さようなら、吉田宏さん
第34代福岡市長の吉田宏さん。12月6日が、最後の日となった。11月14日の落選以来、姿も見せず、福岡市民からの多額の退職金も手にしての退庁。4年間、本当にお疲れ様でした。あなたのウソのおかげで、どれだけ福岡市民が迷惑こうむったか。ウソをついた政治家は、必ず、責任をとらなければなりませんから。これで、あなたとは、浄水通りの散歩以外では、出会うこともないでしょう。さて、歴史に残しておくために、あらためて、あなたの「功績」を書いておきます。幼少期を北九州市で育ったあなたの夢は、北九州市長でした。しかし、すでに北橋健治氏が名乗りを上げていた北九州市長には立候補できそうもないことから、民主党の恩恵を受けて、ラ・サール高校卒、慶應義塾大学経済学部卒、西日本新聞社経済部長の肩書きをひっさげて、福岡市長選挙に立候補。持ち前の貪欲さで、市民の声を次々に選挙公約に入れ込み、社民党と、ふくおかネットワークの支持も取り付けて、現職の山崎広太郎氏を破って、初当選を果たしたのが2006年。今見れば、当時の【写真】の顔には、若さと情熱を感じますね。当選後から、ただちに福岡の財界とのパイプを太くして、わざわざ誕生パーティーをひらいてもらったりしながら、一方で選挙公約はつぎつぎに撤回し、最大の焦点とされた「見直し」を表明していた市立こども病院の人工島移転などは、山崎広太郎市政を事実上継承し、小学生からも「ウソツキ市長」といわれる始末。市議会の本会議でも、「あなたは立候補の資格がない」とまで言われながら、頼もしい政権政党・民主党がしっかり後押しをしてくれるということで、2010年11月14日投票の福岡市長選挙で、再選を目指し、国民新党と社民党の推薦・支持も取り付けてがんばった。民主党は、党本部挙げて、衆参両議員総出で応援。 あの蓮舫さんも。「1番じゃなきゃダメですか」と応援。(市長選挙は一番じゃなきゃ落選なんですが・・・)それもあってか、自民党と、創価学会・公明党が支援する元KBCアナウンサーの高島宗一郎氏【写真下】に敗れ、落選した。選挙中に起きた「女広太郎」植木とみ子氏の選挙からの離脱がなければ、吉田宏氏の当選は確実だったと、福岡市民は誰もが思っている。あわせて、政権交代をした民主党の国会運営への国民の不満も、吉田宏氏には逆風となった。鳩山・菅両内閣の迷走ぶり、小沢一郎氏と鳩山氏の「政治とカネ」疑惑、尖閣諸島問題、そして国政での数々の公約違反で、内閣と民主党支持率が共に急落・低迷した事が大きかった。いずれにしても、当ブログは、この4年間、市民の声に逆らい続けた吉田宏市政を批判してきたわけで、この日をもって、吉田宏氏への批判を一応、終えることにする。退職金を糧に、ゆっくり老後をお過ごし下さい。あらためて、吉田宏さん、お疲れ様でした。