|
|
|
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
│<< 前のページへ │一覧 │
なお、この記事は編集の都合上、削除(コメントも含む)する可能性があります。よりまして、コメントは掲示板の方にお願いいたします。 (その2からの続き、引用記事は再掲)【ところで、最近はめっきり鉄棒を見かけなくなりました。前に住んでいたマンションの前に児童公園があって、うちの娘はブランコや鉄棒で遊んでいました。「サル年だから、鉄棒が上手だね」といったら、「わたしはリス年生まれだもん」と反論されました。その「あかしあ公園」も新しくなって、鉄棒が姿を消していました。(中略)ネットで「鉄棒サイコー運動」というのを見つけました。そこのHPによると、1977年以降、小学校学習指導要綱から「鉄棒」という文字がぐんと少なくなり、以来、じわじわと鉄棒運動が授業から外されていった、とありました。 子供たちが鉄棒をやらなくなったので、公園からも姿を消しつつあるということでしょうか。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/北海道新聞:2009年11月15日) 鉄棒あそびは、他の技術を要するあそびの様に、衰退スパイラルに入ったと思われるので、それを押し止めるには、記事の「鉄棒サイコー運動」のような、おとなによる適切な取り組みが必要となる。 (続/未完) 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト
(その1からの続き、引用記事は再掲)【ところで、最近はめっきり鉄棒を見かけなくなりました。前に住んでいたマンションの前に児童公園があって、うちの娘はブランコや鉄棒で遊んでいました。「サル年だから、鉄棒が上手だね」といったら、「わたしはリス年生まれだもん」と反論されました。その「あかしあ公園」も新しくなって、鉄棒が姿を消していました。(中略)ネットで「鉄棒サイコー運動」というのを見つけました。そこのHPによると、1977年以降、小学校学習指導要綱から「鉄棒」という文字がぐんと少なくなり、以来、じわじわと鉄棒運動が授業から外されていった、とありました。 子供たちが鉄棒をやらなくなったので、公園からも姿を消しつつあるということでしょうか。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/北海道新聞:2009年11月15日) では、なぜこどもたちは鉄棒あそびを、あまりやらなくなったのだろうか。それは、こどもたちの「外あそび」の減少も一因だが、鉄棒あそびならではの理由もある。鉄棒あそびは、それなりの技術を必要とするあそびだ。これは、けん玉・コマ回し・お手玉などのあそびと共通して、あそび衰退のひとつの理由ともなっている。 技術を要するあそびに共通することだが、その技術を習得するには、習得するまで教えてくれる人、あるいはお手本になる人が必要だ。もちろん、それらの人はおとなでも良いが、本来のあそびにおいては、それらはあそび仲間だ。要するに、技術を習得するためには、あそび集団が形成されている事が最も望ましいのだ。 楽しく上手に鉄棒であそんでいる仲間を見て、自分もやってみようとする積極的な意思が生まれ、仲間の技術をじっくり観察して学び取る。そんなあそび集団が、技術を要するあそびには必要なのだ。そうした集団が無い場合は、技術の習得には多くの困難が付きまとうようになる。 鉄棒のお手本になる集団が少なくなり、鉄棒の技術習得が難しくなり、鉄棒であそぶこどもが減る。その結果、さらにお手本が少なくなり、より技術習得が難しくなり、鉄棒あそびがさらに減る。このあそびの衰退スパイラルに入れば、鉄棒あそびのような、技術を要するあそびの再興は極めて難しくなるのだ。 (続く) 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]()
そう言われれば、思い当たるネットニュース記事が配信されていた。【ところで、最近はめっきり鉄棒を見かけなくなりました。前に住んでいたマンションの前に児童公園があって、うちの娘はブランコや鉄棒で遊んでいました。「サル年だから、鉄棒が上手だね」といったら、「わたしはリス年生まれだもん」と反論されました。その「あかしあ公園」も新しくなって、鉄棒が姿を消していました。(中略)ネットで「鉄棒サイコー運動」というのを見つけました。そこのHPによると、1977年以降、小学校学習指導要綱から「鉄棒」という文字がぐんと少なくなり、以来、じわじわと鉄棒運動が授業から外されていった、とありました。 子供たちが鉄棒をやらなくなったので、公園からも姿を消しつつあるということでしょうか。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/北海道新聞:2009年11月15日) 私の家の近所の公園(沢ノ町公園)は、移転改築されたばかりの新しい公園だが、鉄棒は2組も設置されているが、確かに区内の公園をざっと見たところ、純粋の鉄棒遊具が公園から姿を消しつつある印象は否めない。記事によると、「小学校学習指導要綱から「鉄棒」という文字がぐんと少なくなり、以来、じわじわと鉄棒運動が授業から外されていった」とあるが、現在の指導要領を見ると、第3学年以上の「器械運動」の項目には「鉄棒運動」が明記されている。 だから、実際に「鉄棒運動が授業から外されて」いるかどうかは断定できない。一方で、テレビ番組などでは、「逆上がり」特訓などのシーンもよく見られるので、今のこどもたちが鉄棒を苦手にしている事は確かだ。そこで、「公園から鉄棒が消えていく」事を題材にして、鉄棒についてあそびに焦点をあてながら、思いつくままの私見を綴っていくこととする。 こどもたちが鉄棒であそぶのは、小学校の指導要領にもあるように、概ね小学校の中学年(3・4年生)以上の歳ごろ以降が、最も盛んだ。それは、鉄棒運動にふさわしい、身体・体力・技術などが整うのが、この歳ごろでもあるからだ。 私のこどもの頃(1950年代)の記憶を探ってみても、鉄棒にさわり始めたのは就学前だったが、本格的に鉄棒あそびをしたのは、この歳ごろだった。そして、学校の授業での鉄棒の記憶はほとんど無いのに、鉄棒であそんだ記憶は、今尚、鮮明によみがえる。それだけ、たくさん鉄棒であそんだからだと言える。 この事から、今の公園から鉄棒が姿を消し始めているひとつの理由が想起される。それは、単純な理由、今のこどもたちが、鉄棒であそぶ事が少なくなったからに他ならない。小学校の授業では鉄棒をやるが、あそびでは鉄棒はほとんどやらなくなったのだ。鉄棒は、あそびではなく授業(スポーツ)になってしまったのだ。 (続く) 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]()
【バンダイナムコゲームスとネットマイルは2009年11月17日、小中学生を対象にしたインターネット利用に関するインターネットでのアンケート調査結果を発表した。パソコンでインターネットを利用する子どもは全体の9割。インターネットの利用歴については「3年以上」が6割を占め、「5年以上」でも3割にのぼるなど、既に子どもの間にもインターネットが広く普及している実態が明らかになった。(中略)利用目的を問う設問では、56%が「ひまつぶし」と回答。「遊びや趣味の情報を収集するため」(49.8%)、「動画を見るため」(40.7%)と続く。(中略)1日の利用時間は、1〜2時間未満(32.5%)が最も多かった。女子よりも男子の方が利用時間が長い。また学年が上がるにつれ利用時間も長くなるという結果だった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/山陰中央新報:2009年11月18日) 「インターネットでのアンケート調査」なので、ネット利用率はこの結果より少なくなるとは思うが、インターネットが出来る「ゲーム機器や携帯電話」の普及や、テレビのネット接続の増加を考えると、将来はもっと利用率が上がるだろう。 「テレビの前が指定席」「テレビで子守り」などと言われたように、テレビの普及はこどもたちのあそびに多大な影響を与えた。その後、テレビゲームや携帯ゲーム機の普及が、さらにその変化を加速し、こどもたちのあそびの様子を一変させた。 今、インターネットにつながる携帯電話を、こどもたちが常時携帯するようになっている現状を考えると、記事の「インターネットの利用目的」の調査結果は、こどもたちのあそびの未来に大きな課題を提起している。こどもたちが、他のこどもたちと直接ふれあう事無くあそべる時代。 それは、煩わしい人付き合いから、安易に逃れる事の出来る時代となる。そんな時代だからこそ、こどもたちがお互いに、直接ふれあってあそべるように、条件を整える必要がある。インターネットの普及が進めば進むほど、こどももおとなも、意識的に人との直のふれあいの機会を持つようにしなければならないだろう。引用記事の調査結果は、そのひとつの警告なのかも知れない。 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]()
【1964年の東京オリンピック開催以来、厚生労働省は、小学生から高校生までの運動能力を年1回、スポーツテストで計測しています。子どもの体は柔らかいものだと思われがちですが、データでは、小学生の柔軟性の低下が目立っています。(中略)柔軟性が不足する原因の一つに、子どもを取り巻く環境があるといわれています。外で遊ばなくなったり、洋式の住まいが多くなったため、しゃがむことが少なくなったり、リモコン操作が増えて、家の中での動きが減ったりなど諸説はさまざまです。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/山陰中央新報:2009年11月18日) 長い人生の中で、最も身体の柔軟性があるのが、こどもだと言われている。「否、言われていた。」と訂正しなければならないのが、今の時代の日本の現実なのだろう。記事が挙げるその原因も、確かにうなづける。 その一方で、この様な記事もある。【人気は今も根強い。バンダイナムコゲームス(東京)とネットマイル(同)は今春、子どもの遊びに関する調査(574人が回答)を行った。小学生が外でする遊びとして、「かけっこ・鬼ごっこ・缶けり」は、5割を超えた。「ボール遊び」が多い男の子に比べ、女の子の方が、鬼ごっこなどの人気が高かった。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2009年11月20日) 一見して矛盾する記事の内容のように見える。しかし、よく考えると今のこどもたちの「あそび」の実態が想像できる。後者の記事に、人気の高い「外でする遊び」として「かけっこ・鬼ごっこ・缶けり」「ボール遊び」が挙げられているが、これは「遊んだ事のあるあそび」で、調査結果はけっして、「外あそび」が昔ほど頻繁かつ長時間あそばれている事を、意味してはいないのだ。 「鬼ごっこ・缶けり」や「ボール遊び」の人気が高いのに、それらの絶対量が減っているからこそ、こどもたちの身体の柔軟性が低下しているのだ。そして、「外で遊ばなくなった」のではなく、外であそべなくなったのだ。その原因を取り除けば、人気の高い「鬼ごっこ・缶けり」や「ボール遊び」を、こどもたちは思う存分楽しみ、身体の柔軟性も増すだろう。 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]()
(その3からの続き、引用記事は再掲)【「幼児共育」の考え方を広めようと作ったリーフレット 県教育委員会は、「幼児共育(ともいく)」の考え方や取り組みを広めようと「幼児共育リーフレット」を作った。近く幼稚園、保育所などを通じて、幼児がいる県内全世帯に配布する。 第5次県教育振興計画に基づき、本県では「家庭」「幼稚園・保育所」「地域」が連携して幼児期の子どもをはぐくむことを、独自に「幼児共育」と呼んでいる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/山形新聞:2009年11月14日) 次に、「育ち」の「糧」に、こどもたちが興味を持つ「育て」の例を挙げてみる。昔からの格言的な言葉にもあるように、褒めて育てる事は、褒められた時の喜びが、「育ち」の「糧」への興味を増大させるのは、よく知られたことだ。 褒められなくても、出来ない事が出来るようになったりした時は、こどもたちは大きな喜びを感じるものだ。他者から褒められれば、その喜びが、もう一段高い目標への意欲をひきだす。だから、直接「育て」の側から褒められると、もっと喜びは大きくなり、意欲も比例して大きくなる。 褒められて意欲が増す事を裏から見ると、けなされたり叱責されたりすると、特別の場合を除いて、その事への意欲を無くしてしまう事は少なくない。だから、「育て」の期待通りのテンポで、「育ち」が進まなかった時に、こうした「けなし」や叱責が出やすい。そんな時には、「育ち」を待ってあげることも大切だ。この「待ち」は一種の「褒め」と見なせる。 もちろん、こどもたちがある程度成長した段階において、叱責や批判が「育ち」を促す場合もある。しかし、「育ち」の側のこどもたちからすれば、できれば気持ちの良い状況のまま、「育ち」ができれば、それに越した事は無い。「育ち」の未熟な面は、直接に関っている「育て」の側から指摘されなくても、周りの人たちから指摘・非難されることは良くある。だから、少なくとも「育て」の側の、誰か一人くらいは「褒めて待つ」のも、「育ち」の好条件となる。 「育ち」を積極的に促す「育て」方には他にもあるが、今回のブログではこの程度に止める。「育て」は一方通行的な活動ではなく、「育ち」と調和しながら「育て」も発展し、その新たな「育て」が「育ち」を発展させる。この連関の繰り返しの中で、「育て」と「育ち」が共に成長していく。この事が「共育(きょういく)」であり、「響育(きょういく)」とも呼べる「育(いく)」ではないだろうか。 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]()
(その2からの続き、引用記事は再掲)【「幼児共育」の考え方を広めようと作ったリーフレット 県教育委員会は、「幼児共育(ともいく)」の考え方や取り組みを広めようと「幼児共育リーフレット」を作った。近く幼稚園、保育所などを通じて、幼児がいる県内全世帯に配布する。 第5次県教育振興計画に基づき、本県では「家庭」「幼稚園・保育所」「地域」が連携して幼児期の子どもをはぐくむことを、独自に「幼児共育」と呼んでいる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/山形新聞:2009年11月14日) これまで、「育て」と「育ち」の関係において、「育て」が「育ち」に依拠している面をみてきたが、こうした関係を踏まえて、望ましい「育て」の有り方を考えていく事とする。望ましい「育て」のひとつの有り方は、前回に指摘したように、こどもたちの「育ち」の糧を提供する事だった。 「育ち」を強要するような「育て」ほどではないが、もう少し「育ち」そのものに積極的に関与する「育て」も考えられなくはない。そんな「育て」の有り方が、「育ち」を促す関わり方だ。これも、厳密にみれば、「育ち」の「糧」を提供する事でもあるのだが、より「育て」の側の「育ち」への働きかけが、鮮明な「育て」の有り方だ。 「育ち」は、こどもたちが提供された「育ち」の「糧」を取捨選択して取り入れる事だったが、その取捨選択は当然こどもたちの「糧」に対する興味・関心の大きさに左右される。だから、こどもたちが興味をひくような「糧」を提供したり、「糧」に興味を持たせるような工夫をする事は、「育ち」を促す一つの方法となる。 (続く) 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]()
(その1からの続き、引用記事は再掲)【「幼児共育」の考え方を広めようと作ったリーフレット 県教育委員会は、「幼児共育(ともいく)」の考え方や取り組みを広めようと「幼児共育リーフレット」を作った。近く幼稚園、保育所などを通じて、幼児がいる県内全世帯に配布する。 第5次県教育振興計画に基づき、本県では「家庭」「幼稚園・保育所」「地域」が連携して幼児期の子どもをはぐくむことを、独自に「幼児共育」と呼んでいる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/山形新聞:2009年11月14日) 私は、望ましい「育て」の一つのあり方は、こどもたちの「育ち」における、いろんな意味での「糧(かて)」を、こどもたちに提供する事だと思っている。文字通りの「糧」である日々の食事をはじめとして、衣食住を提供する事。災害や外敵からこどもたちを保護し安全を提供する事。これらは、こどもたちが「育ち」を全うする上での必要条件となる。 さらに、そうした最低の条件の下、人間として必要な知識や知恵、人間社会を生き抜く術(すべ)などを提供する事も「育て」だ。これらは、一般的に「教え」や「教育」と言われるものと考えてもいいのだが、ともすれば「教え」や「教育」の中には、「育ち」の「糧」として提供するだけでなく、こどもたちに知識・知恵・術を押し付ける場合もある。 「育ち」は決して受身一方の生命活動では無い。自然界のあらゆる事物や他の人間から提供された、「育ち」の「糧」を、こどもたちが無意識的・意識的に取捨選択して、取り入れていく能動的な生命活動が「育ち」なのだ。こどもたちは、成長と共に意識的な選択は、感性から理性へとその意味合いをシフトさせていく。 ともかく、「教え」や「教育」においては、「育て」の側の思い、時には企みが、必ずしも、こどもたちに具現化するとは限らない。とかく、親や教師の思い通りには、こどもたちは育ってはいかない例は少なくない。それをみても、ある側面では「育て」は、こどもたちの側の「育ち」に依拠している事がわかる。 (続く) 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]()
興味を惹かれる言葉が、ネットニュースに配信されていた。【「幼児共育」の考え方を広めようと作ったリーフレット 県教育委員会は、「幼児共育(ともいく)」の考え方や取り組みを広めようと「幼児共育リーフレット」を作った。近く幼稚園、保育所などを通じて、幼児がいる県内全世帯に配布する。 第5次県教育振興計画に基づき、本県では「家庭」「幼稚園・保育所」「地域」が連携して幼児期の子どもをはぐくむことを、独自に「幼児共育」と呼んでいる。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/山形新聞:2009年11月14日) 興味深い言葉は、「共育」だ。記事では「ともいく」と読ませるそうだが、「きょういく」と読むような言葉も、すでに幾つかの例がある。「共育」の読み方の違いもさることながら、その意味合いも違っている。記事の「共育(ともいく)」は、おとなが共に、こどもを育む(育てる)事を意味しているし、「きょういく」は、おとなもこどもも共に育っていく事を意味するようだ。 この両者の違いは、「育」の意味とその主体に根本的な違いがある。前者の「ともいく」では、「育」は「育む」となっているが、「育てる」と同義で、その行為の主体者は、育てる側であるおとなとなっている。一方、「きょういく」の方では、「育」は主として「育つ」を意味し、その主体者はおとなとこどもの両者となっている。それでも、「きょういく」は、「育てる」事により共に育つと、考えるとその主体者はおとなに、やや偏るように思われる。 ところで、これらの「共育(ともいく)」も「共育(きょういく)」も、どちらも意義のある事に間違いがないが、ともすれば「育て」という事に囚われすぎて、「育ち」と言う、こどもたちの主体的な活動の意義を、軽視する傾向も生まれ易い。時には、こどもたちの「育ち」を無視した、半ば強制的な「育て」も行われたりする。 この様に、こどもたちにとって、この「育ち」や「育て」が、どの様な意味を持っているのか、「育ち」と「育て」の関係はどうあるべきなのかは、様々な考え方がある。私も、長年、自らの娘たちの「子育て」と、学童保育での指導員と言う立場での「保育」に、関ってきた。その経験や体験を通して、私なりの「育ち」と「育て」の意味と関係を、掴み取ってきた。この事について、思い付きを綴ってみたいと思う。 (続く) 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]()
【男鹿市の男鹿水族館GAOの人気者、ホッキョクグマの豪太が26日に6歳の誕生日を迎える。元気に成長し、人間で言えば成人にあたる年齢に。同館は大人になった豪太が花嫁を迎えられるよう、各地の動物園に声をかけるなど“婚活”を本格化している。(中略)とはいえ「まだ子供っぽさもある」(飯田さん)という豪太は、自身の縁談などどこ吹く風。無邪気にカラーコーンやボールなどのおもちゃで遊んだり、餌の骨付き肉を狙うカラスと追いかけっこをしたりとまだまだ遊びたい盛りの様子で、来場者に愛嬌(あいきょう)たっぷりの姿を見せている。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/毎日新聞:2009年11月13日) 記事は、ホッキョクグマの話題だが、ホッキョクグマにも「遊びたい盛り」があるようだ。動物園のホッキョクグマは、食べ物については完全に給餌されているから、成人に達しても「遊び盛り」だと思うが、自然界ではもう少し早い時期から一人立ちするので、「遊び盛り」はもう少し早く終わる。 さて、当然、「あそびをせんとやうまれけむ」と言われる、人間のこどもたちにも「あそび盛り」はある。私は、このブログで幼児から小学生の時期を「あそび期」と定義しているが、その「あそび期」の中でも、あそびの最盛期である「あそび盛り」の期間がある。 私見で言えば、小学校の中学年から高学年(3〜6学年)に相当する。私自身のこどもの頃の記憶でも、この時期のあそびを、数多く最も鮮明に思い出せるので、それだけあそびが豊かな時期であった事に間違いが無い。そして、この時期は、こどもたちが最も群れてあそぶ時期でもある。 この「あそび盛り」が小学3〜6年生の時期である事は、私が20年に渡り指導員として務めていた学童保育での、こどもたちの実際の様子でも実感した事だ。身体的・精神的な能力の基本が一通り出揃う時期でもあり、それに伴ってあそびが爆発的に開花する時期となる。まさに「あそび盛り」であり「あそびの盛り」でもある。 しかし、高度経済発展期以降は、この「あそび盛り」の時期が、塾や習い事の開始時期と重なるようになり、実質上「あそびの最盛期」がより低い年齢にシフトしていく。さらに、20世紀末ごろから塾・習い事の開始時期がさらに低年齢化し、小学校期を通して「あそびの最盛期」が見つけ難い状況が見られるようにもなる。 へたをすれば、高校生がこどもの中で最もあそんでいるような極端な例もある。しかし、それは誰も「あそび盛り」とは言わない。それは、「あそび盛り」の消失と、言っても過言で無いような時代に突入した事を意味するのかも知れない。「あそび盛り」にあそんでいるのか、もう一度周りのこどもたちを見てみよう。あそんでいなければ、その事のおかしさを考えてみよう。こどもたちのために! 「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。 あそびセレクト ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック! ![]() │<< 前のページへ │一覧 │ 一番上に戻る │ |
|