Zero-Alpha/永澤 護のブログ

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夕方


【フロイト,アンナ Freud,Anna】
アンナ・フロイトは、1895年12月3日ウィ-ンで生まれ、1982年10月9日ロンドンで亡くなった。
精神分析に対するアンナ・フロイトの主要な貢献は全八巻の彼女の『著作集』に集められており、ロンドンのアンナ・フロイト・センタ-(前身はハムステッドクリニックである)で実践に移されている。センタ-において彼女と彼女の共同研究者であるドロシ-・バ-リンガムは、児童分析と正常な児童発達過程の研究分野で先駆的な仕事を行った。英国における三つの精神分析学派の内、他の二つ(クライン派とミドルグル-プ)はフェミニズムに間接的な影響を及ぼしたが、アンナ・フロイトのグル-プは影響を及ぼさなかった。彼女の仕事は父親の仕事の単なる延長だと見なされてきた。
アンナ・フロイトは、近年の大多数のフェミニストが拒絶してきたフロイトによる理論的定式化のいくつかを採用した。すなわち、本能的欲動理論と自我心理学であり、彼女は(イド、自我、超自我を立てる)構造的な理論を当然視した。彼女は、エディプス期のダイナミクスに対する前エディプス期のダイナミクスの優位性を強調することはなかったし、また、ペニス羨望と自慰葛藤について精力的に書いた。さらに、彼女はフェミニズムに対する批判を行い、「ジェンダ-の社会的構成」といった言い方を、生物学的性の間にある解剖学的諸区別とさまざまな心内葛藤の両方を無視するものと見なした。にもかかわらず、彼女の仕事は、1945年に彼女が共同創刊者となった学術誌『児童の精神分析学的研究』への近年の何人かの臨床研究に携わる寄稿者たちが認めてきたように、フェミニストに多くの遺産を提供している。
なかでも最も重要なのは、アンナ・フロイトが、けっして単線的な人間の発達モデルを受け入れなかったという事実である。人はそれぞれ複数の「発達の線」に沿って(自体愛から対象愛へ、家族内の愛から家族外の愛へ、身体的依存と制御不全の状態から制御と自己配慮へ、遊びから労働へ等)発達し、『自我と防衛機制』(1966=1958)で記述された多様な防衛機制をそれぞれの異なった発達の線上で活用する。一人の女性の成人としての性格は、これらすべての発達の線に沿った彼女の履歴が登録されたものであり、また、彼女におけるどの精神病理も、主としてある一つの発達の線上に位置し得るものであるか、またはいくつかの発達の線にまたがった平坦ではない発達過程の産物であり得る。こうした彼女の一般理論は、例えば以下のことを意味している。すなわち、ある女性たちにとってはペニス羨望が危機的なものになるが、他の女性たちにとってはそれは比較的重要ではなく一過性のものであること、ある女性たちにおいては母親の愛が再生産され、他の女性たちにおいては父親の愛が支配的なものになるが、さらに他の女性たちにおいては兄弟姉妹間の競争関係が臨床上の病像を呈するということ、また、ある女性たちは特殊な心的外傷やハンディキャップあるいは単一の防衛機制への過剰な依存によって危機的な発達形成がなされるが、他の女性たちにおいては特殊な自己同一化や文化的・多文化的な諸環境によって危機的な発達形成がなされるということ等を意味している。このように、人生のすべての発達段階が、獲得された性格と精神病理の双方において重要な役割を果たすのである。
アンナ・フロイトは、理論における(第一次的な前エデイプス期を含む)いかなる発達の線や発達段階の特権化に対しても、そして治療におけるいかなる発達の線や発達段階の軽視に対しても強力に反論した。こうした一般的な方法的態度は多様な心的決定因子を視野に入れた反還元主義的なものであったが、フェミニズムにとって極めて重要な意義を持ち得た。もし彼女の仕事がより一層慣習的な約束事から自由であったなら、それは真にラディカルなものとなり、おそらくはその理論的な精神においていっそう明確にフェミニズムの立場に立つものとして認知されたであろう。
フロイトの女性患者/女性の精神分析家の項も参照。

【アンナ・フロイトの著作】
1966:The Ego and the Mechanisms of Defence. New York:International Universities Press.(外林大作訳『自我と防衛』誠信書房,1958. 黒丸正四郎・中野良平訳『自我と防衛機制』,アンナ・フロイト著作集2,岩崎学術出版社,1982.)
1966-80:The Writings of Anna Freud, 8 vols. Madison,Conn.:International Universities Press.(アンナ・フロイト著作集,岩崎学術出版社,1981-1983.)
【参考文献】
Sandler,Joseph,et al.1980:The Technique of Child Analysis:Conversations with Anna Freud.Cambridge,Mass.:Harvard University Press.
Memorial issues dedicated to Anna Freud:Bulletin of the Hampstead Clinic,6(1983);International Journal of Psycho-Analysis,64(1983);Psychoanalytic Study of the Child,39(1984).
Young-Bruehl,Elisabeth,1988:Anna Freud:A Biography.New York:Summit Books.
Young-Bruehl,Elisabeth,1989:Anna Freud for feminists,Mind and the Body Politic.London:Routledge,pp.170-97.

エリザベス・ヤング=ブリュエル(Elisabeth Young-Bruehl)

【シュルレアリズム】
今世紀初頭のヨ-ロッパにおいて隆盛したさまざまな前衛芸術運動(とりわけ未来派、ダダイズム、表現主義、構成主義)の内、その理論的関心と芸術的実践において精神分析に最も密接に結びついていたのがシュルレアリズムであった。アンドレ・ブルトンの指導のもと、若い詩人たちの集団によって1924年にパリで創設されたシュルレアリズムは、芸術と政治における革命的なプログラムを持った国際的な運動になった。1930年代の(そしてその後の)ほとんどのマルクス主義者がフロイトを軽蔑していたのに対して、シュルレアリストはフロイトとマルクスを結びつけようと試みた。シュルレアリズムの美学の中心には、ブルトンが(1924年刊行・1969年再版の最初の『シュルレアリスム宣言』の26頁において)「心的オ-トマティズム/自動記述法 psychic automatism」と呼んだ夢・セクシュアリティ・無意識の「革命的」な探索作業があった。精神分析の手法である自由連想法と比較できるオ-トマティズムは、「理性によって行使されるあらゆる統御の不在における……思考の現実的な働き」(『シュルレアリスム宣言』、26頁)に対応したものだと考えられた。
1929年にスペイン人画家サルバド-ル・ダリが運動に参加したとき、オ-トマティズムは「パラノイア的・批判的方法」という精神分析に着想を得た一つの新しい概念によって補完された。パラノイアと前衛芸術の実践との間の可能な並行関係に関するダリのさまざまなアイディアは、それらアイディアとは独立に練り上げられた形で、ジャック・ラカンの1932年に書かれたパラノイアに関する博士論文(Lacan 1932=1987)によってはっきりと確証された。シュルレアリストたちが主宰した芸術誌『ミノト―ル』の創刊号(1933)においてパラノイア的・批判的方法についてのダリの試論(権威としてラカンを引用している)は「博士」自身の論文によって後続されているが、その論文でラカンはパラノイア患者によるさまざまな象徴的表現と個人的芸術的スタイルとの間の明確な並行関係を指摘している。ダリにとってパラノイア的・批判的方法は単なる解釈の技法ではなく、現実に対して芸術家の「妄想的」な構築物を課す、芸術的創造の方法でもあった。
シュルレアリストたちはフロイトへのたびたびの賛辞を惜しまなかったとはいえ、何人かの批評家は、シュルレアリストたちが実際にはフロイトの無意識の概念を理解してはいなかったと主張してきた。(Houdebine 1971)フロイト自身は、彼の仕事へのシュルレアリストの関心に困惑し、彼らの芸術(フロイトはそれを「狂った」ものと見なした)にまったく共感も同調もしなかった。にもかかわらず、シュルレアリズムは、精神分析の持つラディカルな意味を認識し、芸術作品の生産において夢と幻想――そこではセクシュアリティ-が重要な役割を果たすのだが――の体系的な探索を試みる最初の芸術的運動として認められるべきである。詩や散文の物語、絵画、写真、映画における彼らの業績は、まさに今日にいたるまで莫大な影響をもたらしてきた。 
シュルレアリズム、精神分析、フェミニズムの間の結びつきは複雑であり、ここでは最も概括的な形でのみ述べられ得る。フェミニズムの立場に立つ分析は、出発点として、フロイトとラカンが彼らの最も重要な諸概念を女性患者たちに携わる仕事を基盤にして練り上げたように、シュルレアリストたちがしばしば不合理なもの、夢、無意識についての彼らの諸観念の具現化をさまざまな女性的形象において見出したことを認めるであろう。その具現された姿で最も記憶すべき例は、シュルレアリズム作品でおそらく最も有名なブルトンの『ナジャ』(1928=1989)の題名となっている人物、すなわちナジャであろう。ブルトンの『ナジャ』で、ナジャはシュルレアリストの幻視者という姿と窮乏し精神の均衡を失った若い女性という姿を交互にまとって登場する。彼女がブルトンに及ぼした魅惑の力は、まさしく、彼女が狂気のふちに接しており、そして最後には不幸にもそのふちを超えてしまうことに由来すると思われる。(ナジャは架空の産物ではなく実在する人物であり、生涯の最後の13年間を精神病院で過ごした。)
ブルトンがルイ・アラゴンと共に『ヒステリ-生誕50周年記念』という論文を書いたのは、彼が『ナジャ』を出版した年と同じ年であった。この論文は、フランスの精神医学者ジャン・マルタン・シャルコ-のヒステリ-に関する有名な講義(1885年から1886年にかけてフロイトはシャルコ-に学んだ)に言及し、女性ヒステリ-患者と彼女たちの男性担当医との間の性的欲望を内に含んだ愛情関係を強調した。また論文にはサルペトリエ-ル病院の収蔵庫から取られたいくつかの写真が挿入されており、それらの写真はシャルコ-の女性ヒステリ-患者の「スタ-」たちをシャルコ-が命名したさまざまな「情愛的態度 attitudes passionnelles」において示している。1933年に、ダリは一つの彫像の笑顔を含む女性たちの顔のクロ-ズアップから成る『エクスタシ-の現象』と題されたフォトモンタ-ジュ作品 a photomontageを出版した。それから何年も経った後、ラカンは――おそらくはダリとシュルレアリズムとの自身の早い時期の結びつきを想起しながら――ベルニ-ニ作のエクスタシ-の内にある聖テレジアの彫像に関する彼の論評を女性の享楽をめぐる彼の議論の最も重要な部分で行った(Lacan 1975)。
1960年代の末、フランスにおける前衛芸術活動の新しい波の高まりを伴って、シュルレアリズムは非常に多くの新しい批評を生み出し始めた。なかでも『テル・ケル』誌と結びついた作家たちの批評が注目に値するが、彼らの革命的な野心、そしてフロイトとマルクスへの関心はシュルレアリズムを顕著に想起させるものであった。『テル・ケル』派の主要な理論家であるジュリア・クリステヴァは、母親の身体に対する主体の関係を第一に強調する、前衛的な言語作品に関する精神分析的なモデルを作り上げた(Kristeva 1984=1991)。彼女にとって範例となる前衛的な作家たちの中には、シュルレアリズムの運動の初期からその活動的なメンバ-であったアントナン・アルト-がいた。(Kristeva 1977=1999)。
 しかしながら、クリステヴァのアプロ-チは明確にフェミニズムの立場に立つものとは言えない。シュルレアリズムに対して過去20年間にわたって生み出された非常に多くのフェミニズムの立場からの雑多な批判は、ザビエル・ゴ-ティエの精神分析へと方向づけられた研究(1971)によって開始された。ゴ-ティエは、シュルレアリズムの詩と芸術における対象としての女性の役割に焦点を当て、男性のシュルレアリストたちが女性の身体を理想化しようと攻撃し解体しようと、彼らは女性を父親に対する反逆を遂行するために使用していると結論した。より最近の精神分析へと方向づけられたフェミニズムの立場からの批判は、女性の芸術家たちがシュルレアリズムの芸術の実践における「対象」から「主体」へと移行しようと試みる際に遭遇する諸困難と霊感について論じている。(Chadwick 1985)。フェミニズムの立場に立つ何人かの理論家は、女性によって書かれた現代の前衛的な言語作品は、男性のシュルレアリストたちの初期の仕事に着想を得るとともにその批判として読み解けると示唆してきた。(Suleiman 1990)シュルレアリズムの女性嫌悪的側面だけではなく女性芸術家たちへのその意義ある呼びかけ(とりわけ現実に対する生き生きとした批判的態度を放棄することなく幻想にみちた内的世界の探索へと誘うことにおいて)をも認識するこれらのアプロ-チは、フェミニズムの立場に立つ現代芸術と前衛運動の持つ革新的で批判的なエネルギ-との間の意義ある結びつきを強調するより一層均衡のとれた説明を約束している。
フェミニズム映画、文学、表象、不気味なものの項も参照。

【参考文献】
Breton, Andre, 1964:Nadja.Paris:Gallimard.(巖谷國士訳
『ナジャ』白水社,1989.)
Breton, Andre, 1969 [1924]:Manifesto of Surrealism, Manifestos of Surrealism, trans.Richard Seaver and Helen R.Lane. Ann Arbor:University of Michigan Press,pp.3-47.(巖谷國士訳 『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』岩波書店,1992.學藝書林,1989. 森本和夫訳
『シュ-ルレアリスム宣言集』現代思潮社,1968.)
Breton, Andre,and Aragon,Louis,1928:Le Cinquantenaire de l’hysterie,La Revolution surrealiste,11,pp.20-2.
Caws,Mary Ann;Kuentzli,Rudolf;and Raaberg,Gwen,eds.1991:Surrealism and Women.Cambridge,Mass.:MIT Press.
Chadwick,Whitney,1985:Women Artists and the Surrealist Movement.Boston:Little,Brown.
Dali,Salvador,1933:Interpretation paranoiaque-critique de l’Image obsedante “L’Angelius” de Millet’,Minotaure,1,pp.65-67.
Gautier,Xaviere,1971:Surrealisme et sexualite.Paris: Gallimard.
Houdebine,Jean-Louis,1971:Meconnaissance de la psychanalyse dans le discours surrealiste,Tel Quel,46,pp.67-82.
Kristeva,Julia,1984[1974]:Revolution In Poetic Language,trans.
Margaret Waller.New York:Columbia University Press.
(原田邦夫訳『詩的言語の革命 I』,勁草書房,1991.)
Kristeva,Julia,1977:Le sujet en proces,Polylogue.Paris:Seuil,pp.55-106.(足立和浩他訳,沢崎浩平他訳 『ポリロ-グ』,白水社,1999.)
Lacan,Jacques,1932:De la psychose paranoiaque dans ses rapports avec la personnalite.Paris:Le Francois.(宮本忠雄他訳『人格との関係からみたパラノイア性精神病』,朝日出版社,1987.)
Lacan,Jacques,1975:Le Seminaire,book 20:Encore.Paris:Seuil.
Suleiman,Susan Rubin,1990:Subversive Intent:Gender,Politics, and the Avant-Garde.Cambridge,Mass.:Harvard University Press.

ス-ザン・ル-ビン・スレイマン(Susan Rubin Suleiman)

【フェティッシュ化】
ある対象――生命を欠く物体、身体の一部分、あるいは身体の全体――がフェティッシュの価値と意味を心的に帯びるようになるプロセス。フェティシストは、その不可能性を認識しつつも、母親のファルスの存在を要求する。彼は母親の去勢を確証すると同時にそれを否認する。彼は母親の失われたファルスのフェティッシュ的代替物を彼が供給できる限りにおいて、母親の去勢を受け入れる。さらにまた、彼はファルスの位置にフェティッシュを置くことによって母親の去勢を否認する。フロイトの著作においては、フェティシストは彼が見るもの――ファルスの不在――を否認し、そのファルスの位置に(例えば靴、下着、レインコ-ト、毛皮などの)代替物を置くが、この代替物は、通常無の恐怖に少年[すなわち彼]が直面する前に彼が最後に見たものである。フェティシズムは、異性愛あるいは同性愛によるエディプス・コンプレックスの解決とは異なり、少年に(母親の去勢の否認と、従って彼自身の去勢の可能性を認識することの拒否を通じて)それ自身ファルスである母親への彼の前エディプス期的愛着の親密さの内にとどまること、しかも同時に父親の法を受け入れ、従って象徴的なエディプス的諸関係へと入り込み、彼の男性性の感覚を発展させることを可能にする。このようにして、彼は精神病を免れるのである。フロイトにとって、フェティシズムは男性固有の現象である。エディプス期の少女は、母親の去勢を否認するなんらの必要も動機も持たない。もし彼女が去勢を否認する必要に迫られるとするなら、むしろそれは彼女自身の去勢に関してである可能性の方が大きい。(否定の項を参照。)
フェティッシュ化はヒステリ-化の諸過程と類比的な様式で機能する。どちらも身体の一部分またはその全体をファルスにしてしまう。これら二つの過程は生殖器以外の身体の諸部分を性愛の対象にし、それに生殖器としての意味を付与しさえする。だがやはり、両者は異なっている。というのも、ヒステリ-化の場合において人(通常は女性である)は自分自身の一部分をファルスとして機能させるが、フェティッシュ化の場合においては人(つねに男性である)は自分とは別の者の身体の一部分をファルスへと変えるからである。フェティッシュ化の過程は対象をそれとは別のものの、すなわち生殖器としての対象のイメ-ジへと変換する。それによってその対象に性的な意味を付与し、主体にとって望ましい、あるいは価値ある欲望の対象にする。以上のように、フェティッシュ化は男性による女性の身体のありふれた対象化の様式を記述していると言える。このことは、フェミニズムの立場に立つ映画理論とポルノグラフィのフェミニズム分析においてフェティッシュ化の概念がしばしば使われることを説明するかも知れない。実際フェティッシュ化の概念は、どのようにして男性が女性を対象化するのかを記述するばかりでなく、去勢された存在としての女性の観念そのものにおいてファルス的男性性へと差し出された脅威をも記述しているのである。
ヒステリ-・倒錯の項も参照。

【参考文献】
Apter,Emily,and Pietz, William,eds 1990:Fetishism as Cultural Discourse,Ithaca:Cornell University Press.
Freud,Sigmund,1927:Fetishism,SE,21,pp.147-58.
(山本巌夫訳『呪物崇拝』,著作集5,人文書院,1969.)
Lacan,Jacques,and Granoff,Wladimir,1956:Fetishism:the symbolic,the imaginary and the real,Perversions,Psychodynamics and Therapy,ed.M.Balint.London:Hogarth Press.
Lewin,Bertram D.,1933:The body as phallus,Psychoanalytic Quarterly,3,pp.24-47.

エリザベス・グロス(Elizabeth Grosz)

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