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2010.07.13
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カテゴリ:虚々実
今日のよびりんさんの記事は、ニュージーランド民(神)話から。

「マウイ」と聞けばハワイのマウイですが、この場合は神話に近いので、スピリチュアルっぽくなりますが、我々に馴染み深い言い方(?)ではムー大陸あるいはムー大陸に住んでいた人々ということになります。
より厳密には「人」という形を取る前の「魂としての人(集団)」でしょうか?

いずれにしても、神と人との境が、まだあやふやだった頃の世界のお話です。
マウイは、地上の人間が永遠の命を持てたら良いな、という、素朴ながら現世の摂理に反する願いまで抱いてしまったために、この世にいれなくなってしまいましたが、その想いは優しく尊いものと言えましょう。
その姿は、全ての人を愛しむ聖人の姿に重なるかのように語られているかもしれません。

あるいは視点を変えて、自然界で人として暮らすための知恵を得ていく物語と見ても良いかも。
神話のマウイは一人でしかありませんが、その場合はマウイという一人に仮した、様々な能力を獲得した歴々の先祖達、ということになりましょう。
それら先祖達も、やはり永遠の命を求めつつも、この世を去らねばならぬ時が来ることは拒めないのです。

さて、このマウイ神話でもそうですが、往々にして神話や、あるいは現代文明と言われるものに毒されていない世界では、我々から見れば残酷、あるいは非人道的と想われてしまうような習慣があったりするものです。
NHKの秀逸な作品にアマゾンのヤノマミ(族)を長期取材したものがあります。
ヤノマミでは、人は産まれて後、人か精霊かを母の選択により決められます。
胎児の間は(森の)精霊なのですが、産まれ落ちて後、人となるか精霊のまま森に還されるか・・・

両親や社会を保持するための体のいい言訳的なお話(習慣)だ、と言う意見が強いことは想像に難くありませんが、それがヤノマミにとって“自然と共に生きる”ということなのであって、他文明や文化の視点で語って良いものか・・・?
そこには、大宗教や現代文明すら伺う事が難しい、自然の只中に生きる、一生物としての人間の在り方を受け入れている姿を見て取れはしないでしょうか。
人間が“自然の異物”とならないための戒めとは見れないでしょうか。

愛や慈悲というものにも、感情であるものと、感情でないものがあります。
感情ではない愛や慈悲は、時に人にとっては苛烈にしか想えないものです。
しかし、その苛烈な愛の中でこそ、本当の愛というものが光り輝くのかもしれません。






Last updated  2019.01.11 03:16:41
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まっく @ Re[1]:昨日が春分の日だったのですねw(02/05) 【亞】2さん >まっくさん、ご無沙汰して…
【亞】2@ Re:昨日が春分の日だったのですねw(02/05) まっくさん、ご無沙汰してます。 亞です。…
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