テーマ:報道に思う(10)
カテゴリ:報道に思う
かなり久々の「報道に思う」カテゴ。ロンドンで大規模なテロがあった後、更にテロとは無関係の市民が警察によって射殺されるという痛ましい事故が発生した。これに関して、警察の行き過ぎが批判されているようだ。
亡くなられたご遺族やご友人の方々の心中や怒りは、察するに余りある。しかし、誤解を恐れずに言えば、我は現在の警察のスタンスや行動を、やむを得ないと思うのである。局所的に本事件のみを見れば、警察の行き過ぎである。が、事態はそんな簡単なものではない。 高い見地からマクロ的に見てみる。まず、テロとの戦いは圧倒的に守る側が不利だ。守る側は、法を遵守する範囲での活動を行い(現実は違う面もあるだろうが)、いつ何時攻めてくるかわからない中での防御となる。一方、攻める側には法の遵守など毛頭無いのに加え、攻め時や戦術の選択も自由だ。戦いの土俵や前提条件において、圧倒的に攻める側が有利なのである。 守る側としては、如何にして事前に敵の動きをキャッチして、対策を講ずるか?が、ポイントだ。しかし、CIAやモサドと並ぶ世界に冠たる情報機関であるMI5/6をしても、且つG8開催期間中であったにも関わらず、このようなテロを防げないのが現実だ。 以上の背景を念頭に入れた上で、更に現場の警察の心理も考察してみる。テロ側の戦術や技術も日進月歩。取り押さえたからと言って、全く安心は出来ない筈だ。現場で一瞬の内に、どのような言葉や視線のやりとりがあったかはわからないが、もし相手がプロで準備万端だったなら、指1本で自爆出来た筈だ。 そうなれば、取り押さえた警官自身も一瞬にして一生を終えるのは勿論、周囲の乗客にも多数の死者が出たかもしれない。そうなれば、逆に警察への批判は最高潮に達していただろう。数人の警官が、取り押さえていたのに、何故防げなかったのかと。現場の警官は日々、そのような恐怖感や背負いきれない責任感と戦っているのではないか。 では、どうしたらテロは無くなるのだろうか。そんな難しくて大きな問題は、矮小な一市民には解決の糸口すら見出せない。日本人の理解を超えた宗教対立、憎しみの連鎖を断ち切る等のコメントが散見される。確かにそれは直接的な原因のひとつであろうが、一市民の感覚的には、その背景にもっと大きな力の作用や摂理が働いているのでは、と思われる。勿論、手を拱いていて良い、という訳ではないのだが。。 具体的に言えば、人口の間引きだ。テロや戦争だけではない。どんなに医学が進歩しても、新たな難病が発生する。もし、戦争も難病も無い世界が訪れたら、爆発的に増加する人口に地球自身も人間の英知も対処しきれなくなるではないか。こうしている間にも、アフリカでは1日に数千人(万人?)が餓死しているし、殆ど報道もされない内戦が、何年も続いている国もあるのだ。 ちょっと飛躍してしまった。我は無宗教だし、神の存在も信じない方である。でも、何か人智を超えた、大河のような止められない流れがあるのでは?といった仮説でも立てないと、説明がつかないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005/07/26 02:01:14 AM
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