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石川県 旅館 ホテル 心に残る旅の宿

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お宿奇談8[嘉平と伊平]

[怖い話 不思議な話 幽霊話]

[日本のどこか 某旅館]
 50代の男性大学講師

 この話はできるだけそっとしておきたいのです。話題になって好奇の的になるのは、あの二人に悪い気がします。ですから、お書きになっても結構ですけれども場所はどうか特定しないでくださいね。どうかお約束お願いします。

 私は6年前、ある大学へ各地の民族伝承を教えるために赴任しました。ある日、大学の近辺に、午後6時になると誰もいない風呂のかまどに煙が上がるという旅館が有るのを聞き、研究生5人を引き連れて調査に向かいました。私たちの研究対象は、各地の伝承と言うもの、たとえば菅原道真の怨霊、京都の怪奇伝説などは、他愛も無い勘違い、思い込み、誰かが撒き散らした政治的デマに依ることがほとんどという観点に立ち、この類のことを科学的に解明することだったのです。

 その旅館はその地方では結構大きく、接客や風呂、ご主人、女将さんの人柄も評判でなかなか繁盛していました。私たちは午後3時にその旅館に着き、75歳になる女将さんに詳しく事情を聞きました。例の6時に煙が上がるというかまどと風呂は、今は旧式で使われず旅館の離れに有ります。しかし、女将さんは今もお風呂をきれいに洗い、水を3日に一回は交換していると言います。ここで、事前調査として女将さんから詳細にお聞きしたことをお話しします。

『女将さんがまだ若い頃、この旅館に、かなり知恵遅れの嘉平と伊平という双子の兄弟がいた。旅館の遠い親戚ということも有り、二人を不憫に思った先代の主人が預かったのだ。ただ、たいして仕事はできないと思っていたので、給金は二人あわせて普通の雇い人の半分と言う約束だった。
 二人は、やはりほとんど役に立たなかった。仕事を与えるとまじめに取り組むが、どんな簡単なものでも遅くて失敗ばかり。どうも直前にやったことをすぐ忘れるらしく、今何をやっているかさえ分からなくなる。山へたきぎを取りに行かせても、肝心のたきぎを山に忘れて帰ってくる。これでは二人に頼むより、他の人がちょいと片手間にやった方がよほど効率がいい。先代の主人は良く辛抱したものだ。そんな場合も笑って最も単純な言葉で何度も何度も繰り返し言い聞かせていた。
 そうして何年も経ったある日の夜、嘉平と伊平は裏庭の草の上に座って月を見つめていた。
 兄の嘉平がしんみりとこう言う。
「なあ伊平、おらたちなんでこんなに頭が悪いんやろなあ・・・このままじゃ、だんな様に申し訳なくて・・・」
「おお、そうやのう、なんでこんなおらたちが生まれてきたんじゃろう。おらたちがこの世にいない方がよっぽど世の中のためになるというもんじゃ。」
「ああ、伊平、ここでおらたちが死んだ方がよっぽど楽やろうな・・・だがの、あのやさしいだんな様に、何か一つでもお返しできんもんかのう。そうじゃないとおら、死んでも死に切れんわい・・・」
 そう言って嘉平は、はらはらと涙を落とすのだった。
 次の日から、二人は何か吹っ切れたように仕事に取り組んだ。紙に「やま」「たきぎ」と書き、行く時も帰る時も見つめた。山では「嘉平、たきぎじゃぞ。」「おう。」「伊平、たきぎを持て。」「おう。」と二人で声を掛け合った。やっと一仕事できた時は、二人手を取り合ってじつにうれしそうにした。
 そうしてやがて二人は30過ぎになり、たきぎ取りの仕事が一人前にできるようになると、今度は自分たちからお願いして風呂焚きの仕事をもらった。風呂焚きは普通の人ならそんなに難しくは無い。熱ければたきぎを減らせばいい、ぬるければ増やせばいい。ところが二人には途方も無く難しいものだった。時間の観念があまり無いので、まず6時を知らねばならなかった。火を燃やしてもそのうち忘れてしまうので、二人を見張る係が必要だった。先代の愛情が無ければとても無理だったろう。数年、そんな状態が続いた。
 だが二人は真剣だった。紙に「ろくじ」「たきぎいれる」「ふろ」「ひ」と書いて他の作業の合間、その紙の前から動かない。6時になると「おおっ。」「おおっ。」と掛け声をかけ、たきぎに火をつける。そして今度はそのかまどの前から動かない。やがて見張りも必要なくなり、十年もすると二人は一人前に風呂が焚けるようになった。
 しかし、二人の努力はそこで終わらなかった。その後も夕方から風呂のかまどに付きっ切りで、もう紙の覚書もいらなくなっていた。そうして50過ぎると常人以上の働きになっていた。この燃やし方でどれだけ熱くなるか、この部分のたきぎを返し、ふいごを何回吹けば何度上がるかまで知っていたふしがある。そして、お年寄りには熱めに、子供がいると、ややぬるめにすることまで会得していたのではないか。とにかく、二人の焚いた風呂は体の芯まで温まり、疲れをほぐし、お客さんはみな満足して帰ってゆく。やがてこの風呂の評判が近隣へ伝わり、嘉平と伊平の風呂に入りたいと、わざわざ遠くから入りに来る人々もいたのだ。
 お客さんはそんな二人の働きを良く知っていた。風呂の窓から、かまどでモゾモゾ動き回る二人に声をかけたものだ。「嘉平、伊平、いい湯だぞ。有難うよ。」二人はそんな声に、じつに晴れやかな笑顔を返した。 
 こんな二人が亡くなったのは68歳。二人は同時にひどい病気にかかり、まず嘉平が先に逝くと、伊平もその3日後に後を追うように逝ってしまった。
 そしてお葬式の日。旅館では一応地味な葬儀を予定し、簡素な祭壇で弔問者を迎えた。ところが思いもかけず盛大なものになりあわてたという。二人の焚いた風呂に入った人が、ひっきりなしに訪れて道まであふれる。葬式が終わってもみな帰ろうとせず、二人の写真に感謝の言葉をかける。じつに先代の葬儀に次ぐ大掛かりなものになってしまったのだ。
 旅館の人たちは二人の近くにいたので気付かなかったが、二人が亡くなってはじめて、この旅館がここまで立派になれたのも、この二人のおかげではないかと思うのだった。』

 女将さんは、二人を思い出して涙を流していた。
「子供の頃良く一緒に遊びましたよ。二人は遊ぶ時も真剣な顔をして一所懸命になります。私が悲しそうな顔をしていると、一緒に悲しい顔をして回りをうろうろ歩き回り、ふところから飴玉を1個取り出し、ん、と言って目の前に突きつけるんです。私はそんな二人が大好きでした。二人と遊んでいると悲しいことをみんな忘れてしまいます。そして、先代が亡くなった時、近所に聞こえるような大声で泣く姿、また今の主人が給金を1人ずつ一人前にしてあげた時のあのうれしそうな顔、今でも忘れられません。」

 さてそんな話をしていると、あっという間に時間が過ぎてそろそろ夕方の6時。私たちは外へ出てかまどを見に行きました。少しでも科学的に不審が無いかと批判の目で見つめていました。そしてきっかり6時、煙突からその問題の煙が薄く上がってきたのです。そのうち煙はだんだん濃くなっていきます。私はすぐにかまどの鉄製の扉を開けてみました。しかし、その中に火は有りません。私はかまどの中に体を突っ込み、下から懐中電灯で煙突の先まで照らしてみました。しかし、下からは煙は全く見えないのです。この煙はいったいどこから発生しているのか、じつに不思議でした。

 女将さんが、「この煙でお風呂の水が少しあたたかくなるんですよ。」と言うので、風呂場へも行きました。手を入れると確かに外気より暖かい感じがします。温度計を入れると36度8分、ちょうど人肌。私は深く考え込んでしまいましたよ。今でも嘉平さんと伊平さんは6時になると懸命に火を焚いているのだろうか。
「よし、誰か俺と入るものはいないか。」と言うと、男3人が「はい。」と答えて飛び込んでいきました。女子が「先生、ずるい。」と言うので、後で女将さんと一緒に入りましたけどね。

 私はその日、嘉平さんと伊平さんの焚いたお風呂にはいれて、とても光栄な気がしました。当時、私は生きることにすねて、かなり苦しんでいたんです。そんな私の心に再び明るい光をともしてくれたんですから。




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