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バス停地名学のすすめ

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2008.11.26
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カテゴリ:港区
(前回からのつづき)

光林寺東側から南麻布の高台に上っていく坂を、新坂といいます。明治期中頃に新たに開かれた坂といわれますが、江戸図などを見ると光林寺脇を古川へ下る小経がもともとあったようで、それを拡張したものが新坂ではないかと思われます。坂の右手、南麻布3丁目がかつての本村町で、小石川植物園の前身となる幕府麻布御薬園があったのが、このあたりといいます。

新坂上から、光林寺墓地の裏手を回りこむように南麻布4丁目を西へ歩くと、トリコロールの国旗と共に、左手にフランス大使館の建物が見えてきます。そのまま直進すると、通りは狭い下り坂になりますが、これが青木坂です。もともと大使館のあるあたりの高台は、宝永5年(1708)まで富士見御殿(麻布御殿、白金御殿)と呼ばれた徳川将軍家の別荘地の跡で、南西向きの傾斜地は文字通り富士をよく望む景勝地だったといわれ、明治5年から昭和41年の住居表示施行までは、富士見町の町名がありました。坂名は、江戸期に青木駿河守の屋敷地があったことによります。

青木坂を下り、再び明治通りに戻ります。渋谷へ帰るバスの待ち時間の間、明治通り南側を流れる古川周辺を歩いてみます。光林寺前の五之橋と天現寺橋に挟まれた区間には、養老橋、亀屋橋、狸橋という小さな橋が架かっています。このうち養老橋は、橋の北詰が首都高速2号線の天現寺出口に接しているため、常に車優先となる特殊な信号機が設置されています。また、五之橋の西側には、今は使われなくなった古い橋の遺構なども見ることができます。但し、川は高速道路の高架脇であるせいか、じめじめとした陰鬱な印象でしかないのが残念です。

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最終更新日  2008.11.27 00:51:41
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