|
カテゴリ:読書日記
思春期に出会った、とても痛烈ではっとして、でも背中をばんと叩かれるような、背筋がすっと伸びるような、鼓舞される励まされる詩。
茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」。 東日本大震災後の今の日本、正しい情報は与えられるものではなく、求めて掴むものとなりつつあり、自分の頭でしっかりと考えて、自分の感受性で正しいと信じた道に対して動く力は、これまで以上に重要になってくる。 横並び意識、周囲の顔色が気になるのは日本人の特性なのだろうか。 周囲と協調することと、自分の感受性を信頼することは、両方とも決して難しいことではなく、両立し得るものだ。でも、どちらかを選ばないといけない場面が生じたとき、私は、自分の感受性を殺す選択はしたくない。 私は、自分の感受性を瑞々しく研ぎ澄まして生きてゆきたい。 ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを暮らしのせいにはするな そもそもがひよわな志にすぎなかった 駄目なことの一切を時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.08.23 11:39:03
[読書日記] カテゴリの最新記事
|