四国八十八ヶ所巡りをしようと思います。
四国八十八ヶ所巡りはお大師様(弘法大師・空海)と二人で歩く
「同行二人(どうぎょうににん)」の「遍路(へんろ)」です。
我が家は神道です。
実家は仏教で空海が開いた真言宗です。
実家の法事などでお寺の御坊様やお年寄り達から機会ごとにいろんなお話は耳にしていましたが、
真言宗に特別な思いがあるのではありません。
が、四国に生まれたのだから、いつか、一度は経験したいこと、と思っていました。
観光、と言えば、信仰のある方には不謹慎ですが、それが本音です。。
旅行で「高野山」に行った時もそうでしたが、お寺の、その雰囲気には厳粛な気持ちになります。
樹やお寺、そしてはかりしれなく訪れたでありましょうお遍路さん達に
自分なりの思いをはせながらお参りをしたいと思います。
仕事があるので歩いてはいけないので車で巡ります。
ツァーも利用しながら、?年計画で達成できたらな、と思っています。
四国八十八ヶ所巡りに関しての言葉は聞いたことはありますが、
その意味はきちんとは知りませんでした。
県外遍で申し込んだツァーでパンフレットをいただきましたので少し勉強しています。
「そうだったのか、、」と思うことがたくさんです。
(下記の説明は「農旅連」のパンフレットを元にしています。)
お遍路とは
四国八十八ヶ所霊場は、
今からおよそ1200年前も前にお大師様(弘法大師・空海)がご修行された由緒ある霊場で、
今日に至るまで多くの人々が篤(あつ)い信仰によって、その法灯が守り続けております。
全行程1,450キロ、
発心(阿波・徳島)、修行(土佐・高知)、菩提(伊予・愛媛)、涅槃(讃岐・香川)と、
四国を一周する遍路巡拝は、同行二人(どうぎょうににん)
つまり、お大師さまと共に心身をみがき、八十八の煩悩を一つ一つ取り除き、
大自然の中で生かされている自分自身を見つめ直す修行の旅なのです。
また、宗派を問わず、お参りをされる人々の願いが成就される信仰の場でもあります。
荒々しい太平洋の波、おだやかな瀬戸の内海、けわしい四国の霊山、
のんびりとした田園、変化に富み、俗慶を離れ、大自然に接し、
また人との触れ合いの温かさに感謝し、生きている喜びを感じ、
身も心も生まれ変わりの遍路旅なのです。
八十八巡りの由来
四国八十八ヶ所巡りの由来には多くの説があります。
人間には元来、八十八の煩悩があり、
それを一つ一つ消滅させていくために八十八ヶ所の霊場を回るのだといいます。
その他にも八十八という数は「米」の字を分解したものという説や、
男42、女33、子供13の厄年をあわせた数が八十八になる事から、
厄災を除く意味で八十八ヶ所の霊場巡りをするという説、
弘法大師入定後、高弟真済がその遺跡を遍歴し始まったとされる説もあります。
そして、延暦23年(804)、唐に渡った弘法大師が唐の都、
長安の醴泉寺でお釈迦様の遺跡八塔の霊地について教えられ、
帰国後、日本の人々にも仏縁を結ばせようと考え、
釈迦八塔の十倍にあたる八十塔と、その元数である八塔を加算した八十八ヶ所の霊場を、
自分の故郷である四国に開いたという説などもあります。
一般的には、弘法大師が42歳の時、四国を巡錫した際、
従来から存在していた寺や新たに開いた寺など、
八十八ヶ所を選び霊場を開いたとする説が最も信頼されています。
弘法大師の入定後、大師に対する人々の信仰は高まりますが、
平安末期に行われていた四国八十八ヶ所巡礼は、修行僧などが中心でした。
庶民の間に広まったのは江戸・元録時代前後とか。
しかし、明治時代になって「神仏分離令」により廃仏毀釈が行われたため、
全国的に廃寺に追い込まれる寺も多く、四国八十八ヶ所礼所も例外ではありませんでした。
後に寺も復興され、遍路も復活したものの、
昭和の時代になると、戦禍にさらされる寺もあり、
人々も遍路をしている事態ではなくなっていきます。
しかし戦後、四国八十八ヶ所は再興され、
現在もなお多くの人々に愛されて続けているのです。
最終更新日
2006年06月24日 21時54分12秒