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カテゴリ:学校・教育原理・教育全般
長い間の教師生活で、うれしかったことは、
こどもが、「分かった」・「できた」という時のよろこびの笑顔でした。 反対に、苦しみは、分からせる事ができなかった時の曇った顔を見る事でした。 この「分からせる事」・「できるようにさせること」について、 次のように言っている意見がありますのでご紹介しておきます。 ・・・こうして(分かる・できるようにすると・・引用者)、 だんだん、自分の値打ちにも気がついていくし、 友だちの値打ちにも気がついていく、 こうした事の一つひとつの積み上げが、 「人格の完成」をめざす「普通教育」であり、 また、この点にこそ、 憲法が日本の未来を託した「人格の完成」をめざす「普通教育」の真価があるわけです。 ・・・『子どもと生きる』2005年。7・8月号・東京民研・増田孝雄) また、この分からない事・できない事が、 ストレスとどう関係あるかについて述べている意見がありますので、 これも、ご紹介しておきます。 「『先生ぜんぜんわかんないよ』と叫ぶ子がいました。 『それじゃ、わかんない原因はなんだと思う?』と生徒たちに聞いてみました。 『先生の授業のやり方が悪いから』には手が挙がりませんでした。 『教科書が悪いから』には一人の子が手を挙げました。 残り30人がいっせいに手を挙げたのは、 『私の頭が悪いから』でした。 びっくりしました。 何かあればすぐ他人のせいにしたがる子どもたちが、 こと勉強については自分の頭が悪い、と思っている。 ここにストレスの根本があるのではないか、と思いました。」 (あきる野市・中学理科・雨滝洋介・『子どもと教育』45p・ルック・2005・1月号) 今まで、僕が、無意識に思っていた上の事が、 こんなに重要な事を含んでいたのかと、 上記で知り、また、落ちこぼされている子のことが気になるのです。 ランキングに参加しています。よろしかったら、クリックを。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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