061737 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ZeroCraftBlog

ZeroCraftBlog

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

フリーページ

日記/記事の投稿

バックナンバー

2024/04
2024/03
2024/02
2024/01
2023/12

プロフィール

onocou

onocou

カレンダー

2007/05/27
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類

おはようございます。
人材募集しているのだが、面接に来た若者に熱く人生や建築を語りすぎて、「おかげで自分自身を見つめることが出来ました、ありがとうございました。」という御手紙まで頂き、見つめなおした結果、別な道を選択させてしまうということが続き、相変わらずの人手不足の零です。

最近のニュース。色々考えさせられることが多いが、とくに紙面をにぎわす8年前の広島母子殺害事件差し戻し審議。21人の弁護団。事件のこと、裁判のこと、人権問題のこと、正直よくわからないが、あの21人の弁護団に好意を抱く人は少ないだろう。
よくわからないなりに思うのは、あの21人は死刑廃止を訴えているらしいがその方法に違和感を感じる。そこに宗教的な、盲目的な心理状況を想像してしまう。自分は誇り高き崇高な使命のために動いている、という思いの強さからか、その方法・手段の是非を正しく判断でなかったり、目的が手段に、逆に手段が目的になってしまっていることに気づかなくなっているのだろうか?世間の批判が強ければ強いほど、そのある意味宗教的な盲目さが助長されるような。結婚を反対された男女がより盛り上がるように。

そこから、自分自身で学ぶことは、今の自分がそうなっていないか、一歩引いた目線で自分自身を見つめなおすことが時々必要だな、と。

たとえば例にとると、零では今、日本の森のために国産材のみで家づくりをすることにある意味「崇高な使命」を感じて活動している。しかし、国内の森林の現場では中国バブルなどの影響で外材が高騰している今の内に国産材を現金化してしまおうと、全伐や伐採後の植林がおこわなれないなどの諸問題がおこり、いわばロシアの違法伐採・ニュージーランド、カナダの原生林伐採・熱帯圏の森林破壊 などと形は違えど似たような環境破壊が起きているという。国産材を使用することが無条件で森のためにはならないということだ。

この、いわば「崇高な家づくり」を一部の人たちに届けるのではなく、全ての人に届けたい、との思いでコストダウンをはかる。もちろんその一環として木材の仕入れコストも例外ではない。しかし、安いルートを追及すればするほど、先述の森林問題を助長する結果に直結しかねない。

国産材を使うことが「手段」のはずなのに「目的」になっていないか。あるいは「顧客獲得のための手段」が第一になっていないか。

本当の目的は何なのか。

同じことが、木組みにおける技術的・構造的観念からも言える。
金物を使わないことが「手段」から「目的」にすり替わってしまうことはよくある。
「地震に強い建物をつくる」、という目的を「金物を使わないことが素晴らしい」、といういわば手段が追い抜いてしまい、目的が見えなくなってしまっていないか。

時々自分自身を見つめなおす事って必要だなぁ・・・

 

 






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007/05/27 01:03:19 PM



© Rakuten Group, Inc.