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2011/11/20(日)21:01

小吉の周辺

小吉のテーマ・ソング(違)? 勝小吉と言えば勝海舟の父であるのだが、この人自身もさることながら、その周辺の賑やかなこと、この上ない。 その辺りを眺めると、勝海舟さえ小吉・祖父方血筋の総結みたいなものに過ぎないと感じざるを得ない程である(笑)。 まず、本当に図に書いてようやく理解出来るかどうか位の複雑な関係なのだが・・・小吉を三代目として初代から書けば少しは??? 初代:廉操院 ) 越後小千谷の出と言われ、盲人ながら、その最高位と言われる「検校(けんぎょう)」の位に就き、旗本御家人株(男谷家のものらしい)を買う。 後年の小吉に大きく関係する子息に、旭斎と平蔵忠恕の二人がある。 二代目 ) 旭斎・平蔵忠恕ともに「男谷」を名乗ったらしいが、旗本株を受けたのは三男の平蔵忠恕。 しかし男谷家の本家筋は旭斎にあり、男谷家の旗本筋は平蔵忠恕とでもいうべき状況という時点で、後年の複雑さを予感させる。 さて、旭斎は嫡子・忠之丞信孝、平蔵忠恕は嫡子・彦四郎忠孝と「妾腹・小吉」に恵まれる。 平蔵忠恕の継いだ男谷家・旗本株は嫡子・彦四郎忠孝が継ぎ、小吉は、更に旗本・勝家に養子に出されて【勝小吉】となる・・・と言えば聞こえが多少は良いのだが、あまりに出来が悪く粗暴で怠け者、今で言うチンピラのようであった小吉、体良く男谷家から放逐とあいなったのが実際のようである(爆)。 三代目 ) 男谷家の本家筋・忠之丞信孝は、妾腹ながら新太郎に恵まれる。 男谷家の旗本筋・彦四郎忠孝は男子に恵まれなかったため、文武両道に優れた男谷家の本家筋を継ぐ新太郎を養子に迎えて名を改めさせ、ここに【男谷信友(以降は、通称の精一郎)】が生まれる。 また勝家に養子に出された小吉は、麟太郎(海舟)に恵まれる。 ここで少し厄介なのが、「小吉にとっての甥=男谷精一郎」が小吉と同年代だったというところで、「小吉の子・海舟」は「男谷精一郎」と従兄弟関係なのである。 この「小吉」と「精一郎」は対極的な性格のようだが、ウマが合う所もあったらしい。 共に剣術を直心影流の団野義高、兵法を平山行蔵を師とする。 当時、珍しくはなかっただろうが位も姓も金と付き合いでなんとでもなり、その家名も妾を利用して存続した形を目の当たりにしたことが、小吉と、その子・海舟の人生観に大きな影響を及ぼしたことは想像に難くない。 ここで少し寄り道でない寄り道となるが、勝小吉にとっての最大の不幸は、この同い年代の甥に男谷精一郎を持ってしまったことであろう。 如何せん、男谷精一郎は、あらゆる面において優秀に過ぎた。 どれだけ優秀かと言うと・・・天下の新陰流、その嫡流とも言われる直心影流の宗家を継ぎ、千葉周作を代表とする名剣客ひしめく江戸にあって尚、最強剣士と目されるばかりでなく、弟子育成にあっても、天才の名を欲しいままにした千葉栄次郎にさえ匹敵したのではと個人的には想っている島田虎之助や「最後の侍」と言われる榊原健吉を育てるのみならず、その高潔な人格は広く衆目が認める所で「幕末の剣聖」と呼ばれ・・・と、剣について簡単に書いても凄過ぎたのである。 幕末の英雄の一人に、禅に励んで天下の一刀流宗家として名を残す山岡鉄舟が挙げられようが、その鉄舟をして「剣の道でも禅以上のものが存在するのか」と唸らせたというのが、この直心影流である。 この男谷精一郎を甥に持ったとて、小吉を剣で比するのは酷と言えよう。 参考:男谷精一郎 話しが更に寄り道でない寄り道に進むと、小吉の兵法の師が、これまたいけなかった・・・(?笑) 文武において人後に劣ることなき天下の天才奇人、天下を憂い露西亜を下すべしと論書を献上したという平山行蔵。 どんだけとんでもないかを書くにも・・・武人らしいエピソードでは、日頃から朝夕の鍛練は当然に人に数倍して欠かさず、万巻の書を読みつつ欅板に打ちつけながら拳を鍛え、寝るに甲冑を着て大の字、雷電為衛門と胸の押し比べを三度して三度とも勝ち「お武家さんは凄いもんですね」と言わしめたという怪物である(爆)。 参考:平山行蔵 さて、これらの面々に囲まれた小吉、それでも身丈に合わせて地道に努め・・・るわけもなく、若き精一郎をけし掛け、道場破りをさせては喜んだり、何故か気に入られていた平山行蔵に「小男の大刀は映える」と褒められては身丈に合わぬ大刀を地に摺りながら往来を闊歩したり・・・と、今一つ腰が据わらない。 挙句、20代にして海舟を儲けるや「隠居して3歳になる息子に家督を譲りたい」と願い出たりするも、父親に「少しは働け」と言われて渋々と就職活動したはいいが、日頃の功績により実らず・・・とは言え、37歳にして隠居出来たのだから本望であった・・・のであろうか?? 勝海舟は、年上の従兄弟である男谷精一郎の弟子、島田虎之助に弟子入りしているのだが、彼も「ヤッ!トウッ!」の方は、まぁ・・・(苦笑)。 他の海舟の言動を見ても、正しく「この親にして、この子あり」と感じるが、いつ、どの賽の目が「アタリ」となるかは分からないものである。 どう考えても小吉と大差ない海舟であるが、一応は維新の英雄である。 賽の目が当たるには、小吉は少し、早過ぎたらしい。 最後に、勝海舟が「維新以上の大事件」と伝える、大石進の上京話を少し。 槍術の名手であり、新陰流の剣術家でもある大石進が、大身を活かした長竹刀を携えて江戸市中の道場を荒らしまわった時、剣術道場は恐慌状態に陥ったという。 *とは言え撃剣試合で、今日の剣道のように防具着用・竹刀で撃ち合うもの 当時の撃剣最強とも目された千葉周作が、大石進得意の突きに対抗するのに四斗樽の蓋を用いた、というのはフィクションで実際には大き目の鍔を用いた程度らしいが、ようやく引き分けに持ち込めたか?という程であったらしいというのだから凄まじい。 男谷精一郎も立ち合い、勝ったと伝えるのが榊原健吉を経て次代の山田次朗吉であるが、大石進方には逆の結果が伝えられているという。 *山田次朗吉は、関東大震災を予見したことでも有名 往々にして、こういった古話の真偽は分からないものだが、それまで当流で禁じられていた他流試合を、井の中の蛙にならぬようにと推し進める先進性を持ちながら、3本勝負では中1本を必ず譲る実力を有しつつ「槍は槍で、剣は剣で良いではないか」と勝負そのものには恬淡な面も併せ持っていたらしい男谷精一郎を、過大に持ち上げる必要は全くないと想う。 小吉には申し訳ないが、たとえ大石進に敗れたとしても、その程度の事で、男谷精一郎の名が聊かたりとも傷付くようなことはなかろう。 いずれにしても、天下の明治維新と撃剣界を並べて熱く論じる勝海舟は、間違いなく小吉の息子であろう(笑)。 なんとも語るに語り尽くす底のない、賑やかな親子である。

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