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2009.05.17
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カテゴリ:取り敢えずの記
最近、古典少々を、原訳解説本問わず読み始めた。
ここ永らく小難しい本は読むだに頭が痛くなるので避けていたのだが、同じく頭が痛くなるのでは?と想っていた古典が意外とすんなりと得心しながら読める。
どちらかというと軍法・軍記ものや武道関連中心で、せいぜいが江戸中期前のものだからであろうか?
おおよそ共通して言いたいことも論理も明快、立処がグニャラグニャラしていないので、自分の考えと違っていても理解出来るし、尊重出来る。

「参禅は七の巻まで云々・・・」
は甲陽軍鑑の抜書きなのだが、この時期の”武”のあり方を象徴する多くの言辞の一と言って良いかと想う。
「七の巻まで」というのは、信玄公発心より参禅するに当たり禅師から示されたものだが、前後を極簡単に意を含んで略せば、
「悟るなどは彼岸でのこと、此岸では武士の本分に励むのが良いでしょう」
というようなものだった。

この辺りに関連して、治世であれば武のみならず文も、というような表現が後世には増えてくるのだが、まだ戦国時代の色が濃い、少なくとも15世紀中頃までは、徹底して武士の本分として武術、軍略兵法・・・を磨くことが奨励されていた様子が伺われる。
よく「武士は常に死に臨していたので、禅(あるいは仏教)に生きる指針を云々」などという言い方がされ、そんなものなのかとも想っていたのだが、どうにも今の私の感想では、そのような解釈すら脆弱と言われかねない峻烈さを感じる。
たとえば仏道修行であれば、それは、あるいは広く民衆を統べるために、あるいは単に一個人としての希求のためなどのためゆえのことで、多くの武士は参禅する暇もないほどに武軍の技術、智恵を磨くことが焦眉の急だったようである。

当然のことのように言われている文武両道すら、ほんの一部の上級武士・・・というより大将方ならば、というような扱いで、それすら兵法書の類までで十分で、むしろ専ら戦ごとに寄与する習いを蔑ろにするなど空け事でしかない、というのが当時の常識だったようだ。
もちろん、武に長じた上で文に長じていることが賞されたのは言うまでもないのだが。
そこには安直な横道、悟りごとに耽ることなく愚直に欲に塗れた武士の誉れに生きるという、恐ろしくも清々しいまでの覚悟を感じる。

「参禅なされ候とても、それをば未来のことヽ思し食せ。
 武士は愚にかへり現在の名利が本にて候。・・・」

身が引き締まり、総身、総毛立つ。






Last updated  2009.05.17 23:54:03
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まっく @ Re[1]:昨日が春分の日だったのですねw(02/05) 【亞】2さん >まっくさん、ご無沙汰して…
【亞】2@ Re:昨日が春分の日だったのですねw(02/05) まっくさん、ご無沙汰してます。 亞です。…
まっく @ Re[1]:立体八卦(02/25) 【亞】2さん、こんにちは。 >千変万化…

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