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思いついたこととか稽古の記録とかです
         

随想録 [全2124件]

2010.08.15楽天プロフィール Add to Google XML


2010_07310015.jpg

盆と正月

まぁ日本人であれば、どんなに忙しかろうが盆と正月ぐらいは
雑事を忘れてのんびりしたい・・・というのがいつの間にか、
帰省だなんだで、普段より忙しくなってしまったりしとるのが
今日この頃でしょうか。

それでも仕事を束の間忘れられるからまだ良いか

ご多分にもれず墓参りに行って来ましたが、
帰りに入ったファミレスで、後ろの席に居た若い人たち
たぶん卒業して遠方に就職して初帰省らしかったですが、
たまさか聞こえて来た会話がえらく高尚なので、
思わず少し聞き入ってしまいました。

職場の人間関係にかかわる話だったようですが、
人間のコミュニケーションの原理とか
外面と内面のギャップだとか、非常に純粋な感性が感じられました。
どうかその純粋さを失わずに行ってほしいですね。

最近の稽古

普段、単独稽古で鏡は殆ど使わないですが、
たまさか風呂場の鏡の前でナイハンチをやってみると、
右肩が上がり気味とか、右腰が落ちていないとか、
そうなっている原因は、無意識に古傷をかばう癖だと思いますが、
結構細かいところで気になる点がありました。

これも内的な感覚と外形のギャップと言えるかもしれません。
感覚の上ではそうはなっていないはずでしたから。
まぁ、ことほどさように人間の体とは思い通りに動かないものです。



Last updated 2010.08.15 18:22:59
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2010.08.11

集合稽古の記録

2010_07100011.jpg

梅雨時の風景ですが、あの頃は過ごしやすくて良かったです。ほんとに。
明日は台風通過だそうで、今日はひときわ暑かったですが、
そろそろ妙な風が吹き始めとります。

少年部3人、一般部5人

まぁ8月唯一の稽古日となってしまい、久方ぶりの参加者もありで、
居合の稽古として、上級者には自主稽古の点検、
他の人には体験版という感じでやりました。

素振りに続いてまず四方抜き
四方へ向かって抜くのではなく、
四方への運足とともに縦・横・斜めに抜刀するものです。
これは、手足と体、さらには意識と呼吸を一致させることと、
動的姿勢の稽古、投げ技の基礎稽古でもあります。
従って、斬るとか打つとかでなく、ただただ体捌きで抜けば良いのですが、
特に逆半身になるものは、非常に難しい体捌きが要求されます。
ちなみに四方は前後左右ではありません。

素振りで、左太刀を何回かやってみました。
まずいところの自覚がしやすいためですが、
初級者に、利き側よりも逆に上手に振れる傾向がありました。
たぶん無駄な力みが抜ける分上手く振れるのでしょう。
体感的にはやっぱりやりにくいらしいですが。

居合刀の無い人は木刀での稽古ですが、
きちんとやれば十分な稽古になります。
ただ、一度も居合刀で稽古したことが無いと、
左手を鞘にするのはかなり難しいようでした。

表の型一本目
まず立技でやって、一応それなりにかたちが整う・・・
まで行きませんでした。
さても居合とは難しいものと、改めて思いました。
一動作ごとに区切ると、十八動作にもなってしまい、
その一々に呼吸とか、手足の一致、上体に対して腕は動かずとか、
注意事項を入れて行くと本当に膨大なものになってしまいます。

できれば手順だけでも憶えてもらいたかったもんですが、
さて、初体験だった人たちはどうでしょうか。

座技はあきらめて、座って立つ稽古のみ。
これもやはり、そう簡単にはできないものです。
途中のどこで止めてもその姿勢をある程度楽に維持できなければ、
どこかにごまかしがあります。

中の型一本目
動作としては、表の一本目よりはるかに簡単です。
勿論一見簡単なだけなので、実際にやってみると、
これは全員に居合刀で体験してもらいましたが、
抜くことも納めることも容易にはできません。
体を最大限に使えなければできないような構造になっています。

用の型三本
左袈裟・右袈裟・真向



Last updated 2010.08.11 23:32:07
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2010.08.08

僻地の取柄

2010_08070008.jpg

僻地のへきは、ひがむという字ですね。
今はじめて気が付きましたが、当地は僻地だと思っとります。

豪雪地帯の山間部で、今はそんなこともないのでしょうけども、
昔は、少しでも標高の高いところに住んでいる同級生を、
『やま』と言ってからかっていたものです。

この『やま』は、耶麻とか夜魔ではなく当然山から来ていたのでしょうけども、
高標高≒低文明のようなニュアンスで使っていました。

実際、今から40数年ほど前までは、そういった本当の山間部には、
電気や水道の来ていない家があったり、自動車税が免除されたり
(無ければ生活できないので)していたものです。

かと言って現代のいじめなんかとは全然違って、
言われる方もなんか言い返して、取っ組み合いになったりしても、
後はあっけらかんとして尾を引くようなことはありませんでした。

低文明かどうか知りませんが、低文化ではありませんでした。
自然との共存が大きいのでむしろ文化度は高かったと思います。

会社でも自分は最も標高の高いところから出社していますが、
「僻地の住人ですので」と良く自称しています。
上に書いたほどのところではないので、別に文化度が高いとは言いませんが、
ちょっと10分~30分ほど車で移動すれば、たちまち山の中と言うのは、
素晴らしい環境だと思います。

あまり交通が無く、いつでも安全に300m以上のダウンヒルのできる場所が、
自宅から車で15分程度の範囲に最低5か所・・・実際にはもっとありますが、
付近に民家などもなく、車が1時間に1台通過するかしないか程度とすれば
5か所ぐらいかというところです。

これは本当に心身がリフレッシュされる感じがして、
最近、休日には必ずそのどこかの山に半日ほど出かけています。

ダウンヒルばかりでなく、空手や武器の稽古をするにも、
体育館とか自宅とはちょっと違う物があって、
最初と最後に空手とか棒の型をやっていますが、
本当はできるだけ非人工的な環境で稽古すべきもののような気がします。

とはいえ、ちょっと屋外稽古と言っても、
今の子供たちだと、蚊に食われたとか蛙を踏んだとか、
かなりの騒ぎになったりしますので、
まずその辺に慣れないとどうしようもないとは思いますが。







Last updated 2010.08.08 17:07:49
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2010.08.05

自主稽古の記録

100716_160058.jpg

今日帰宅して夕食を食っていると、長男が空手の稽古をしたいと言います。
中学進学後、テニス部に入ってから3年間、空手の稽古は数回ぐらいで、
最後に稽古してから1年以上経っていると思います。

なので、最後に何を教えたかさっぱり思い出せませんが、
どちらかというと木刀を使った稽古中心の時期に、
稽古から遠ざかっていたと思います。

今、もう身長は自分より高く、体重は同じぐらいですからねぇ。
図体ばっかりでかくなりやがって・・・

中二の頃から、中学卒業したらまた空手やりたいとは言っていました。
中三なので部活は終了し、夏休みで勉強の合間に少し運動したかったのでしょう。

それで基礎運動から次々やっていき、手首相撲をやってみると、
少しコツを教えただけで、最も基礎的なものは案外悪くありませんでした。
次に基礎のまとめとして片足の壁をやってみると、こりゃすごいとか驚いていましたが、
昔やっていたはずなんですけどねぇ・・・で、本人にやらせると最初全くだめでしたが、
呼吸と意識と動作の一致を何度かやらせると、それなりにできました。

次、型

平安初段の単独型を一緒に何度か動き、次に一人が動いて、
一人が全方向から押すのをやってみると、前後には比較的強いですが、
左右がからきしだめでした。
手首相撲とも関連しますが立ち方に鍵があり、
それを修正してやると、最後には見違えるぐらいに安定しました。
昔と違って利口になったところは、さっきやった姿勢を
動きの中で常に保ち続けることとか、今できたからと言って、
次にできるとは限らないことを理解していることでした。
常にできるようにするには、日々の稽古しかないのですが、
昔は一回できたらそれでいつでもできると思い込む傾向が強かったものです。

単純基本に絞って打ち込み

追い突き、逆突きと、いちいち姿勢を細かく修正しながらやると、
やはり短時間で威力が別物になりました。

分解組手 追い突きに対して下段払い追い突き

まずゆっくり正確にからはじめて、途中で受のこちらが姿勢を少々変化させると、
ゆっくり伸ばす突き腕に、下段払いが乗って運ばれる格好で後ろに崩れて行きました。
これはこちらの実験で、手首相撲の延長を勝手にやってみたわけですが、
確かに姿勢のでき具合に格差があると、このような現象は起こりうることがわかりました。
逆に受けさせながらふっと突き腕を抜くと、吸い込まれるように崩れてたたらを踏むので、
こういったゆっくり粘りを持ってやる単純組手は、手首相撲の実技への応用稽古として、
崩しの稽古に非常に良いようです。
また、この分解の非常な合理性を改めて発見しました。
なぜ下段払いの受け腕を伸ばしたままにする必要があるのか、
なぜ中段突きなのか。

で、ここまででたちまち2時間が過ぎていました。
このような稽古の仕方だと、やはり習う方の上達は早いです。
本人も自覚していたように、明日も同じレベルでできるとは限りませんが、
出直しの繰り返しで行けば、短期間にかなりのものになるでしょう。

まぁ・・・次に稽古したいと言うのは、冬休み頃のような気がしますが。






Last updated 2010.08.05 23:43:42
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2010.08.04

忙中閑

2010_07230002.jpg

まぁ・・・そんな洒脱なものでもありませんが、
今日は集合稽古を休んだので、少し早く帰宅しました。

水曜日に早く帰宅するのはなんか妙な感じがしますけど、
週の中間に小休止というのは、結構良いものかもしれませんね。

それにしてもほんとに暑い

35度を超える猛暑日が、これで1週間以上続いているのか、
かつてあんまりなかったことのような気がしますねぇ。

暑さのせいかどうか、今朝玄関先に青大将がとぐろを巻いとりました。
昔はへびなんぞそこら中にいたもんですが、最近はとんと、
少なくとも当地に住むようになって過去20年、かなりの山間部ですが、
近所でへびは見たことありませんでした。

1.5mぐらいの立派なもので、どこかの主だったのかもしれません。
しかしながら残念なことに、うちには床下も天井裏も無いので、
住んでいただく場所がないため、やむを得ず箒で引っ掛けて
用水に退去していただきました。

なんか非常に理不尽な目に遭わされているかのような目で、
『一体何すんのや・・・』と言いたげでしたが、
見ていたカミさんが全く同じことを言ったので、
本当にそう言っていたのかもしれません。

最近の稽古

太極棒の研究を良くやっていますが、他に
空手で剣術や居合をやってみることを実験しています。
おおざっぱに言うと、剣という重さで斬れるものを使う以上、
基礎部分に共通性があったとしても、無手の技術とは
どこかで似て非なるものになるのですが、
第一に立ち方にその違いが現れます。

いわゆる撞木に代表される剣術の立ち方は、
ある部分では空手の立ち方と共通する要素もありますが、
明確な大きい違いもあります。

斬り易いか打ち易いかの違いで、それぞれの技術を最大限に
発揮するよう設計された立ち方でしょう。

ではナイハンチ立ちをはじめとした空手の立ち方では、
剣は使えないのか。

ということでいろいろと試してみるのですが、
今のところ、おそらく成立が古く「打ち」「叩き斬り」の要素が強い
技術については、空手の立ち方の方が威力を発揮しやすいものもあります。
ただ、隙が少々大きくなってしまうため、木刀までの勝負なら、
あるいは空手の立ち方の方が有利な場合もあるかもしれませんが、
真刀でとなると当然ながらやはり、餅は餅屋という結論になりそうです。




Last updated 2010.08.04 20:13:58
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2010.08.01

十五

2010_07310004.jpg

2010_07310005.jpg

昨日も山に行ってロングボードでダウンヒルやっていましたが、
自然の中は良いですね。
人にもよりけりでしょうが、自分は一人で行くのが好きです。
昔から大勢でつるむこと自体嫌いだったですが、
山とかだったらなおさらです。

職場での飲み会の誘いなど、まず確実に断りますんで、
協調性が無いとか言われることもありますが、
そんなもん時間の無駄としか思えませんので。

職場の人間関係など、仕事がうまく回るために
相手が気に食おうが食うまいが協力すべきは当然協力すべきであって、
だらだら一緒に飲食したからそういうところが
上手く行くとか行かないとかいうものであるはずがありません。

仕事抜きに気が合えば、自然発生的に友人関係もできるでしょうけども、
そういうのは例外として、
基本的には職場の人間関係はあくまで業務内のものであって、
終業後は赤の他人です。当たり前だと思いますが。

我々の職種は中途採用者が殆どなので、こういった個人主義は
比較的常識として心得ている人間が多いのですが、
中には仕事以外に特に趣味が無かったり、
家に帰っても居場所の無い連中はだらだら手抜きの仕事したあげくに、
まただらだらつるんで飲みに行くことが多いようです。

殆どが学校卒業してそのままずっと勤めている別の部署では、
飲み会も業務だとか言う底脳なことをいまだに言った管理職がいたらしいですが、
世間知らずの一言です。世の中を舐めとるとえらい目に遭うでしょうね。
労基に通報したらたちまち業務監査が入るのがわかってないと言うか、
要は学校→閉鎖的企業しか経験が無いので常識ができてこないのでしょう。

なんか関係無い話を書きましたが、ふと思い出したもので。

本題もそんなに無いのですが、この間書いたように、
太極棒の単独型から、5本の組稽古を抽出しました。

以降自主稽古でもずっとこれを掘り下げていますが、
全部連続させることも可能であり、
そうした場合、仕手の単技を数えると15本になることに気づきました。
組稽古が5本になっているのは、一部複式組手になっているからです。



Last updated 2010.08.01 15:44:56
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2010.07.28

集合稽古の記録

2010_07230005002.jpg

真面目に仕事をすればするほど要求が増えて、
そのうちいつか限界を超えてしまう。
適当に手抜きしてできないと言うておれば、
要求が減るので楽になる。

あげくに真面目なやつはうつ病になってまた一人退職です。
今回は昨日の今日の話だったので、まだなんか狐に化かされたような感じですが。

まったく・・・言われたとおりに家で自己啓発の本なんか読むんじゃないよ。
そんなことやっとるからなおさらストレスがたまるんで。
会社を一歩出たら仕事の事なんぞ一切放擲すべきだと思います。

良い仕事してたんですけどねぇ。


少年部1人、一般部2人

上級者ばかりだったので、これ幸いと太極棒の徹底研究。
まずは表演型を本当に細かく区切って正確に数稽古、
次いで臨闘型で同様にやりまして、組稽古に入ります。

今回は前回までの対錬、単独稽古から対人用法への過渡的練習から進めて、
完全に受と仕手を決めて組型にしました。
だいぶ以前にも一度やってみて、まぁできるわぐらいのところで止めていましたが、
今回は完全に使えるものになるかどうかの検証まで含めてやってみました。

とは言え、以前試みたものを変更したわけではなく、
運足や体捌きの細部をより正確に見直して制定したものです。
それには、冒頭の細かく区切った表演型の練習が重要な意味を持っており、
中間姿勢などのポイントをそのようにしないと、外形だけ整えても
使えるものにはなかなかならないです。

5本の組型を抽出して制定しました。
受の想定は中太刀または棒で、仕手の所作は、
運足と体捌きが変化しますが、太極棒表演型そのままです。

後半

単独型鍛練
平安初段の表演型に対して四方から押しても崩れない稽古。

基礎組手
下段払い追い突き、内受け順突き、上段揚げ受け(+逆突き)

分解組手
平安初段~五段より一手づつ特徴的なものを抽出して数稽古。
速さを抑え、重さと粘りを出し、崩し・造り・掛けを要点にした稽古です。

落ちると言って、速く落ちようとすると遅くなる上乗れない。
ゆっくり沈むように。とはいえ所詮感覚は十人十色。

様式化の象徴的な所作をあまり強く意識すると、
使える技にならない。型の化粧は落とさなくてはならない。

肘中心に転身する。

腕で持ち上げるようでは卍受けは使えない。

分解組手はあくまで稽古法である。
個々の組手の稽古目的を理解する必要がある。
「こんな複雑な動きよりこうやった方が合理的」
といった考えは無意味である。

一見複雑な動きをあえて稽古する意義を考えれば、
自ずとその分解組手の稽古目的が明らかになる。

まず基礎基本に習熟しなければ、応用や変化などできるはずもない。
真に使えるのは応用以降。その前に「合理化」をすると、
結局本当に使えるものは身につかないまま終わる。

型は正しく。実戦は別物。
この言葉の本当の意味を知る人は少ないそうです。



Last updated 2010.07.28 23:49:15
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