門の壁には大小の魚が泳いでいた。
 武本は嬉々として描いたのだった。
 酒癖の悪い武本を連れて夜の街へ出かけた。
 手伝ってくれたみんなを連れて省三がよく行ったスナックへ案内した。一軒目無事に済んだが、今度は武本が奢るからと言い出してはしごになった。段々と武本は本性を現しだした。
 銀行員と言う職業がそうさせるのか、その柵から開放されると極端に横柄になり、人を見下す行動に出た。言葉が汚くなり、自分が如何に立派な絵描きかを吹聴し始めた。その絵を認めない社会を恨んだように言い方をした。その性格を知っているのか気の毒そうに省三を見て一人抜け二人抜けと言う具合に帰って行った。最後には二人になった。
「武さん、僕は絵のことはよく分かりませんが、独自のものが、色が、線がいるのではないのでしょうか・・・」
 省三はカウンターの前でハイボールを空けている武本に言った。
「その色に線に・・・哲学がないんや・・・」
 武本は涙を浮かべていた。
 省三は武本が分っていると感じた。が、感性は持って生まれた物か、生活の中で培うものなのか、つまり才能の一つなのかと考えた。武本は苦しんでいたのだった。感性も徳の一つか・・・受け止めたものをどのように感じ表現するかと言うことであると感じているが、そのことで武本は迷っているのだった。出来事に対して充分に受け止めそれを心のフィルターで濾過し、自分の考えで表現する・・・それを感性があるとかないとかと人は言うのだが、それも感性のある人の差によって変わってくるだろうと省三は思った。
「こんなことを言ってはどうかと思いますけど・・・人を感動させようと思ったら自分が感動することの出来る人間にならなくてはと思うのです」
「そんなことはわかっとんのや・・・そんなことはわかっとんのや・・・それが出来へんのや・・・悲しいのや・・・」
 それを言われると後の言葉が出なかった。
 武本は一人よたよたしながら夜の街に消えて行った。それは寂しそうな姿であった。
 省三はいろいろな悩みがいいほうに作用してくれればいいのにと思った。武本の新しい面を発見してむしろ喜んだ。

「子供たちが登園してくると、目の色が変わるの・・・。挨拶も忘れて壁に描かれた象の鼻にほっぺたを擦りに行く子、滑り台に夢中になる子・・・その姿を見せたかったわ・・・。なんだかみんなに活気が出たみたいです」
 園長は笑みを零しながら言った。
「それは良かったですね」
 省三の子達は手を離して園内へ走りこんだ。
 幼稚園の砂場で人生の総てを学んだと言うような言葉があるが、人間に必要なのは確かな環境であることを省三は知った。

 後に省三は教育問題についての戯曲でこのように書いた。

佐武  そうだよ。人生なんて過ぎて見れば夢のようなもの、だけ
 どどんな夢を見るかが問題なんだけれど・・・公子も先生になる
 んだから、子供達の夢を大切に育ててあげて欲しいわね。教える
 のではなく、人間として共に学ぶ、その姿勢が無くては、教育は
 本当に怖いもの。一つ間違えば、一人の人生を駄目にする。
公子  分かっているって、これでも私はお母さんの娘よ、確りお
 母さんの後ろ姿を見せて貰ったから・・・
佐武  だったら良いけど、言っとくけどどこの社会でも四五十人
 を把握出来ない人は、人の上に上がれないのに、教師だけは、最
 初から三十何人の生徒と付き合う、本当に難しいわょ。
公子  分かっているって、少しお母さんくどいわょ。
佐武  くどいくらいで丁度いいのよ。
公子  もう、お母さんたら。
佐武  お母さんは思うんだよ。今、本当に子供達の瞳は輝いてい
 るかってね。教育、その本来の理念がなんだか曖昧になっている
 ようで、まるで、自由とは名ばかりで一つの思想にはめ込もうと
 しているように思えるんだけれど。
公子  お母さん・・・
佐武  子供達の顔に明るさが無いし、瞳に輝きが無いってことに
 ある種の怖さを感じるのだょ。なんだか、いやなよのなかになる
 ような・・・公子、これは、是非守って欲しいの。
 おまえの教え子を戦場にやら無い。
 そして、どんな時でも、子供達にとって教師が最高の教育環境で
 なくてはならないってこと。
公子  分かってるって、お母さん。

 現場の外からはよく分かるが中では中々出来るものではないかもしれない。が、それをしなければならないのが教育の現場なのだ。省三は子の親になって、どのような後姿を見せなくてはならないかを常に考えるようになっていた。
 勉強をして東大に入り国を動かす人間になるより、人様の邪魔になる石を動かす人間になって欲しいと考えていた。
 子供を育てるとき省三は父と母のことを思った。父と母は省三を育てるときに何をしたか・・・それを考えた。信じてくれたのか放任主義であったのだ。 
省三は人の親になって子供たちをどのように育てるかという問題に直面していた。
「学校は面白いか、みんなと仲良くしているか」
 省三の父は勉強をしろとは言わなかった。外大を出て7ヶ国語を喋り貿易の仕事で東南アジアの各国に支店を置いていたが支店長の使い込みで潰れ、それから太平洋戦争中飛行場建設に従事し、連体保証人で何もかもなくしていただけに何もいえなかったのだろうかと省三は思った。勉強は必要だが人間にはそれより大切なものがあると強要しなかったのだろうか、好きな事をすることの大切さを暗に言いたかったのだろうかと思った。
「勉強はしとって損はないから・・・」
 母は省三に時折優しく言葉を投げていた。高校受験のときに、
「行けるか行けないか分らんけれど、準備はしとったほうがええと思う・・・」
 その母の言葉で八年間疎かにしていた勉学を取り戻したことがあった。
 父は常に夢を追い、母は地道に現実を歩んでいた。
 省三はわが子が自分のようになっても良いかと問われれば答えを引き出すまでに少しの時間が要るのだった。
 省三は父の姿を映していた。育子は母の姿そのものであるように思えた。となるとわが子は自分の姿になると想像した。

3

01

 省三はまだ欝の症状が全快せず倉敷の病院へ通っていた。克ちゃんと通っていた大学病院は一日かかかったが投薬が同じて薬代が安く診察も一時間ほどで済むということでそこへ変えたのだった。店のお客で省三と同じ症状の丘やんと一緒だった。克ちゃんと牧ちゃんは相変わらず魚屋の恵ちゃんにほの字で毎日のように通っては店先で刺身を食べ焼き魚をつついていた。恵ちゃんが魚を捌いている姿をうっとりした目で眺め、拵えてくれる刺身を美味しく食べることが二人の至福のときであった。
 恵ちゃんに彼氏が出来ても二人は諦めなかった。がっかりもせずむしろ喜んでいた。
「いい男なんです。実家は両親が医者で弟は「サード」の監督をした人なのです。ガラスの造形作家というのがいいですね」
 克ちゃんは胸をそらして我が事の様に言った。
 牧ちゃんは、
「ファイトが沸きますね・・・でも僕は魚を捌くあの仕種が好きで・・・高校生のとき恵ちゃんが校舎の屋上で夕陽を浴びて佇んでいるときの姿が忘れられなくて・・・憧れなんです・・・永遠のマドンナなのです。心の恋人でいいんです」
 と言い、独り身を貫いていた。
 二人は仲がよく酒場の梯子でなく病院を梯子していた。
 克ちゃんは少し調子がいいのか牧ちゃんが行っている心療内科の門を潜っていた。
 省三はそんな三人のやり取りを微笑ましく見詰め羨ましがっていた。
 克ちゃんはインターネットで株を始めて、会社の分析をしていた。省三はそこで初めてパソコンを見た。キーボードで文字を打ち込みすらすらとプリンターで印字をするその性能に驚いた。焼肉のメニューはその文字だった。欲しいと思い値段を聞いて諦めた。
 克ちゃんは在日の朝鮮人だった。北朝鮮系の銀行に勤めたが、やめて焼肉屋を手伝い、病気になって入院、そこで入院患者禁止行為を行い強制的に退院をさされたが、看護婦を物にしたのだった。その彼女と結婚し、店を任せ恵ちゃんの魚屋へ通っているのだった。
 二人が刺身を食べながら煙草をぷかぷか吹かしているのを省三は眺めながら、丘やんと一緒に二週間に一度薬を貰いに通った。
 丘やんは結婚する前に田圃を売って大きな家を建ててもらっていた。運動公園に近く住居としては最高の場だった。嫁さんは有名化粧品メーカーのチャームガールをして朝早くから県下の化粧店を転々としていた。丘やんはカメラ店に務めたが、欝の症状が出て仕事が出来なくなって家で一日中ぶらぶらとしていたのだった。
 省三とはそのカメラ店で知り合っていた。時折店を覗いてコーヒーを飲んでいた。丘やんは症状が出て宿世に倉敷病院に通院して治療をしていた。省三はそれ出一緒に行くことにしたのだった。
「夜一人で家におると震えが来て・・・。膝を抱えて・・・。意識が段々のうなってきて・・・。嫁よはよう帰ってきてくれと・・・おがんどる」
 丘やんは真剣な表情で言った。
「そんなときは電話をしてください。その苦しみは分りますから」
 省三はそう言って励ました。
 省三は何度か電話を受け、家人を助手席に乗せて走ったものだった。省三もまだ夜の道を一人で走ることが出来るほど回復していなかった。
 育子は省三にがんばれと言う言葉を言わなかった。それが一番良くないと言うことを知っていたのだ。
「元気になったら、北海道へ行ってみたい・・・。あら、御免なさい」
 育子は慌てて口ごもることはあったが、それが本音だろうと省三は思った。
「元気になったらお前さんを背負って何処にでも連れて行ってやるよ」
 省三はそう言って笑ったが、気力はなかった。
 ああしたら、こうしたら、元気を出して、がんばってという言葉が省三を焦らしたが・・・。育子は一度言ってからは言わなかった。
 省三は時折不安神経症に襲われ救急車で何度か病院に通っていた。車に乗っているときに目がちらちらとしたらその症状の恥のりであった。もう終わりと言う脅迫に悩まされるのであった。
 克ちゃん、牧ちゃん、丘やんと心身症の友達が増えることに省三は苦笑した。
 武本は時折顔を見せ、年に一回のペースで個展をしていた。
 益田は大阪本社に帰り労組で活躍していた。
 山下は相変わらず頭は社会主義で、体は資本主義で金儲けに精を出して近所の空き家を次々と買い占めていた。
「怠け者」の仲間は近況を知らせる賀状と暑中の挨拶はあり、活躍を伝えてきていた。
 それぞれが羽ばたいていることに省三は満足していた。だからと言って省三は焦らなくはなかった。早く元気になりたいと言う思いが症状の軽減を遅らせていた。発作の怯えながら朝は子供たちを保育園に送り、その症状に慣れるために近場を車を走らせて馴れようとしていた。
 店には殆ど出なかった。固定の客を育子が接客し一日が終わっていた。食べられるだけ売り上げはあった。店を持つと言うことは幾らの売り上げでもどうにかやっていけるものだと思った。日銭が幾らか入るということは助かった。入ってきた金額でその日の賄をすればいいのだった。土地も店も自分のものだったからやっていけるだった。
 子供たちを送って帰り 、店の二階にある省三の自室で終日過ごしていた。本の山の中に居ても手に取ることもなかった。子供たちをどのように大きくするかを考え始めても長くは考えられなかった。このままの姿を見せよう・・・苦しむ姿も、時たま見せる子供への微笑みも、微塵も偽りのない後姿を見てもらおう、その時の省三はそれだけしか考えられなかった。省三が、父を母をそのように見詰めたようにと思った。子供たちは省三を眺めるより育子を眺めるだろう、そうして欲しいと願った。
「おおい、生きとるか」
と、戸倉が上がってきて言った。
 戸倉とはもう何年もあってはいなかった。青年演劇をこの倉敷にと闘志を燃やし青年を全国青年大会へ四度送って以来だった。その後も戸倉は青年に演劇を教えていた。竹内勇太郎から阿部公房まで演じたのだった。
「最近は・・・」
「人が集まらん、演劇をしょうという子はたくさんいるが、高校までだ。高校を出たらみんな普通の人になってしまう・・・。あの頃はあんなに集まって賑やかで、やめて欲しいと思う子も居たが、今ではそんな子も居ない・・・」
 戸倉は泣き言を言った。
「何も持ってこないで、見舞いですか・・・。愚痴を手土産で・・・」
 戸倉は前歯の抜けた口を開いて、
「どうだ、出てきてくれんか、何もせんでええ、ただ座っていてくれればええ、駄目か・・・。一日中ここに居てはカビが生えて体に良くないで」
と言った。
「演劇人口の拡大ですか・・・。演劇と言うのは観客の教育もありますからね・・・。それに板に上がる人の人間教育・・・」
「それだ、その為にぜひ出てきて練習場の何処でもいいから座っていて欲しいのだ。送り迎えはするから・・・」
 省三は今のままでいいとは考えて居なかった。恐怖だけで生きていていいのだろうかと思っていたのでこれも天の啓示かと思った。
「医者と相談して・・・」
「相談するのは育子さんだろうが・・・。原稿を書けとは言わん、演出せいとは言わん・・・手を貸して欲しいのだ」
 戸倉はそれだけ言って帰っていった。
「あんた、戸倉さんからこんなものを・・・」
 郁子がそう言って出した手の上には見舞いの金封が乗っていた。
「あいつは・・・」
 省三は頬緩めた。
「行ってあげたら・・・この前なんか観客が身内で二人だったそうよ」
「それ以上少なくなることはないか」
 省三は心が軽くなるのを覚えた。
「練習場に座っているだけでいいんだと」
「いいではありませんか・・・」
「送り迎えはしてくれるんだって」
「なによりだわ」
「原稿は書かなくたっていいんだって」
「素晴らしいわ」
「演出も・・・」
「尚のこと素晴らしいわ」
 育子は省三が病気になって逞しくなっていた。セールスマンを入り口で阻止し追い返す術を覚えていた。
「忙しいのに・・・そんなでもないけど・・・入り口に立って名刺を出して説明をされたんでは商売迷惑で邪魔者よ・・・。コーヒーを飲んでくれたら幾らでも聞いてあげるのに」と育子は嘯いたのだった。
「てもただじっと座っているだけで・・・見ていたら口も出すだろうし、台本を書きたくなるのがあなたよ」
 育子は省三の性質を熟知していてそう言った。
「なるようになるだろう・・・さて・・・」
 省三が弱気になっているところへ育子の愛の鞭が飛んできた。
「観客が二人じゃあね・・・いずれ潰れるわ・・・戸倉さんも今までよく頑張ったわね・・・何も知らない成年を全国大会まで行かせたのだから本望でしょうから・・・。でもね・・・これからこの町の青年教育はどうなるのかしら・・・」
 育子は溜息混じりにそう言った。
 その言葉が決定的だった。何かをしたいという青年にチャンスを与える人間が居るのだ。それが戸倉であり省三なのだと思った。もう、不安があるからという言い訳では逃れられないと観念した。
「行くよ」
 省三は小さく言った。
「それでこそあんたよ・・・真っ赤に燃える水島の空に吠えていたあなたが今蘇ったのょ・・・今日は赤飯を炊こうかしら・・・。戸倉さんが神様仏様に思えてきた」
 育子は嬉々としていた。
「歯の抜けた神様か・・・。子供たちに後姿を見せるために・・・」
「私にも見せてください」
 省三は熱いものが胸の中に溢れそれがまぶたの裏に集まるのを覚えた。


 「冬の路」はここで終わらせていただきます。
  ご愛読を頂き有難う御座いました。 2006/02/01脱稿
 この続きは 「春の路」をご覧下さい。

この小説は 海の華の続編である 冬の華の続編である 春の華の続編である 夏の華の続編である彷徨する省三の青春譚である。


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