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バス停地名学のすすめ

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2010.04.07
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カテゴリ:板橋区
(前回からのつづき)

旧中山道は、これより清水坂の急な下りにさしかかります。江戸を出発した中山道が、武蔵野台地から荒川南岸の低地へ駆け下りる難所として知られたこの坂は、現在でもS字にカーブした急坂で、近くの大善寺の薬師如来を八代将軍吉宗が清水薬師と唱えさせたことが清水の地名、坂名の由来となっていると伝えられます。古くは志村城の千葉隠岐守信胤が坂の補修をしたことから隠岐坂の名があり、現在は国道東側の総泉寺境内に見ることのできる子育地蔵尊が、もとはこの坂沿いにあったことから、地蔵坂の名もありました。

坂が左手に大きくカーブするあたりは、旧中山道の江戸から京都までの道中で、唯一富士山を右に見たといわれる場所で、俗に右富士(京都から江戸へ向かう場合は左富士)と呼ばれた名所でもありました。このままもうしばらく旧道を歩き進めたい衝動に駆られますが、この先は都電41系統をご紹介する機会に改めて訪ねることとし、今回は坂上交差点へ戻ります。

改めて交差点から坂下方向を見通すと、右手に見える大きな寺院が、総泉寺です。江戸時代、芝の青松寺、高輪の泉岳寺とともに江戸三箇寺のひとつと数えられた総泉寺は、康正2年(1456)に橋場(現在の台東区橋場)に創建されました。幕府からの厚い庇護を受け大きな勢力を持つに至りますが、数度の火災と震災により伽藍を失った後、昭和4年の区画整理で志村のこの地への移転となり、現在山門の奥に見ることのできる大きな本堂は、近年改築されたばかりの新しい建物となっています。境内左手の地蔵堂に安置されている子育地蔵尊が、先ほどご紹介の通り、かつて旧道の清水坂にあったものになります。

(次回へつづく)

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最終更新日  2010.04.08 01:11:25
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